拒絶や難色を示す日本人の言葉やジェスチャーについて
あけまして、おめでとうございます
海外の新人日本語教師です。日本文化が大好きで、生徒さんに日本人の行動意識をよく理解してもらうため、本やネットからの関連知識や日本人からのご助言をを参考に自分なりに「日本人の拒絶や難色を示す日本人の言葉やジェスチャーについて」と言う文章をまとめてみました。これからの日本語授業に使ってみたいと思っています。
しかし、いま自信がない所はあります。
1、 その文章の中の説明は正しいでしょうか。
2、 文章全体の日本語には間違っている所はありませんか。
周りに日本人の方がいらっしゃらないので、ここを利用して、生粋の日本人の方に以上の二点についてご訂正をお願いいたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。
下記はその文章です。
拒絶や難色を示す日本人の言葉やジェスチャーについて
日本人が人のことを断る時に、どうも直接の「NO」は大変言い辛いようで、代わりに「考えておく」などの曖昧な言葉やジェスチャーが好まれています。それでは、関連の言葉とジェスチャーを分けて説明しましょう。
拒絶や難色を示す日本人の言葉
多くの外国人にとっては、日本語の一番難しい所は日本語という言語自身というより、日本語特有の曖昧な表現ところです。
たとえば、日本人は、自分の意見や感想などをはっきり示さず、ぼやかしてなんとなくにおわすようなことが多くあります。
こういう日本語の曖昧な表現の一つは、日本人特有のような拒絶方法です。
「考えておきます」、「難しいですね」、「前向きに検討します」、「ちょっと…」などの言葉を聞いたことがありますか。こういう言葉は、大抵遠回しに断るという意味です。
1、「考えておきます」
「考えておきます」という日本語は、確かに直訳すると「考えるということをしておく」ですが、意訳すると「やんわりとお断りします」なんです。
やや極端ではありますが、以下に例をあげます。
Aさん「これを買ってください」
Bさん「考えておきます」=『せっかくですが買う気はありません。ごめんなさいね』
さすがに、やや極端ではありますが、そういう意味合いに近いのです。つまり、そもそも「考えておきます」を本当に考えることだと解釈すること自体が間違っているのです。
しかし、海外の人は「考えておきます」と言われれば、本当に考えてくれるのかなと思うかもしれません。それで、何度も「その後どうなったか」という問い合わせを受けてうんざりする日本人も多くいるのです。似た言い方は「考えさせてください」などがあります。
日本人同士間なら、たいてい「考えておきます」の意味がわかるので、以下のような会話をします。
Aさん「これを買ってください」
Bさん「考えておきます」
Aさん「考えるなんておっしゃらずに、いい商品なんですよ」
Bさん「はいはい、検討しておきますよ」
Aさん「明日になればなくなっちゃいますよ。じゃあ、値下げしましょう。よろしけば、訪問して商品の説明もします。そのうえで買うか決めてくださいよ」
2、「難しいですね」
日本人は何か提案を受けた場合、よく「難しいですね」という風に相手に応答します。ほとんどの場合、その意味するところはノーです。すなわち、相手に失礼にならないように、婉曲に断っているのです。
しかし、海外の人が言葉通りそれを受取れば、「難しいのはわかる。だから何が難しくて、どのように克服すればいいのだろうか」ということになってしまいます。
3、「ちょっと」
日本語を学ぶ外国人は「ちょっと」は「少し」という意味だと習いますが、それを基幹に、たとえば「ちょっと難しいです」、「ちょっと考えさせてください」などは否定的内容の前置きとして、文内容を軽減し、婉曲的な表現にすり換えられる働きもあります。さらに、否定的内容の前置きから独立して、単独にやわらかい拒絶方法として日本語の中で使用されています。断りを受けやすくするためです。
たとえば、「(日曜日は)ちょっと...。」と言いさし、重要な述部を省略してしまう表現形式をとり、話し手が相手の期待にそえず申し訳ないという意味を創りだします。同時に、言いにくい述部を聞き手に察してもらう方法をとることで、話し手の意思決定に聞き手を参加させ、共同作業の会話に引き込みながら断りの了解を得ることができるのです。
4、「前向きに検討します」
本当に検討する場合もありますが、基本的に「何もやりませんよ」という意味です。これと似たものは「善処します」などがあります。
以上の典型的な拒絶用語のほか、何か論争するとき一応相手の見方を認めた上で、それから自分の違う意見を述べるという柔らかい方法もあります。
