• ベストアンサー

華族の制度の廃止について

戦後、華族の制度は、なぜ廃止されたのですか?貴族院を残すという議論は、なぜ起きなかったのですか?余談ですが、昭和天皇は、「堂上華族だけでも、なんとかならぬか。」と言ったそうです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12513)
回答No.2

>戦後、華族の制度は、なぜ廃止されたのですか? ⇒以下のとおりお答えします。 一言で言えば、その戦争で負けたことでしょうね。戦後日本の旧制度解体を命じたGHQ(米国軍総司令部)としては、「この戦争をけしかけた張本人とも言える華族や貴族の特権の温存を容認するなどとんでもない」というのが本音で、そういう階級の解体こそが狙いの中核だったのですから。 時の日本国政府内で、「(天皇の皇室典範改正の発議権の留保とともに)華族廃止については、堂上華族だけは残す」という二点についてアメリカ側と交渉すべきか議論が行われましたが、時の司法大臣(岩田宙造)から「このような大変革の際に、陛下の思召として米国側にこんな提案をするのは国内外に対してどうかと思う」といった反対意見が出され、他の閣僚もこれに同調したことから、やむをえないとして断念されたという経緯があります。 以下に、《https://ja.wikipedia.org/wiki/華族》から、該当部分を引用しておきます。 《廃止[編集]:1947年(昭和22年)5月3日、法の下の平等、貴族制度の禁止、栄典への特権付与否定(第14条)を定めた日本国憲法の施行により、華族制度は廃止された。 当初の憲法草案では「この憲法施行の際現に華族その他の地位にある者については、その地位は、その生存中に限り、これを認める。但し、将来華族その他の貴族たることにより、いかなる政治的権力も有しない。」(補則第97条)と、存命の華族一代の間はその栄爵を認める形になっていた。昭和天皇は堂上華族だけでも存置したい意向であり、幣原喜重郎首相に対して「堂上華族だけは残す訳にはいかないか」と発言している。自ら男爵でもあった幣原もこの条項に強いこだわりを見せており、政府内では「1.天皇の皇室典範改正の発議権の留保」「2.華族廃止については、堂上華族だけは残す」という二点についてアメリカ側と交渉すべきか議論が行われたが、岩田宙造司法大臣から「今日の如き大変革の際、かかる点につき、陛下の思召として米国側に提案を為すは内外に対して如何と思う」との反対意見が出され、他の閣僚も同調したことから、「致方なし」として断念された。結局、華族制度は衆議院で即時廃止に修正(芦田修正)して可決、貴族院も衆議院で可決された原案通りでこれを可決した。》 >貴族院を残すという議論は、なぜ起きなかったのですか? ⇒当時の貴族院は、文字通り「華族・貴族の特権擁護」をするための存在でもあったわけですから、敗戦後の流れとして存続が認められるべくもなかったわけですね。その代りに設置されたのが「参議院」で、この名称のなかに貴族色を一掃しようとする意識を込めていることが分かります。 ちなみに、華族・貴族の全般、およびその周辺状況などに関する問題や説明については、上記の《https://ja.wikipedia.org/wiki/華族》に詳しく載っていますので、ご参照ください。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

その他の回答 (1)

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1842/3559)
回答No.1

 廃止の理由としては日本国憲法の施行、つまりアメリカ側の意向を強く反映したものですから、パワーバランスとして現実的ではなかったという事でしょう。  また華族は明治維新前の公家や武士から移行した地位で、歴史も80年弱しかありません。経済的にも困窮していた家も多いようですし、華族側からの反発も少なかったのではないでしょうか。