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なぜ豊臣秀吉は自軍の目印に瓢箪を使ったのでしょうか
なぜ豊臣秀吉は自軍の目印に瓢箪を使ったのでしょうか? あと徳川家康、織田信長は自軍の目印に豊臣秀吉みたいに何かを飾って目印にしていたのですか? 自軍旗以外でお願いします。
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>なぜ豊臣秀吉は自軍の目印に瓢箪を使ったのでしょうか? 諸説ありますが。 織田信長の美濃の斎藤攻めの際、城の背後からの奇襲を行なった秀吉は城に火を放ち、奇襲成功の合図として、槍の先に付けた瓢箪を掲げ、信長本隊に知らせます。 稲葉山城の落城後、信長は、功あった秀吉に対する褒美として、瓢箪を馬印にすることを許可しました。 その後、秀吉は、瓢箪を馬印として使用し、戦に勝つ度に馬印の瓢箪を増やしていき、それが「千成瓢箪」となります。 あと「秀吉本人が瓢箪好き」と言うのもあり「秀吉は、とある大名から珍しい瓢箪を贈られ、部下に見せびらかした」と言うエピソードが残っています。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
秀吉の瓢箪の逸話は有名ですよ? 昔は瓢箪の中身をくりぬいたものを今で言う水筒として使っていました 秀吉は信長の草履取りだった時代にその瓢箪の水筒を信長から貰ったのです 当時 主から部下が物を貰うって事はものすごく名誉だった時代 まして秀吉はこの頃無名の下っ端足軽です その秀吉に対して信長が瓢箪の水筒を差し出して水をくれた 秀吉はその事に感激して それ以降「俺が出世して武士になったら馬印はこの瓢箪を使う」と決心したのです 信長は南蛮傘 家康は金の大きな扇を馬印にしてました (大阪夏の陣で真田が突進してきた時にこの馬印を捨てて逃げています)
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みなさんありがとうございます