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パン江戸時代
パンはポルトガル語とききますが、ポルトガル人が追放された後も江戸時代を通じて食べられていたから言葉として定着したのですか?英語だとブレッドですね?
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ストレートな回答が無いですね。 江戸初期以前にオランダ・ポルトガルなどから伝わった言葉が、江戸後期以降に急激に入ってきた英米仏から入ってきた言葉に置き換わったかどうかは明確な規則性が無いのではないかと思います。つまり、たまたま、ケースバイケース。 ガラスを意味するビードロは、「ビードロを吹く娘」という有名で切手にもなった浮世絵もあり、江戸では一般市民も目にしていたはずですが、今では歴史的な言葉です。 パン→ブレッドについては、幕末頃の状況で置き換わった可能性もあるが、実際にはたまたまパンが生き残ったと言うことではないかと思います。幕末までは、長崎出島以外では実物はなかったようですが、実際に見たことはなくても名前だけ知られている動物を想像で描いた絵とか残っているので、言葉だけは江戸などにも残っていたのだろうと思います。Wikipedia「パン」を見ると「和漢三才図会」という書籍に載っていたようです。 Wikipadiaによると幕末に江川英龍(世界遺産韮山反射炉や、江戸のお台場砲台を作ったことで有名)がパンを作らせたそうですが、彼がたまたま「これからは英語で呼ぼう」と思っていたらパンは歴史的言葉になっていたかも知れません。もちろん、彼一人だけのせいではないと思いますが。
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- gunsin
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長崎出島のオランダ人御用達でパン職人がいた様ですが、 商売で売り出した記録が無いので、江戸時代にはパン食は 庶民に広まって居なかったが、回答になりますね。 パン食が広まったのは明治維新以降でしょうね、それとても、 140年前の事です。
- y0702797
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1543年 種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともにカステラと一緒にパンを食料として持ち込んでいたとのこと。 ポルトガル語でパンは” Pão”(パオン)。 この頃から、日本ではパンと呼ぶようになったそうです。 つまり、ポルトガルのpaoが語源の和製英語です。 ちなみに、コッペパンはコッペとパンを合した和製語。 コッペはフランス語coupeに由来する。 coupeは「切られた」の意で、パンの焼き上がりを良くするために切り込みを入れることから名付けられた。
- Reynella
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「江戸時代を通じて食べられていた」 食べていたのは日本人ではありません。 南蛮人渡来とともに日本にパンが伝来したのは事実ですが、それはパンが日本に広まった、ということではありません。パンは日本人にはほとんど普及しませんでした。パンはあくまでも、やってくる西洋の人達が食べるために焼かれていただけです。そしてそれは江戸時代も続きましたが、場所は長崎の出島内に限定されていました。18世紀の蘭学者の文書にはパンというものがオランダ語でブロフトと呼ばれ、小麦で作っているらしいことが書かれてあるそうです。(舟田詠子パンの文化史』講談社学術文庫) 蘭語は長崎出島の関係者のみにしか広まらず、パンという言葉が実態なしに明治にまで伝わりました。江戸後期には戦時携帯食としてパンに注目した人がいたようですが、広まることはなく、言葉だけが伝わったそうです。
- mekiyan
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スペイン語でも「パン」です。ラテン系の言葉では、すべてパンと言っていいくらい。フランス、イタリア、ポルトガルでもパンでちゃんと通じました。 カステラ、あれもパンで、パン・ケ。あれを上納した際、殿様がこれは上手い、何て名前と聞いたところ、通訳がどこの食べ物と聞き、カスティーリャ(スペイン)と答えたのが、カステラと命名されたと書かれています。