• ベストアンサー

ご回答お待ちしています。

「電車内などの他人もいる状況で、自分の態度や言動などがどういったものであれ、他人はそこまでこちらに関心を寄せはしない」 (など)のように書く(言う)場合、 その「言動」や「態度」がどういった内容であれ、という意味であることは間違いないと思うのですが、その「言動」を何回するか、その「態度」を何回とるかに関わらず、という意味も含まれているのでのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.11

質問者からの補足にお答えします。 >「本人だけではなく、他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいる、すべての場所やすべての状況など」 の「本人だけではなく~他人もいる」が 「すべての場所やすべての状況など」にかかる文法的な仕組みはどういったものでしょうか? ⇒「本人だけではなく~他人もいる」が形容詞節だからです。形容詞節の基本的機能は形容詞のそれと同じですので、後に来る名詞を修飾するわけですが、その名詞(類)が複数個あっても、それらが並列される限りはそのすべてにかかるのです。 他の例:「きれいな花の咲く梅、桜、桃」では、「きれいな花の咲く」という形容詞節が「梅、桜、桃」を修飾し、「よく働いた営業部のA氏、B氏、総務部のC氏、および大阪支社のD氏の4名が揃って受賞しました。」では、「よく働いた」という形容詞節が「営業部のA氏、B氏、総務部のC氏、および大阪支社のD氏の4名」を修飾しています。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 今回下さったお答えは、 『「本人だけではなく、他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいる、すべての場所やすべての状況など」 の「本人だけではなく~他人もいる」が 「すべての場所やすべての状況など」にかかっている文法的な仕組みはどういったものでしょうか?』 (など) というような質問でも(であっても)何一つ変わらない(変わっていない)でしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 お答えですが、 『「本人だけではなく、他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいる、すべての場所やすべての状況など」 の「本人だけではなく~他人もいる」が 「すべての場所やすべての状況など」にかかっている文法的な仕組みはどういったものでしょうか?』 (など) というような質問でも(であっても)何一つ変わらない(変わっていない)でしょうか?

その他の回答 (10)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.10

質問者からの補足にお答えします。 >(3) の、いや、省略できというより省略した方がよいと思います。 は、冗長だからでしょうか? ⇒はい、まさしくおっしゃるとおりです。 (「冗長」は「舌足らず」より、読者を苛立たせる面があります。)

shinleo1918
質問者

お礼

すみません、最新の質問のお答えへの補足とお礼の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 今回下さったお答えは、 『「本人だけではなく、他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいる、すべての場所やすべての状況など」 の「本人だけではなく~他人もいる」が 「すべての場所やすべての状況など」にかかっている文法的な仕組みはどういったものでしょうか?』 (など) というような質問でも(であっても)何一つ変わらない(変わっていない)でしょうか? 唯一あるとすれば、 「その名詞(類)が複数個あっても、それらが並列される限りはそのすべてにかかっているのです。」 という感じでしょうか。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 確かに冗長な気もするかもですね。 そのうえで一応お聞きしますが、 「本人だけではなく、他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいる、すべての場所やすべての状況など」 の「本人だけではなく~他人もいる」が 「すべての場所やすべての状況など」にかかる文法的な仕組みはどういったものでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.9

質問者からの補足にお答えします。 >②ですが、 「人は他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいるすべての場所などで」は、 そこにいる他人は(すべて)いつどんなときもそこにいる場合に限っては「誰であれ」という意味になる(なっている)ということでしょうか? ⇒はい、そのとおりです。 なお、お書きの元の表現、「人は他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいるすべての場所などで…」は、無駄な部分を省略したり、語順を入れ替えたりすれば、もっと簡潔で自然な表現にすることができそうに思います。 例えば、こうです。 (1) 「人は他人」の直後の位置で切るより、「人は、他人もいる場所」まで続けて、その後にダッシュ(または読点)を入れるとよい。 (2) 「それ」と「その1人ひとり」をダブる必要はない。(「その1人ひとり」が入ると強調の効果はあるかも知れませんが、一瞥した瞬間は、それよりむしろ冗長の印象の方が強く感じられます。) (3) 「場所」という言い方は、例えば、「電車の中で」などと違って抽象的な表現なので、「すべての」や「など」の意味を内包する(または暗示する)と見なすことができる。ゆえに、これらの語句は省略できます。いや、省略できというより省略した方がよいと思います。 ということで、まとめると、最も簡潔で自然な表現としては、 「人は、他人もいる場所で ―それが誰であれ― その他人を見ていないのが常である。」 とすることができると思います。

