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戦国史のことで2つの質問
1.設楽が原の戦いで織田軍が柵を作っている間に武田軍が攻撃しなかったのは何故ですか? 柵が完成する前に攻撃すれば勝てたかも… 2.織田軍は長槍を上下に振りながら敵を敵を圧倒する戦法を用いたそうですが他国ではどうなのでしょう? 織田軍独特のものですか? よろしくお願いいたします。
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1 織田軍が到着したとき、武田軍は長篠城を攻撃している最中でした。攻撃を中止して、軍をまとめて方向転換するには早くても丸一日はかかるでしょう。 織田・徳川連合軍が到着したとき、長篠城は落城寸前でした。鳥居強右衛門が降伏を勧めるフリをして救援が来たことを伝えて処刑された話は質問者さんもどこかで聞いたことがあると思います。だから武田軍としては先に長篠城を攻略できると思っていたと思います。 また当時の軍事の常識からして、救援に向かった城が落城してしまったら救援軍は撤退するものでした。 2 「雑兵物語」という本に「槍はみんなで心をひとつにして上から叩く」と解説されていたので、おそらく当時の足軽の戦い方としては槍は上下に振り下ろすのが一般的だったのだろうといれています。 足軽部隊は集団で列を成します。例えば三列になれば、槍は三層の段となります。これを「突く」となると、後ろの列の人に槍の尻が当たって邪魔になります。しかし上下に振るのであれば後ろの人の邪魔になりません。 上下に振った方が集団戦法では合理的だろうと思われます。
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- gunsin
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1.本当の処は解らないですが、家康が三方ヶ原に誘い込まれて、 大敗した地形と似ているから様子見るのは当然の事でしょう。 2.人間の考える事は同じですから、他の戦国大名も持っています 何せ、幼少の頃より武闘訓練した武将と長槍を持たせれば足軽が 短期間で対等?戦力になるのですから、それよりも短期間で 戦力になるのが鉄砲です。
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返信ありがとうございます。 地形を読むことで攻撃に慎重さが求められる、 武器と戦法・戦術は自然他国にも伝播していくわけですね。
- oska2
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>.設楽が原の戦いで織田軍が柵を作っている間に武田軍が攻撃しなかったのは何故ですか? 武田軍は、そもそも設楽原での戦闘を計画していません。 フィクションである「どうする家康」では、珍しく史実に忠実だった場面がありましたよね。 家康軍が、信長軍とは別に単独で武田軍を側面から攻撃。 結果として、武田軍は防御策へ攻撃をする事になったのです。 最近の研究では、武田軍も信長軍と同程度の火縄銃を持っていた様です。 ただ残念なのは、弾薬がなかった事。 火薬・弾ともに国産だった武田軍。堺経由で海外から仕入れた信長軍。 物量作戦の結果ですね。 >織田軍は長槍を上下に振りながら敵を敵を圧倒する戦法を用いたそうですが他国ではどうなのでしょう? 長槍の場合は、信長軍だけの武術ではありません。 当然、他国の武将軍も同じく「上下運動で、敵を倒す」のです。 ただ、接近戦では不利+鉄砲に無力ですから秀吉以降は長槍の出番は少なくなっています。 >織田軍独特のものですか? 考えを持ったのは、信長が最初でしよう。 斎藤道三に挨拶に行く時に、長槍部隊を伴っています。 「長槍なんか、役に立たないじゃないか」と述べた道三の部下に対して、道三は「流石、婿殿」と言った記録が残っています。
お礼
返信ありがとうございます。 なるほど酒井忠次の側面からの攻撃で武田軍の戦術プランが変更を強いられたわけですね。 他国も長槍の「上下運動で、敵を倒す」方式を用いていたのですね。
- head1192
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1.あの程度の柵なら数時間もあれば出来上がる。 資材はあらかじめ足軽に担がせていればよい。 武田軍が城の囲みを解いて設楽が原に向かうまでに完成してしまう。 部署替えや敵地での行軍などでどうしても時間を食うのである。 「ここなら敵の到着前に陣を構えられる」という計算もあったはずである。 2.回答不能
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返信ありがとうございます。 なるほどスピードを重視する信長なら数時間で柵を構築したかも。
お礼
返信ありがとうございます。 なるほど長篠城が落城寸前で“当時の軍事の常識からして、救援に向かった城が落城してしまったら救援軍は撤退する”という点が重要となるわけですね。 “「突く」となると、後ろの列の人に槍の尻が当たって邪魔になる”このことも成程もっともです。