たとえば、グループディスカッションのとき、明らか間違った相手に、日本人が「それもいいんですが、私は…と思います」と相手を傷つけないように言う日本人が多いです。
また、言葉のニュアンスでは、「あ~あ、やっちゃいました。」、「ふう~、つかれた。」、「やれやれ、まいった。」、「それ、まじかよー」、「はいはい、わかりましたー。」なども日本人が拒絶や難色を示すものです。
拒絶や難色を示す日本人のジェスチャー
以上は日本人の対立を避けるための断りとしての曖昧な言葉です。言葉の他に、日本人のあるジェスチャーからも日本人の真意を洞察できるのです。
どんな国や民族でも、相手に意思を伝えるためのプロトコール、即ち無言のサインを持っています。その多くは無意識に行われているのです。
日本人の拒絶や難色を示すジェスチャーとしては数種類あります。
1、反撃せずに黙って聞いている(黙っているところがすでに怒っている証拠)。
2、後頭部に手をおいて、多少首を傾けながら、歯の間から息を吸い込むこと。
3、いやそうな顔しながら(眉間にしわをよせて)目を閉じて横を向く。
4、すうーっと息を吸い込み体を後ろに下げて行ったとのこと。
5、ため息です。これは、思うようにならないとき。
6、手を体の前面で手のひらを右もしくは左に向けて左右に振る。
7、くさい匂いを嗅いだときみたいな表情。
8、眉間(みけん)にシワをよせる。
9、相手から目をそむける。
10、顔を左右に振る。
11、下を向く(うつむく)。
12、手で顔を隠す。
13、手で耳をふさぐ。
などが主な行動だとお思います。
もちろん、拒絶や難色を示す物事や人物との関わり事の重大さでジェスチャーの大きさや表現の仕方が違います。それは個人でも違いますし、地域でも差があります。
その僅かな違いを日本人は読み取り、相手がどの程度その事に対して拒絶しているのかを判断します。
ですので外国人だと難しいでしょうし、理解出来るまでには時間がかかるかもしれません。
あとは、ストレートに両手を使い、体の前で×のマークを作るというのも「だめ」という合図となります。
こういう言葉やジェスチャー形成の文化的原因
以上は特別な言葉やジェスチャーから日本人の拒絶や難色を示す方法を述べましたが、では、なぜ日本人はそのような表現を好んでいますか。原因として以下のような要素が考えられます。
1、日本人には、「和」という精神があって、相手の立場やその場の雰囲気、その後の相手との関係、周辺の方とのバランス・関係、そういったことを考慮した言動が要求されるのです。普通、交際する時に、摩擦を生じないで、睦まじく交際するのが好きなようで、周囲の人や、話の相手に傷つけたり、困らせたり、恥をかかせたりなどといった言語行動を極力避けています。ですから、婉曲表現が多いです。
婉曲とは、はっきりと意見を言わずに、間接的、或いは感情を抑制して相手に考え方を伝えることを意味する言葉です。
日本人はふつう、相手の心を害しないように配慮する気持ちがあります。はっきりと断ったり、意思表示することに、抵抗感を覚えるカルチャーが今でも残っているので、直接的な対立を避けるということから、断る場合でも、はっきりとは断らない傾向が見られます。はっきり「NO」といったら、相手の心を傷付けるのでは、と考えるからです。そういう言い方は日本人は好みません。
それは結局、自分が良い人だと思われたいからという心理のなせる技があるのかも知れませんが、なるべくソフトにソフトに、とする気遣いです。
特に面識のある人に何かを頼まれたときに、その場ですぐに断るのは礼を失するのです。
2、日本には異民族が少なく、同質的だったからです。それで、心情が相手に伝わるからです。つまり「以心伝心」で、思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わることです。また「阿吽の呼吸」とも言って、言葉を交わさなくても意思疎通ができるという意味です。
単一民族で、同じ文化や宗教を共有する日本人同士の間では”言わずともわかる”という相手の気持ちを察する感覚が発達していると思います。
それ故に相手に対して、あまり不躾に”お断わり”する表現を避け、遠回しな表現を使うのではないでしょうか?
相手を否定することなく真意を伝える事が出来る、それが日本人です。
それに対し、多民族、多言語、多文化、多宗教の国や地域ではそれぞれが各々の”常識”持つため、その都度、はっきりとした意思表示をしなければ相手に伝わらない。それ故にYes、Noをはっきりという事が一般化したのではないかと思います。