shinleo1918
質問者

お礼

最新の質問に対する最新のお答えへの補足(お礼)の訂正をこちらにさせていただきます。 お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての質問やすべてのお答えなどを踏まえお答え願います)、 今回下さったお答えはすべて、 元の二つの質問が 「あまねく人々はすべて」と 「あまねく人々はみな」と 「あまねく人々はすべて(みな)」と 「あまねく人々はみな(すべて)」 は(常に)、(その(それらの)、)意味(すべて、文章全体で見たときも含む)やその他すべて(は(が))全くもって同じでしょうか? と (上記のすべてのお答えを踏まえお答え願います)、 上のどの選択肢であれ(であっても)、 今まで下さった(下さっている)すべてのお答えは(常に)何もまったく変わらない(変わらなかった/変わっていない)でしょうか? という質問でも(であっても)何もまったく変わらない(変わらなかった/変わっていない)でしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 〉(3) の、いや、省略できというより省略した方がよいと思います。 は、冗長だからでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.8

「補足の訂正」にお答えします。 >「人は常に①、他人ーそれ、その一人ひとりが常に②誰であれーもいるすべての場所などで、その他人を見ていないのが常で③ある。」 (など)のようにすると意味はどうなるでしょうか? ⇒同義反復があって、ひどく冗長な感じを与えますね。 ①と③は、意味がダブりますので、二者択一(どちらか一方)にしないといけません。②は無用です。これがあると、ほとんど非文に近い表現になってしまいます。 ということで、この文を改善しようとすると、次の2つのいずれかになると思います。 A.「人は常に、他人 ―それが誰であれ― もいる場所で、その他人を見ていない。」 B.「人は、他人 ―それが誰であれ― もいる場所で、その他人を見ていないのが常である。」 これなら、ABどちらも、甲乙つけがたい表現になると思います。

shinleo1918
質問者

お礼

何度もすみません。 最新の質問に対する最新のお答えへの補足(お礼)の訂正の訂正をこちらにさせていただきます。 お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての質問やすべてのお答えなどを踏まえお答え願います)、 今回下さった(下さっている)お答えはすべて、 元の二つの質問が 「あまねく人々はすべて」と 「あまねく人々はみな」と 「あまねく人々はすべて(みな)」と 「あまねく人々はみな(すべて)」 は(常に)、(その(それらの)、)意味(すべて、文章全体で見たときも含む)やその他すべて(は(が))全くもって同じでしょうか? と (上記のすべてのお答えを踏まえお答え願います)、 上のどの選択肢であれ(であっても)、 今まで下さった(下さっている)すべてのお答えは(常に)何もまったく変わらない(変わらなかった/変わっていない)でしょうか? という質問でも(であっても)何もまったく変わらない(変わらなかった/変わっていない)でしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 では、 ②ですが、 「人は他人ーそれ、その1人ひとりが誰であれーもいるすべての場所などで」は、 そこにいる他人は(すべて)いつどんなときもそこにいる場合に限っては「誰であれ」という意味になる(なっている)ということでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.7

