- ベストアンサー
儒教・国学・仏教のうち、どれが庶民向けでしたか?
江戸時代において、儒教、仏教、国学のうち、どれが庶民向けの学問でしたか? やはり国学ですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
国民がすべてどこかの寺の檀家となることを求められていたこともあり、 最も普及していたのは仏教の知識ですが、これは宗教なので、僧侶は別として一般庶民の「学問」と言えるかどうかは微妙です。 儒教と国学を比較すれば、幕府の湯島聖堂(昌平坂学問所)や諸藩の学校で儒教(朱子学)を教えていたことに象徴されるように、武士を中心に「学問」として広く普及していたのは儒教です。「学問」といえばまず儒学を指していました。 これに比較すれば国学は在野の学問であり、町人や地主層など武家以外にも広がっています。また国学には大きく分けて、古代の日本人の精神を探求しようという流れと、実証的に日本の古典を研究しようという2つの流れがあり、後者は文芸の愛好にもつながっています。 式亭三馬の「浮世風呂」を読むと庶民の学問について示唆されるところがあります。例えば冒頭に「男湯孤ならず女湯必ず隣にあり」とあるのは論語の「徳孤ならず必ず隣あり」のもじりですし、「男女風呂を同じうせず」とあるのは「男女七歳にして席を同じうせず」のパロディーですが、論語(儒教)の内容が庶民の間にもある程度知られていなくてはこの洒落は生きてきません。 一方では女湯で「かも子(鴨子)」と「けり子(鳧子)」という二人の女性が宇津保物語や源氏物語などを学んでいる(単に読んで楽しむだけではなく、活字本と異同を訂(ただ)したり、注釈書を参考に書き入れをしたりする研究的な読書をしている)ことを話題にしている場面があります。銭湯に来るような暮らし向きの女性のなかにも古典を学ぶ人が実際にいたからこそ、この話が成り立つのでしょう。江戸の文化おそるべしです。 学者や僧侶などの間では、相互に論争や批判などがありましたが、庶民のレベルでは仏教も儒教も国学も完全に別のものという意識ではなく、全部ひっくるめて「学問」と考えられていたようにも感じられます。
その他の回答 (4)
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
「学門」としてではありませんが、「仏教」は庶民の生活の中に必須なようなものでした。 その「仏教」は本来の「仏教」とは別物で日本で改造されたものです。 江戸幕府は「キリスト教」を禁止したため、「キリスト教徒ではない」という証として民衆は「寺請証文」を受け檀家となり、寺は戸籍帳のようなものを作成して、間接的に民衆を支配していました。 ちなみに「寺請証文」を受けなかった人は例え仏教徒でも「村八分」の対象になったり「非人」として人間扱いされなかったとか。
- FattyBear
- ベストアンサー率33% (1532/4617)
No1の方も言われていますが庶民が好んだ学問には数学がありました。 「算額」はご存知ですか?庶民が算術の問題を作りそれを解いて額につくり神社に奉納する習慣があったようです。「こんな難しい問題を解いたゾ!」と自慢げに皆に見せたのでしょう。下記参照。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%97%E9%A1%8D 一種のパズル的感覚で庶民の遊びにも通じるのかも。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (415/1290)
比較する事、自体がナンセンスと思われる程、庶民に普及 したのが仏教です。 儒教(儒学)は総人口の7%程度の武家社会が帝王学として 学びました。 国学は何だか古い事を調べてる物知りのサムライ程度が江戸庶民の 認識かと。 賀茂真淵や本居宣長よりも上田秋成、北村季吟の方が庶民には 知られていたでしょう。 北村季吟は後世に与えたインパクトは大きいです。 上段に注釈文、下段に原文の画期的な方法を考え出しました。 小学館などの現代の出版社が北村季吟の方法で古典を出版してます。 与謝野晶子は北村季吟の『源氏物語湖月抄』を元に、源氏物語の 現代語訳をしてます。 湖月抄は紫式部が琵琶湖に映る月を見て、源氏物語のヒントを 得たと言う故事から来ています。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
江戸時代において「庶民(農民、町民)向けの学問」というのは存在しません。学問とは、エリートがやるものでした。 あえていえば、読み書きそろばんのような生活に直結する学問はある程度庶民に浸透はしていました。 また意外なイメージがあるでしょうが、江戸時代は数学はちょっと低い学問の扱いを受けていました。なのでいわゆる「身分の壁」みたいなのがなかったので庶民も始めやすく、江戸時代には「数学ブーム」が起きたこともありました。 数学の知識は天文学に通じ、天文学の知識は暦を作るうえで重要だったので、身分が低くても天文学に通じていれば暦を作る人として登用されることがありました。