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金解禁が「嵐に向かって窓を開けたようなもの」とは?
昭和五年に浜口内閣が、「金解禁」を断行します。 しかし、のちに「嵐に向かって窓を開けるようなもの」と言われることになり、結果として、大量の金流出と物価下落(デフレ)を生み、不況は一層深刻化し、経済は壊滅的な打撃を受けました。 金解禁とは、通貨と金とを交換することですが、それがこのような結果を生むメカニズムを教えてください。 アメリカの大恐慌の影響があると聞きますが、どう関係しているのでしょうか? そもそも幕末から明治にかけては通貨と金とは交換できたと思いますが。 浜口内閣の狙いは何だったのでしょうか? トンデモ政策だったのでしょうか?
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ありがとうございます。 とてもわかりやすいサイトでした。感謝です! ・物価が下がっても輸出は、教科書どおりには増えない。 ・世界恐慌の影響と投資家の利食いで、正貨の流出が続く。 ・通貨も減らさざるを得ず、デフレがますます加速。 ・緊縮予算が、不況対策の足かせとなる。 ・イギリスの金本位制離脱と満州事変の勃発という不測の事態発生。 どうやら信じた理論「金本位制の持つ自然の自動調整作用」が、間違っていたようですね。 「経済」とはもっと、なまなましいものだったわけです。 いくら「男子の本懐」と言い放っても、招いた結果責任は重大です。 日本経済は、未曾有の不況に突入し、軍部独走の道をひらくきっかけとなりました。