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生きるとは義務か何かですか?
今後、突然倒れたり昏睡したり悪性腫瘍が見つかったり癌になっても病院には行かず救急車も呼ばず自宅で安静にし自身の持つ免疫や治癒能力のみで回復するか、そこで寿命を迎えるかに運命を委ねたいと希望してますが、ここで質問したところ色々と問題があるようでこの希望が通るかかなり怪しいです。 治療するにしてもお金もかかる上に、不足してる医師と病院のベッドに救急車を、わざわざ長生きを望まぬ自分に割り当てる事になります。 そこまでして延命も治療も望んでないので上記のように自然に委ねたいですが日本に居る以上は、運命に全て委ねる事すら困難ですか? 色々と疲れもういつ終わってもそれが運命だと受け入れた私を生かそうと動くなら、今後も生きる気満々な人に優先してこれら治療を割り当てて欲しいです。 そうした治療を望まない人に向けた手続きか何かいい手があれば教えてください。 回答お待ちしております。
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家族とかかりつけの医師に、日頃よりはっきりと言っていれば、治らない病気を治そうとかの治療はせずで、痛みを和らげる緩和治療専門医の紹介されます。費用も麻薬系の鎮痛剤を適度に処方だけで、驚くくらいに安いです。 むやみに長く無理矢理に生きさす治療ではないので、意外と薬害で苦しむこともなしに、穏やかに逝くことができます。それに、通院は最初の一回だけで、付き添いが必要。以後は、付添い人が、痛みの症状を医師に報告で、適切な鎮痛剤の処方がされていきます。
補足
回答ありがとうございます。 いくつかまた疑問が思い浮かびました。 ①現代の医療であれば容易に完治可能な病でも断れますか? ②一度は病院へ行かないとダメですか? 例えば違和感を感じてても普通に暫くは日常を送り、ある日突然、旅立ちその後に調べてみたら病で自然死だったと発覚する形は難しいですか? (最期は病院に行きましたが、今年のはじめに亡くなった指名手配犯みたいな形とか) 大昔の人が病院へ行く、治療をするという選択肢が無く良くても漢方で様子を見てたのと同じような形で自然な最期を迎えられるのが理想だと考えてます。