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東京都清瀬市の「血の出る巨大な赤い松」について
いって見たんですが、本当に「血の出る赤い松跡」って石燈が!! この「赤松」には昔から ここには不気味な城跡があったり、道路を作ろうと松を切ろうとした工事関係者が 死んだり、自殺の名所になってたり、野犬はおるわ、木から赤い血はでるわ、なぜ かオレンジ色の照明ばっかりだしなんか暗い話題が付きまといまくりです。 誰の城?、本当に血は出たのか?そして松は本当はまだ何処かにあるんじゃないのか?真実の赤い松伝説は? 知っている方またはいかれた事がある方、何かしっていたらどうかお教えください。
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直接の回答でなくてすみませんが、何かの参考になればと思い、kanobaさんの回答に対する補足という形で説明させていただきます。 北条氏の「滝の城」は、正確には清瀬市ではなく清瀬市下宿に柳瀬川(やなせがわ)を挟んで隣接する所沢市城(しろ)にあります(参考URL)。実際に行かれたので地図をご覧になればわかると思います。 天正18年(1590年)豊臣軍による北条攻めの際、北方から八王子城を攻めた前田利家、上杉景勝らによりこの「滝の城」も攻め落とされたと思われます。 「赤い松伝説」はこのときの惨状を伝える伝説として言い伝えられたものではないでしょうか。 北条氏照の居城であった八王子城がたった1日で落城したときも多くの死者が出たと言われ、今でもそれにまつわる血生臭い伝説がありますが、割愛させていただきます。 これはあくまで噂ですが、八王子城跡近くに数年前まであった某施設は、あまりに多くの亡霊目撃談にいたたまれなくなった関係者によって移転を余儀なくされたとも言われています。
- kanoba
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「血の出る松」のあった場所(現在は石碑のみとなっています)は、戦国時代の北条方の城、「滝の城」です。戦いで負傷した兵士がその松の近くで亡くなり、その兵士の血がずーっと松から流れ出ていた・・という逸話からそのように呼ばれているそうです。確かに現在も周りは鬱蒼としていて、道も曲がりくねって見通しが悪く、昼でも気味が悪いところですよね。残念ながら、松の木そのものがどこかへ移植されたというような情報はわかりませんが・・。回答に対する自信を「あり」とさせていただきましたが、自殺の名所などのオドロオドロしいお話についてはわかりませんでした。ご参考になったでしょうか?