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フランス革命前の貴族はよっぽど贅沢三昧の?
フランス革命前の貴族はよっぽど贅沢三昧の不埒な生活をしていたから革命で倒されたようなイメージがありますが、本当はいつの時代のどこの国の官僚もその不埒具合は似たりよったりで、 フランス革命時のフランス貴族だけがよっぽどマヌケだった、 という見方もできるでしょうか?
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「フランス革命はなぜ起きたか」という話は、それだけで一冊の本が書けるでしょうから説明することは容易ではありません。 今回、3つのキーワードで説明したいと思います。それは「天明の飢饉」「ミシシッピバブル」「アメリカ独立戦争」です。 まず「天明の飢饉」です。これは日本で起きた江戸時代最大の飢饉で、質問者さんも聞いたことがあるでしょう。その日本の飢饉とフランスがどう関係するかなのですが、実は天明の飢饉はフランス革命(1789年)と同じ頃の1782年から1788年にかけて起きています。 実はこの時期、世界は小氷期と呼ばれる寒冷した気候に見舞われていました。それで世界的に不作やそれに伴う飢饉が起きたのです。天明の飢饉は気温低下による不作だったので、東北地方で深刻な被害を出したのです(比較的温暖な西日本はそこまで深刻な事態にはならなかった)。 日本より北にあるフランスはもちろん影響を受けており、これにより小麦価格の高騰、それに伴う物価高、直接的な食糧不足による飢餓、と庶民は生活が大変苦しくなります。この頃の気温低下がフランス革命を引き起こす遠因になった、という人もいます。 1718年、スコットランド出身のジョン・ローという男がアメリカの「ミシシッピ会社」の経営権を手に入れました。彼はフランスでこのミシシッピ会社を、ルイジアナには巨万の富があるかのように宣伝しました。この宣伝は大成功し過ぎるほど大成功し、ミシシッピ会社の株券は超絶に暴騰します。そう、バブルが起きたのです。 ジョン・ローはミシシッピ会社の株券を担保に銀行からお金を借入れ、そのお金で株を買い、それを担保にしてまた銀行から借りるという「やっちゃいけないバブルの元祖」をやりました。これはネズミ講と同じで、いつか必ず崩壊します。 いうまでもなく、バブルは1720年に破綻します。ジョン・ローのバブルにはフランス政府も大きく関わっていたので、フランス政府も大きな損害を出します。これがオランダの「チューリップバブル」イギリスの「南海泡沫事件」と並ぶ世界三大バブルのひとつである「ミシシッピバブル」です。フランス政府だけでなく、多くの人がミシシッピ会社に投資して資産を失いました。フランス経済は大混乱に陥りました。 元々、太陽王と呼ばれたルイ14世の浪費や、その頃に頻繁に行われた戦争への戦費でフランス政府は莫大な借金を抱えていました。なのでジョン・ローの怪しげな投資話に政府も飛びついてしまったのです。 元々あった膨大な借金とミシシッピバブルの崩壊による損害と経済の混乱で、フランス政府の債務状況は危機的な状態になっていきました。政府が金融政策をしくじると庶民の生活にどう影響していくかは、今の日本を見ればよくお判りでしょう。 そして「アメリカ独立戦争」です。そのミシシッピバブルの舞台ともなった大西洋を越えた植民地アメリカで、世界に冠たる大英帝国を相手に植民地の人々が立ち上がり、独立戦争を起こしました。 当初、独立軍は連戦連敗、世界最強の軍隊であったイギリス軍に文字通りに鎧袖一触でした。このへん、映画「パトリオット」に上手く描かれています。 https://youtu.be/IFpFHj4XfFg?si=Kqdgn0zmzOgVB29r&t=60 なお、実際の独立軍はこんな綺麗なもんじゃなかったらしくて、制服どころかみんな普段着で、靴も履いていない兵士も多かったそうです。ところがこんな調子で負けっぱなしの独立軍もとにかくファイティングスピリッツだけは失っておらず、粘り強い戦いの末にとうとう最強の軍隊イギリス軍を打ち負かして独立を勝ち取り、遂に1776年7月4日、アメリカは独立を宣言しました。 当時のフランスはイギリスへの対抗のため、アメリカを支援していました。アメリカ海軍の別名は「ジョン・ポール・ジョーンズ」で、これはアメリカ独立戦争の英雄である提督の名前からきています。そして彼が乗って宇宙戦艦ヤマトなみに大活躍した軍艦が「ボノム・リシャール(ボンノム・リチャード)」ですが、これはルイ16世が与えた船だったのです。 このジョン・ポール・ジョーンズで有名なエピソードが、これまた文句なしに世界最強の海軍であったイギリス軍艦との戦いで、イギリス軍艦に接舷されて斬り合いになり、圧倒的に不利でイギリスの艦長から「慈悲を乞うか?」と降伏勧告されたときに放った言葉「戦いは、まだ始まってもいない!」です。