仏教の煩悩と欲望
現在、欲望や苦について調べているのですが、
少しわからないことがあるので質問させていただきます。
『テーラーガータ』において「欲望を求める人は苦しみを求めている」、と書かれているのですが、
確かにそのとおりであると思うのですが、人間生きている限り、食欲など生きる為に必要な欲望があると思うのです。
釈尊は苦から解脱した、とありますが、解脱した後も生きていたということは、生きていくために必要な欲を満たしていたということになりますよね?
衆生に教えを説くのは皆を助けたい、という欲からきているとも考えました。
四諦の苦集滅道の滅にはよく「煩悩を消滅させて苦を消滅させる」
という説明を見るのですが「煩悩=欲望」であるとしたら、それはおかしな話だな、と思います。
それは欲望を消滅させたら生きることはできない、という考えからです。
煩悩≠欲望であるのであれば、なんとなく説明はつくと思うのですが、
もしそうであれば、煩悩と欲望の違いというのがよくわかりません。
煩悩と欲望の違いがあればお教えください。
また、欲望とはどのようなものなのでしょうか?
欲望をどのようにすれば苦から解脱できるのでしょうか?
ご助言いただければ幸いです。