質問者からの補足にお答えします。 >「人は他人もいる場所などで、他人、その人がどんな人でどんな様子であれ、をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)のようにした(する)場合、 「人は他人もいる場所などで、他人、その人が常にどんな人で常にどんな様子であれ、をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)のようにしなくても 「どんな人で」と「どんな様子」のどちらにも「常に」やその間(自分と他人が同じ空間などにずっといる間)「他人が(どんな言動などを)何回行っていようと(していたとしても)」 というような意味(など)が含まれ(含まれるていることは変わらないでしょうか? ⇒はい、ほとんど変わらないと思います。ところで、考えてみたら、読点を適正な位置に置いて助詞を転位すると、より自然な表現になることに気づきました。つまり、「人は他人もいる場所などで、他人、その人が常にどんな人で常にどんな様子であれ、をほとんど見てはいないないのが常だ。」でなく、「人は他人もいる場所で他人を、その人がどんな人でどんな様子であれ、ほとんど見ていないのが常だ。」とするのです。 >また、「見てはいないのが常だ。」は 「見ていないのが常だ。」とするのと どう違うのでしょうか? ⇒「は」がある場合と、ない場合ですね。ほとんど同じだと思います。「は」がある場合の方が、幾分強調するような表現になりますね。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 確かに自然な表現な気もしますね。 ちなみに、 「人は常に、他人ーそれ、その一人ひとりが常に誰であれーもいるすべての場所などで、その他人を見ていないのが常である。」 (など)のようにすると意味はどうなるでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 確かに自然な表現な気もしますね。 ちなみに、 「人は常に、他人ーそれ、その一人ひとりが常に誰であれーもいるすべての場所などで、その他人を見ていないのが常である。」 (など)のように、 「人は常に」や「が常にであれ」(など)のようにすると、意味はどうなるでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.6

質問者からのお礼でお尋ねの件にお答えします。 >「見ている」に「常に」をかける場合は、 「見てはいないのが常だ。」 のようにするのがよいとのことですが、 「人は他人もいるすべての場所などで、他人をほとんど見てはいない。」 (など)のようにすれば、 「人は他人もいる場所などで、他人をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)というようなのと同じ意味になるでしょうか? ⇒「場所など」は、適合する場面を広げるだけですので、「他人をほとんど見てはいない」ことの恒常性を保証する「~が常だ」と同じ意味にはならないと思います。 >そうであれば、どちらも「例外はない」ということになるのか、また、仮に「例外はありうる」とすれば、それぞれ「例外」は絶対にないということを示すために、それぞれにどういう表現を加えればよいでしょうか? ⇒適当な位置に「例外なく」とか「間違いなく」を挿入すればいいかも知れませんが、その「適当な位置」がなさそうな気もしますね。もっとも、元の「人は他人もいる場所などで、他人をほとんど見てはいないないのが常だ。」 で「例外なく」が十分了解されると思いますが。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 「人は他人もいる場所などで、他人、その人がどんな人でどんな様子であれ、をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)のようにした(する)場合、 「人は他人もいる場所などで、他人、その人が常にどんな人で常にどんな様子であれ、をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)のようにしなくても 「どんな人で」と「どんな様子」のどちらにも「常に」やその間(自分と他人が同じ空間などにずっといる間)「他人が(どんな言動などを)何回行っていようと(していたとしても)」 というような意味(など)が含まれ(含まれるていることは変わらないでしょうか? また、「見てはいないのが常だ。」は 「見ていないのが常だ。」とするのと どう違うのでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.5

質問者からの補足にお答えします。 >②の「常に」と言うのは、 例えば、 私が他人もいる場所や状況などにいる場合、私が認知できるその他人が、私の認知できる範囲にいる間に限り、その他人がその間ずっとどんな身なりやどんな言動を繰り返していようと、私はその他人を見みていない(気にしていない)、 というような意味です。 ⇒なるほど、分かりました。 >このような場合、 「常に」はなくとも、「常に」やその間(自分と他人が同じ空間などにずっといる間)「他人が(どんな言動などを)何回行っていようと(していたとしても)」 という意味になる、ということでしょうか? ⇒はい、おっしゃるとおりです。

shinleo1918
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに、 「見ている」に「常に」をかける場合は、 「見てはいないのが常だ。」 のようにするのがよいとのことですが、 「人は他人もいるすべての場所などで、他人をほとんど見てはいない。」 (など)のようにすれば、 「人は他人もいる場所などで、他人をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)というようなのと同じ意味になるでしょうか? またそうであれば、どちらも「例外はない」ということになるのか、また、仮に「例外はありうる」とすれば、それぞれ「例外」は絶対にないということを示すために、それぞれにどういう表現を加えればよいでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに、 「見ている」に「常に」をかける場合は、 「見てはいないのが常だ。」 のようにするのがよいとのことですが、 「人は他人もいるすべての場所などで、他人をほとんど見てはいない。」 (など)のようにすれば、 「人は他人もいる場所などで、他人をほとんど見てはいないないのが常だ。」 (など)というようなのと同じ意味になるでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.4

