• 締切済み

年収には法律で上限を定めるべきでは?

日本は資本主義国家で、お金儲けを全くの自由とし、国は一切口出ししません。 これで良いですか? 個人が頑張って努力してお金儲けをすることを国は奨励していて、まー、気持ちは分かります。しかしですね、いくら何でも程度があるんじゃないでしょうか?金儲けに関しては、本当に無制限なのですが、それで本当に良いの? 井上尚弥って居るでしょ。ボクシングのスーパースターです。 彼の年収は10億円くらいらしいですが、大活躍の割に安すぎとの声を散見します。だから、もっと頑張って、20億円とか、30億円とか稼ぐようになるのかもしれないね。 んで、頑張って努力して、ミニマム級からヘビー級まで全階級制覇して、WBA 、WBC、WBO 、IBF の全てのベルトを獲得し、何度も防衛するのかもしれないね。そして人間には飽き足らず、熊と戦って倒し、ライオンと戦って倒し、サメと戦って倒すのかもしれないね。そうやっているうちに、年収はまだまだウナギ登り。国民は皆、井上フィーバー。 だとしても、年収100兆円は程度を超えていると思いませんか?いくら何でもそれは儲けすぎで、社会正義に反するでしょ。 井上のカリスマ性に国民は洗脳されて、理性を失い、超高額のチケットを買っちゃって、それで無一文になる。それが自分の自由意思とは言え、そこに真の幸福は無いよ。 日本国内にある日本円の総額は、およそ120兆円だそうです。それをグルグル回して、GDP が500兆円くらいになっているのだとか。その120兆のうち100兆円を井上が1人で占有し、残りの20兆円を1億人で配分するんですよ。井上以外の国民の平均年収は大激減だぜ。そして、日本は井上尚弥の独裁国家になるよ。 「井上尚弥ほどのスーパースターならば、それでも良い」って、オイオイ。いくらボクシングが強くても、ただのボクシングであり、それで家が立ったりステーキが焼かれたりしないでしょ。 やはり、金儲けには程度があり、儲けすぎは国益公益を損ね国民を不幸にします。だから、法律で年収に上限を定めるべきだと思いませんか?例えば、平均年収の1万倍を上限にするとか。それだけあれば、十分に贅沢できるでしょ。足るを知ってください。 「年収に上限なんかを定めてしまうと、それに達した瞬間に国民は努力しなくなる」って反論が聞こえて来そうですが、努力よりも国民の幸福の方が重要でしょ。「努力家」と言えば聞こえが良い。しかし、程度を超えた努力のやりすぎは努力家のエゴ、程々にしろ、国民を不幸に追い込むような努力は止めろ!

みんなの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.2

そのために税金(所得税・法人税・消費税その他)があるのですが… 「いくらお金を稼ごうと自由だけど、たくさん稼いだら税金など応分の負担を求める」というのが、本来あるべき姿でしょう。稼ぐ部分で制限すると税収も制限されて日本が一層貧しくなってしまいます。 それに現実の問題として、国内で支給される給与や役員報酬のようなものは日本の法律で縛れる可能性があっても、海外での収入まで日本の法律では規制できず、また国内でも捕捉が困難な収入はいくらでもあります。仮に日本のプロ野球の年俸に低い上限額が設けられたとすれば、優秀な野球選手は今以上に大リーグ入りを目指すでしょう。全世界で同時に行わない限り、収入の制限は実効性を欠くことは確実です。 さらに上限額の決定が難題です。平均年収の一万倍(400億円以上)などと高くすれば、日本には個人年収が400億円を超える超長者(?)はいそうもないので象徴的な意味しか持たなくなり、かと言って低くすれば自由な経済活動をより大きく阻害してしまいます。 ご質問のような発想が生じるのは、日本ではこの「高収入なら応分の負担」という部分が不十分ではないかということなので、これは改善する必要があります。

回答No.1

お気持ちは、分かります。しかし、どのような法律で縛るかが問題です。個人的には、法人税や所得税が低すぎる気がします。縛るとすれば、これですね。

関連するQ&A