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厳しい環境で育つと険しい顔になるのか

昭和の写真を見ていると、大体みんな険しい顔をしているような気がして、やっぱり生きるのに必死だったからその人の人生を知らないはずなのに「苦労したのかな」と感じる気がします。 逆に、最近の若者とかを見ていて何にも考えてなさそうと言うか、「なんとなく生きてるのかなこの人」というような人は無気力な感じがある気がします。

みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.6

ゼレンスキーの顔を見ると、やはり苦労は顔に現れるように思えます(´・ω・`)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.5

No.2です。少し「昭和の昔話」を捕捉させてください。戦後しばらくの間、都会の繁華街の街角で「街頭写真屋」という商売をする人がいました。見ず知らずの通行人の写真を撮影して(本人の了承を得たうえで)その写真を買ってもらうというものです。 我が家のアルバムにも昭和31年に1歳8か月だった私が20代だった母親と一緒に繁華街の路上で写っている写真が2枚あり、「街頭写真」というコメントが付けられています。(母も撮影されたことを覚えていました) 何を言いたいのかというと、カメラが家庭にあまり普及していなかった時代にも、「身構えない自然な表情の写真が欲しい」という需要が世間にあったからこそこうした商売が成り立っていたと考えられるということです。 私と母の写真も自然な温和な表情でしたが、「昭和の人々の表情」を分析しようとするなら、当時や現在出版された写真集の類ばかりではなく、こうした私的な(今ではそうしたものがあったこと自体忘れられている)「街頭写真」のようなものにも目を向ける必要があります。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.4

昔カメラに使ったフィルムは、感光剤の性能で数十秒〜数分程度の完全停止状態を維持する必要があります。 (風景写真など風で動く木の枝は、停止させられないので霧が発生した様にぼやっとした写真になる。) 人物写真の場合、口の中に入れた綿等で作ったマウスピースを力一杯噛むことで、表情の変化を抑制しています。 (頭等も動かない様に、写真に映らない方向から固定している場合も有ったとか。) ただ、瞬き等は抑えられないので(カメラマンが瞬きさせないようにレンズを睨めと指示している場合もあります。)、古い写真とかは、画家が写真ぽく修正しているのがデフォです。 (若い女性は、お見合い写真用だったりするので、直しすぎて元の面影が無くなる何てことも...。) あと、昔の写真って死んだときに遺影にする事前提だったりするので、笑って撮る発想も少なかったと思います。 ちなみに富士フィルムの創業が1934年だったりして、戦前はフィルムは高級品です。 金持ちの愛好家(写真や映画)が海外の高品質のフィルムを輸入して撮った物は、上記制限に囚われないのですが商売にはならない...。 (フルカラーまであり、その代名詞であるコダッククローム[アメリカ]は、2000年代までフィルム業界で一大勢力があった。デジカメに圧され一回倒産しますが...。)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

いや思うと私も子供の頃の写真はなんだかよそゆきの堅苦しい顔で写ってるんですよね。 昔は写真はフィルムで撮るものでしたから、ちゃんと撮れているかどうかはフィルムを写真屋さんに出して現像してもらうまで分かりません。1枚で何十円もするから、気軽に何枚も撮れません。今はデジタル写真だから、表情が悪かったら「もう一枚撮ろう」というのは簡単です。 なのでフィルム時代の写真というのは、ちょっとよそゆき感はあったんですよね。 やっぱりみんな「撮られ慣れていなかった」というのはあったと思いますね。今はほら、みんな「映え」のために何十枚も自撮りをするじゃないですか。あんなのはできなかった時代だし。 「苦労」という点でいえば、日本の過去百年の歴史の中で一番苦労を知らないのは間違いなく「バブル世代」だと思います。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.2

写真を撮る(撮られる)ということの意味が、昭和の高度経済成長の前と後で大きく変化したことが最大の要因でしょう。 昭和40年代半ばくらいまで、写真を撮るのはお正月や旅行・入学式などあらたまった行事に限られていましたので、どうしても「よそゆき」の格好で表情も硬くなりがちでした。すべての家庭にカメラがあったわけでもなかったのです。 その証拠に、昔の昭和の写真でも家族や親しい人が撮影したスナップ写真(この言葉も死語かな?)では、厳しい環境下でも険しい表情ではないものが大半です。出版物の一例をあげれば、「日本-一九五五年十月八日-」という岩波写真文庫があります。これは昭和30年10月8日に全国各地で撮影された多数の写真を並べた写真集ですが、大多数の写真に写っている日本人は特に険しい表情ではなく、現在とあまり違いません。 「昭和時代は厳しい環境だったから人々はみな険しい表情をしていた」という見方は回答者の体験からも一面的で適切ではないと思います。 スマホやデジカメの時代になって写真の持つ意味はさらに変わり、「あらたまって険しい表情」ではなく「映えを意識した表情」の写真が多くなりました。真を写すという観点からはどちらも少し距離がありそうです。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1979/7610)
回答No.1

そうですね。

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