補助の訂正にお答えします。 >①に対するお答えを踏まえると、 「他人ーそれ、その一人ひとりが誰であれーもいる場所」 や 「他人をーそれが一人であれば、それがどんな人であれ、その一人をーそれが多勢であれば、それらがどんな人であれ、そのすべてをー見ていない。」 (など)という感じでしょうか? ⇒まあ、そんなところですが、回りくどい感じがしますね。もっと簡潔に言いたいですね。最大限簡潔にすればこうなります。なお、ダッシュは漢数字の一と紛らわしいので、キッコウを用いておきます。「人は他人も〔それが誰であれ〕いる場所で」とか、「人は他人を〔それが一人であれ、大勢であれ〕誰のことも見ていない。」 >さらに、 ②ですが、 私の質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、 「常に」というのが「見ていない」にではなく、 「他人のする言動などが「常に」どんなものであれ」という風に、他人の言動など(その場などにおける)に掛けたい場合、どうすればよいでしょうか? ⇒その「常に」の意味は何ですか? 「主語である人」と会っていないときも含んでしまいますよ。おっしゃるように、「他人の言動など(その場などにおける)に掛けたい場合」なら、この「常に」は要りません。なぜなら、「主語である人」は、その他人と会っているときしかその人の言動は目撃することはないのですから。

shinleo1918
質問者

お礼

すみません、最新のお答えに対するお礼と補足ですが、お礼が補足の訂正となっています。 よろしくお願いいたします。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ②の「常に」と言うのは、 例えば、 私が他人もいる場所や状況などにいる場合、私が認知できるその他人が、私の認知できる範囲にいる間に限り、その他人がその間ずっとどんな身なりやどんな言動を繰り返していようと、私はその他人を見みていない(気にしていない)、 というような意味です。 このような場合、 「常に」はなくとも、「常に」やその間(自分と他人が同じ空間などにずっといる間)「他人が(どんな言動などを)何回行っていようと(していたとしても)」 という意味になる、ということでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.3

質問者からの補足(転置)を拝見しました。 >① 「他人、それ、その一人ひとりが誰であれ、もいる(、)場所」 (など)のように書く(言う)場合、 「誰であれ、もいる」 と 「誰であれもいる」 のどちらが(より)正しいでしょうか。 ⇒どちらかと言えば、「誰であれ、もいる」の方が(より)正しいです。というか、「正しいに近い」と言った方がいいかも知れません。さらに言えば、このままでなく、「他人 ―その一人ひとりが誰であれ― もいる場所で…」のように、ダッシュ(あるいはカッコ)で囲むといいでしょう。 >上の①と②のすべてをひとつに内包した表現の一つとして、 「どんな人で(あれ)どんな様子であれ」 があるとのことですが、この場合でも、 ①と②の両方のすべてが「常に」そうであるかということは関知せず、「常にどんな人で(あれ)常にどんな様子であれ」(など)のようにすれば、 「他人もいる(すべての)、場所や状況などにおけるその他人のそこでの身なりや言動などのすべてが常にどうであれ」という意味になるでしょうか? ⇒「常に」なる副詞は使い方に注意を要します。「常に…とは限らない」という《部分否定》と混同される恐れがあるからです。そこで、本件の場合、「常に」を副詞として用いず、「…するのが常だ」のように、用言として用いるといいかも知れません。つまり、こうです。 「ほとんどの人は街中などで他人を ―その人がどんな人であれ、どんな様子であれ― 見てはいないのが常だ。」

