日本国の象徴としての天皇
日本国憲法の公布(昭和21・11・3)だとか、施行(昭和22・5・3)だとかという日付は別にして、「日本国の象徴としての天皇」は、いつ決まったのでしょうか???というのが質問の趣旨です。
それを考える私なりのヒントの一つとして、私の読んだ「あの戦争は何だったのか」(保阪正康著)によりますと、戦争終結に向けて8月9日に開催された最高戦争指導会議が、翌日にまで及んだようです。そして、その著書の「阿南泣くな、朕には自信がある」という小見出しの中の1節に次のような記述があります。少し長いのですが、原文をそのまま記述すると、以下のとおりです。
(原文)
そして、阿南が涙ながらに、天皇にこう言った。
「これを認めれば日本は亡国となり、国体護持も不可能になります」
この時、「国体護持も不可能になる」という発言を聞くや、天皇は不思議な言葉を発している。
「いや、朕には自信がある。国体護持には自信がある。自信があるから、泣くな、阿南……」
また、こうも語った。
「私が国民に呼びかけることがよければ、いつでもマイクの前に立つ。……必要があれば、私はどこへでも出かけて親しく説き諭してもよい。内閣では、至急に終戦に関する詔書を用意して欲しい」と。
阿南の言葉を受けて「国体護持には自信がある」と、この時、天皇ははっきりと語った。私は、この意味するところが、未だによくわからないのだ。なぜ天皇には「自信がある」といいきれる根拠があったのだろうか……。
推測できることは三つある。一つは、降伏後、占領下になって連合国とたとえ政治闘争を行っても、。自分は決して負けるつもりはない。いかなる形にせよ国体護持してみせる”との決意表明からという考え方だ。二つ目は、天皇が臣下たち、特に阿南を慮って、その場を収拾するために言った、と。そして三つ目として、天皇の下に誰かから確実な情報が入っていたのではないかということも考えられる。
……(以上)
保阪正康氏が、「未だによくわからないのだ。」というものを、素人の私が、今更掘り返すのもいかがなものかという気持ちはありますが、氏が推測した上記3仮説について、歴史に関心を持っておられる方のお考えを披露していただきたいということです。こだわりませんが、出来れば、お考えの根拠も示していただけると、なお有り難いです。
次に、「日本国の象徴としての天皇」は、いつ決まったのでしょうか???ということに関して、私の個人的な疑問ですが、連合国側は、9月2日に日本との間で、終戦の調印式が行なった時点で、天皇の方向性について、何を決めていたのでしょうか???、「日本国の象徴としての天皇」が決められていたのでしょうか???あるいは、9月27日に、昭和天皇とマッカーサーの会見が行われていますが、その時点で、これまでの天皇の取扱の方向が、覆されて「日本国の象徴としての天皇」が決まったのでしょうか???ということです。
お礼
ご回答ありがとうございました。