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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:昔の国士館等について)

国士舘大学の暴力的な実態とその意義:栗山圭介氏の『国士館物語』から考察

このQ&Aのポイント
  • 国士舘大学の実態には入学後の殴り合いの喧嘩や序列形成が描かれた『国士館物語』により明らかになっています。
  • 一部の人々は暴力と喧嘩を通じて社会的序列を築きたいという本能が強い傾向があるようです。
  • 国士舘大学のような組織が存在することは、闘争心のある人々を活用するために必要とされていると言えます。また、彼らは非日常的な喧嘩暴力の世界を日常とし、それがない世界が非日常となる傾向があるようです。

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  • tzd78886
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回答No.1

国士舘に限ったことではありません。昔の学校、特に体育会系にはこういう傾向が強かったのです。国士舘は偶々露呈してしまっただけのことです。有名なのはPL学園。「付き人制」という相撲部屋のような制度を導入し、1年生はもちろん自由など一切無く先輩の言うことは神のように従うことが当然とされていました。そういう伝統が続いてきたのです。こういう考えを持つ人は今でも中高年を中心に少なからず存在します。高齢者になっても若い人の言うことなど聞く耳を持たないため嫌われていますが、社会的地位や財産があることが多いため本人はそういう扱いを受けることが当然のように思いこんでいるのです。

noname#250543
質問者

補足

現在では大分変わって来ましたが、 1970年代に某高校野球の強豪校の監督が 「不良になるか野球に打ち込むかという感じでやっている子が好きで」「以上でも以下でも無いという感じの子は非道はせず問題は無いがどう扱ってよいか解らない」と云う様な事を云っていたと思います。 多分自身もその様な体制のみで来たので、それが受け入れられない事が理解できないという事だったのだろうと思います。 昔の映画などを見ると殴り合う事で立ち位置を確認したり、する場面もあります、これが合う人は合うが合わない人と云うのが理解できないのかとも思えます。