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暴力でしか従わない(無限スパイラル)人
教育はある程度強制であり、幼少時はその様な事で善悪の感覚を身に付け覚えていくものだと思います。 昔(昭和50年代)幼稚園や小学校等で罰則として体罰の様なものがあったり、それで特にクレーム付けられる事無く来た大らかな時代でしたが、その部分を差し引いても、 極稀に「腕力でこの人に叶わないと基本的な事も聞かない」 「理論で正論を云っても馬鹿にする」と云う様な同級生が居りました。 彼等の家庭環境は父親はじめ周りの大人が子に対してだけでなく、 周りにも「恫喝や威圧で周りを怖れさせる→子にも思いやりや公共道徳よりも負けるないわしてこいと云う躾→負ければ父親から体罰」と 云う感じで、その姿勢が子に伝播している様に思えました。 体罰はいけないと云うのは当然の事ですが、 彼等を枠組みにいれるのは「強権さ(体罰 暴力を含む)で服従させる→云う事を聞かせる(そうしないと基本的な事も聞かない)」と云う無限のスパイラルに陥っている様な気がします。 罰則の体罰や練習の厳しさや根性論的な研修を差し引いても、彼等は「常に誰かを攻撃していないといけない様な感じで→そうないと「舐められたら負け」と云って居りました」 ① 運動部の体罰(完全に否定しませんし、時と場合にもよりますが)練習とは別に寮や下宿等で昭和時代に同室の者から意味もなく 殴られた某大学のエピソードがありましたが、彼等の気質もその様なものなのでしょうか?(多分その加害者もその分野でプロには成っていないのでそれ程実力は伴っていないと思うが)実力よりその様な気質の者の拠り所として理解して欲しいと云う事なんでしょうか? ② もう10年前に成りますが、大阪の桜宮高校で体罰による自殺があり、誠に遺憾でしたが、加害者の教師を庇った生徒が居り、私も理解に苦しみましたが、「なんか知らないけれども暴れてみたい→ 叶わない人によって枠組みに入る人」はあの様な体制で感情がコントロールされているのでしょうか? 野球選手や相撲の力士も練習の厳しさとは別に「暴れてみたい気持ちを理解して欲しい(正しくはないが)」と云う人があの様な体制を好んでおり、それで感情がコントロールできるのでしょうか? ③ 私の私見ですが、暴力を用いなくても生きていけるそれは結構だが、出来ない人が居る、その様な気持ちを理解して欲しいと云う事が 所謂理不尽な体育会系の暴力等なんでしょうか? この辺りの事をご回答戴ければと思います。
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平等ということが良く言われますが 実際にはそれぞれの力の差は存在します。 体力 知力 腕力・・・・ その体力についても いろいろな種類があります。オリンピックの種目を見れば多種多様なことがわかります。 知力でも同じです。 力の差があれば 人より上でありたいと思う人もいるでしょう。 知力では勝てないけど 腕力なら勝てると思っている人たちの中で 積極的にそれをアピールしたいと思う人たちがいます。 合法的に腕力を奮える仕事もありますが ボクサー プロレスラー 警察官・・・誰でもなれるものではない。 その なれなかった人たちですね。
お礼