いやもうこれただの強がりだったんですけど、高校野球の9回ツーアウトからの大逆転劇みたいな感じでここから大逆転勝利し、ヨーロッパ中に大変な驚きを与えました。 ジョン・ポール・ジョーンズの勝利や独立戦争の結果はフランスでも大いに報じられ、人々は「民主主義国家アメリカの誕生」に熱狂したのです。結果的にフランス王室のアメリカ支援は自らの首を絞めるものとなってしまいましたね。 かくしてフランスの人民の間に「我らもアメリカに続け!」という機運が生まれてしまったのです。 https://youtu.be/1q82twrdr0U?si=-OryRlcODm4RdATr こんな感じ。ただ「レミゼラブル」はナポレオンが退位して王政復古したあたりの話なのでちょっと時代は違いますが、人々の気運はこんな感じだったのです。 だからなかなか「これ」という直接のきっかけはありません。あえていえばアメリカの独立が引き金を引く形にはなったでしょう。でも引き金が引かれても、弾丸が込められてないと銃は発射されません。 政府の莫大な負債、不作と飢饉、金融バブルの崩壊、それらの経済的混乱、というのが弾丸となっていたということですね。 「歴史にIFはない」といわれるのは、こういうことなんですよね。なにか一つ二つのIFが起きたとしても、いつか人々の怒りが爆発し大きなうねりになっていくであろうことは避けられなかったであろう背景があったのです。 これは明治維新なんかも同じです。
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- jack-a3
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前の回答者さんが書いてるように世界的な飢餓と疫病の流行に加えて、アメリカ独立戦争に加担したことでさらに財政が悪化したことなどが原因というか要因になっています。 これに加えるならば、国民や貴族階級の人たち王族に対する人気や指示を確保することに失敗したから、という面があります。 当時の王様はルイ16世で、その王妃は有名なマリー・アントワネットです。彼女は当時オーストリアを収めていた女王の子供です。彼女は結婚を機にフランスに来ましたが、いろいろと我儘で宮廷での活動を嫌い、少数の気の合う貴族たちだけと半分引きこもって生活してました。この辺が我儘と言われる所以です。 で、当時の王様と王妃は政略結婚が普通で、お互いに好きでもないのに政治的理由で結婚したわけです。なので王様には王妃とは別に愛人を作ることが普通で、フランスでは寵姫制度という仕組みがあり、愛人の中でも有能な女性には生活費や活動費が宮廷費で賄われていました。 寵姫になるには家柄は関係なく、ある意味で実力主義な世界でした。見た目が王様の好みであるとかって面もあるのですが、それだけではなく、政治的に優秀な女性が起用されていたのです。そして社交界や民衆と王様の懸け橋となり、ある意味で王族のスポークスマン、宣伝係として活動していました。これにより王室の人気を支えていたのです。 王妃は所詮は他国の王族の娘であり、帝王学は身についてるかもしれませんが政治的には素人であり役立たず。それを補ってたのが寵姫というわけです。 ですがルイ16世は王妃マリー・アントワネットがよほど好きだったらしく、寵姫を作りませんでした。そのため貴族や民衆とのつなぎ役が不在となり、貴族や民衆の不平不満を抑えることができず、結果としてフランス革命につながった、という流れです。 もちろんこれが第一の原因ではないですが、先に述べたような国難を迎えていた時に王族の支持を集める係を欠いてしまったことは王朝崩壊の最後の1ピースくらいにはなってると思います。
- gunsin
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欧州の王室は政略結婚で、縁戚関係でしたので、フランス貴族だけ がマヌケだったと云う事はないですね。 小麦の不作が続いた事も要因の一つですね。 プロテスタントのドイツは、ジャガイモで飢えを凌いだのですが、 カソリックのフランスでは地中の作物は悪魔が食べる物として 食べなかったので餓死者が出たのです。 マリー・アントワネットは宮殿にジャガイモを植えたり、 ジャガイモの花を髪飾りにして、ジャガイモの作付けを 奨励していました、贅沢三昧の権化の様に言われる王女ですが、 実態は国民の事を考える優しい王女だった様ですよ。 有史以来、現在まで戦争の火が消える事が無い、欧州の事は 複雑怪奇で極東に住む日本人には理解出来ませんです。 諸悪の根源はキリスト教に有りと思いますね。 ペストが流行して、必死に神様に祈ったのに、4千万人以上、 死にました、それでも、救いを求めて神様を信じる、欧州の 信仰心は、何なのでしょうね。
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