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天下取り
甲斐の武田は征夷大将軍になるチャンスはなかったのでしょうか?
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甲陽軍記には、その様な記載が無いので、武田家は領地拡大の目論見は有りましたが政権への野心はなかったと思います。 朝日将軍木曽義仲の最期を知っていますから・・・ 武力で政権を奪取出来ても運営のノウハウが無いと木曽義仲の 二の舞になりますから。 それと、甲斐の金山も枯渇して来たので軍資金も足りません、 甲斐国は農業に適した土地が少ないので、年貢の収入はそれ程、 望めないのです、領地にした信濃も同様な国情で兵員は増えても 軍資金はさ程、増えていないのです。 織田信長は天下布武の目標を掲げて、商業を活発にしているのとは 違いますね。
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- eroero4649
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、八嶋智人さんが演じた武田信義という人物が出てきます。この武田信義は戦国時代の武田氏つまり武田信玄のご先祖にあたる人です。 その武田信義は、源頼朝への謀反を企んだとして殺されてしまいます。これは事実です。そしてドラマでは、謀反を咎められた場面で八嶋さんがこんなことをいいます。 「謀反とは何か!謀反とは、家人が主人に対して行うこと。わしは一度も頼朝を主人と思ったことはないわ!」 この台詞は三谷幸喜さんの創作ですが、これは信義の本音だったと思います。当時の家の格式において、甲斐武田氏は源頼朝より格下ということはなかったのです。史実の信義も終始自分が頼朝の家臣であるという意識はなかったと思います。 なので家柄の格からいえば、甲斐武田氏も清和源氏の由緒ある家柄ですから、征夷大将軍になる「家柄の格」はあるということになるかと思います。 しかし家の格式があるからといっても、それがもらえるかどうかは全く別の話です。征夷大将軍の官位を与えるのは天皇の権限ですから、少なくとも天皇を確保しないともらえませんね。 あと官位は順番がありますので、そのステップを踏んで官位を上げていかないと、突然くれといってもらえるものでもありません。
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なるほど。ありがとうございます。
- SPIKE-NLOS
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甲斐の武田氏は、征夷大将軍になるチャンスはありませんでした。 征夷大将軍は、平安時代から鎌倉時代にかけて任命された将軍の一つで、「夷」征討に際し任命された将軍(大将軍)の一つです。 また、武田氏は戦国時代にかけて栄えた武家・士族であり、室町幕府の守護大名を経て、戦国大名化しました。 [甲斐の武田は征夷大将軍になるチャンスはなかったのでしょうか? - 教えて!goo](https://oshiete.goo.ne.jp/qa/100787.html) [征夷大将軍 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D) [武田氏 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B0%8F)
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大変勉強になりました。ありがとうございます。
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なるほど。ありがとうございます