shinleo1918
質問者

お礼

補助の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 ①に対するお答えを踏まえると、 「他人ーそれ、その一人ひとりが誰であれーもいる場所」 や 「他人をーそれが一人であれば、それがどんな人であれ、その一人をーそれが多勢であれば、それらがどんな人であれ、そのすべてをー見ていない。」 (など)という感じでしょうか? さらに、 ②ですが、 私の質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、 「常に」というのが「見ていない」にではなく、 「他人のする言動などが「常に」どんなものであれ」という風に、他人の言動など(その場などにおける)に掛けたい場合、どうすればよいでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ①に対するお答えを踏まえると、 「他人ーそれ、その一人ひとりが誰であれーもいる場所」 や (その人がどんな人であれ、などを間にいれる場合は) 「他人をーそれが一人であれば、それがどんな人であれ、その一人をーそれが多勢であれば、それらがどんな人であれ、そのすべてをー見ていない。」 という感じでしょうか? さらに、 ②ですが、 私の質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、 「常に」というのが「見ていない」にではなく、 「他人のする言動などが「常に」どんなものであれ」という風に、他人の言動など(その場などにおける)に掛けたい場合、どうすればよいでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.2

以下のとおりお答えします。 >「電車内などの他人もいる状況で、自分の態度や言動などがどういったものであれ、他人はそこまでこちらに関心を寄せはしない」 (など)のように書く(言う)場合、 その「言動」や「態度」がどういった内容であれ、という意味であることは間違いないと思うのですが、その「言動」を何回するか、その「態度」を何回とるかに関わらず、という意味も含まれているのでのでしょうか。 ⇒一言で言えば、「言動や態度の回数」については、この表現の関知することではありません。 どういうことかと言いますと、「電車内などの他人もいる状況で、自分の態度や言動などがどういったものであれ、他人はそこまでこちらに関心を寄せはしない」という表現では、その「言動」を何回するか、その「態度」を何回とるかといったことに関しては何も言及されていない、ということです。つまり、だだ1回だけとも指定されていませんし、何回でもよいといった意味も含まれていません。 ということは、「言動などの回数」については、発話者の決めることでなく《聞き手の解釈にゆだねられている》ことである、と言えます。ですから、《その「言動」を何回するか、その「態度」を何回とるかに関わらず、という意味も含まれている》と解釈する人もいるでしょうし、《含まれていない》と解釈する人もいる、と言えることになります。

shinleo1918
質問者

お礼

なるほど。 ありがとうございます。

shinleo1918
質問者

補足

すみません、先程までお答えいただいていた質問を閉じたので、そちらでさせていただいている最新の質問の訂正のほうをこちらにさせていただきます。 補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 また、更に二つほどお尋ねさせていただきます。 ① 「他人、それ、その一人ひとりが誰であれ、もいる(、)場所」 (など)のように書く(言う)場合、 「誰であれ、もいる」 と 「誰であれもいる」 のどちらが(より)正しいでしょうか。 ② 先の質問に対する回答で、 ①「どんな人であれ」は、《人》についての限定(非限定)なので、表現を拡大して含まれるのは、「誰であれ」・「どんな身なりの人であれ」・「どんな行動をしている人であれ」のように、対象はあくまでも人でなければならないと思います。 ②もしも、「どんなであれ」という表現なら、《様子》についての限定(非限定)なので、表現を拡大して含まれるのは、「どんなであれ」・「どんな身なりであれ」・「どんな行動中であれ」のように、対象は様子・身なり・振る舞いなどにまで拡大され得るでしょう。 上の①と②のすべてをひとつに内包した表現の一つとして、 「どんな人で(あれ)どんな様子であれ」 があるとのことですが、この場合でも、 ①と②の両方のすべてが「常に」そうであるかということは関知せず、「常にどんな人で(あれ)常にどんな様子であれ」(など)のようにすれば、 「他人もいる(すべての)、場所や状況などにおけるその他人のそこでの身なりや言動などのすべてが常にどうであれ」という意味になるでしょうか?

  • x7bljpguT
  • ベストアンサー率37% (48/128)
回答No.1

一般論で話している限り例外は当てはまりません。 なので特定の行動を何回も繰り返す、例外的行為があれば人目につくでしょうから、態度も人は見るでしょう。

関連するQ&A