- ベストアンサー
近代的事実を象徴する数の役割とは?
- 数は体系的知識の基盤であり、解釈の前段階や解釈抜きの状況としても見られる。
- 数と近代的な認識論的前提には必然的な関係はなく、常に解釈的な次元から自由とされてきた。
- 近代的な事実として数が重要視され、その役割は多岐にわたる。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
以下のとおりお答えします。 >「数は近代的事実を象徴するものとなっている。なぜなら、数は体系的知識の基盤になると同時に、解釈の前段階、あるいは、どこか解釈抜きの状況〔解釈不可能な状況〕であるかのように見えるようになったからである。しかし、歴史的には、数とこの近代的な認識論的前提との間には必然的な関係はなく、また、数は常に解釈的な次元から自由であるように思われてきた。」 ⇒完璧に近い訳文とお見受けしました。 ただ、最後の行のみ(nor以下に)間違いと思しき部分がありました。 (語句) *this peculiarly modern epistemological assumption:「この妙に現代的な認識論的前提(と数との間に必然的な関係はない)」。Peculiarly「妙に」がお訳から欠落しているようです。 *nor have numbers always seemed free of an interpretive dimension:「また、数は解釈的次元から常に自由であるとは限らない(と思われてきた)」。nor … always ~は部分否定で、「常に~とは限らない」といった意味を表します。 (添削訳文) 「数というものが近代的事実を象徴するものとなっている。なぜなら、数は体系的知識の基盤になると同時に、前解釈的、あるいは、何かしら非解釈的(解釈抜きに受け入れる傾向)にも見えるようになったからである。しかし、歴史的には、この妙に近代的な認識論的前提と数との間に必然的な関係はなく、また、数は解釈の次元から常に自由である(束縛を受けない)とは限らない、という風に思われてきたのである。」
その他の回答 (4)
- widey
- ベストアンサー率21% (13/61)
(誤字訂正) しかし歴史的に見れば、数というも(の)と現代の知識に関するこのような独特な前提とは必ずしも関係はなかったし、数が物事を考えるための解説に自由に使われる立場にはなかったように思われる。
お礼
有難うございました。 参考になります。
- widey
- ベストアンサー率21% (13/61)
Numbers have come to epitomize the modern fact, because they have come to seem preinterpretive or even somehow noninterpretive at the same time that they have become the bedrock of systematic knowledge. 数というものが今や現代に存在するものの代表となった。というのは数は、系統的な知識のしっかりした基盤になったと同時に、解説する以前 のものであり、ある意味解説を要しないものでさえある。 Historically, however, there was no necessary connection between numbers and this peculiarly modern epistemological assumption, nor have numbers always seemed free of an interpretive dimension. しかし歴史的に見れば、数というもと現代の知識に関するこのような独特な前提とは必ずしも関係はなかったし、数が物事を考えるための解説に自由に使われる立場にはなかったように思われる。
お礼
参考になりました。 どうも有難うございました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
質問者からのお礼を拝見しました。 >いつもご指導有難う御座います。 最後の箇所は御指摘の通りで直します。 最初の方の,非解釈的(解釈抜きに受け入れる傾向)という解釈は,全体の趣旨に馴染みますが,確信の程は如何でしょうか? なおご指導,宜しくお願い申し上げます。 ⇒はい、ほぼ9割方、確信があります。現代は、かつてより「数値信仰」の度合いが強いようですね。
お礼
そうですか。それでは活用させて頂きます。 有難うございました。
- Koga57
- ベストアンサー率15% (3/19)
とても上手に訳されていてすごいです。 このままでも良いとは思いますが、あえて指摘するとするならば、最後の一文で、原文のnorを「また」と訳されてるところです。原文でalsoではなくnorであることを示すために、最後の一文の翻訳を、「〜数は常に解釈的な次元から自由であるようにもまた思われてきた。」とする方がより良いかなと思います。
お礼
ご指導有難うございました。 そうですね。また,とするとnorの意味が強調されますね。 御指摘に感謝致します。
お礼
いつもご指導有難う御座います。 最後の箇所は御指摘の通りで直します。 最初の方の,非解釈的(解釈抜きに受け入れる傾向)という解釈は,全体の趣旨に馴染みますが,確信の程は如何でしょうか? なおご指導,宜しくお願い申し上げます。