大坂の陣の前に豊臣秀頼の官位は剥奪された?
豊臣秀頼は、大坂冬の陣の前の時点で正二位・前の右大臣という高い官位を有していました。秀頼の父である秀吉、その養子である秀次は、いずれも関白任官の直前には「正二位内大臣」の官職にありましたので、秀頼の「正二位・前の右大臣」という官位官職は「関白任官待ちの状態」と言えます。
これに対し、
徳川秀忠 従一位 右大臣 征夷大将軍
徳川家康 従一位 前の右大臣 前の征夷大将軍
の両名が「鐘銘事件」をきっかけに「因縁をつけて」、豊臣秀頼と断交し、諸大名を動員して大坂城を攻囲するに至ったわけですが、その過程で
* 徳川方が朝廷に工作し、豊臣秀頼の官位を剥奪させた。
* 同じく徳川方が朝廷に工作し、豊臣秀頼を追討することを正当化する文書を出させた。
などということが行われたとは聞いたことがありません。
「正二位の高位の公卿を討つ」という尋常ならざる事態ですから、
「予め、秀頼の官位を剥奪して無位無官の地下人に落としてから天下の兵で攻撃する」
といった手続きが要るように思うのですが、そのような手続きは踏まれなかったのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。参考になりました。