論理的であることの重要さ
最近ある先生から「あなたは論理的に物事を考える」と言われました。
自分ではずっと違うと思っていて、「論理的」という言葉もいまいちよくわかっていないのが正直なところです。
こちらでもたびたび議論されているようで、いろいろ読んでみて、参考になりました。
それで自分でもいくつか皆さんにお伺いしたいと思います。
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(1)論理的であることの重要さ ・意味
(2)論理的であることの欠点・不毛さ
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私が思うのは、
(1)・物事の原因と結果を結び付けて、気まぐれや嘘でないことを証明する。
・段階を踏んで予測することでよりよい社会が築ける。
・相手に自分の考えをわかりやすく説明し理解を促すことができる。
(2)・論理的になろうと思うあまり、自分が思ってないことも使ってしまう。
→本当は正しくない。
・中庸な意見が出しにくい
・論理をまくしたてて、自分を正当化したり相手を威圧するのに使われやすい
・論理的でないものはすべて本当でないと決めつけてしまう
<論理的になろうと思うあまり、自分が思ってないことも使ってしまう。
→本当は正しくない>
経験豊富な人は「無理にこじつけている」とわかるものなのでしょうか?
一方で、論理と同様に勘も大事にしないといけないと思います。
「勘」を「論理的」に説明できるようになるまでには知識や熟考が必要で、
その間に問題が深刻化して、手遅れになることも多い。
個人的にはもっと勘や感情を重視してほしい、幼稚でも感情的でも、
自分の思うことをストレートにぶつけあわないと、深層心理も垣間見えてこないのではないか、むしろそのほうが意味あるのではないかと思う。
「自分が思うこと」=「真実」で、数の論理ではない。
でも、それをいかにして多数の人に認めてわかってもらうかには、
論理的に端的に説明するスキルも必要なんだと最近思うようになりました。
誰もがそれができる能力や状況ではないという前提で、論理的になる努力をしないといけないと考えるようになりました。
論理的というのは、最終的に
「相手に自分の考えをわかってもらう」
「相手の話に耳を傾ける/それに対しまた自分の考えを述べる」
正式なコミュニケーションのことなのかと思います。
でもやはり、なんとなくだけどそう思う、なんとなくうさんくさい、好き嫌い
という動物的な直観は、とても大切だと思います。
すべてが言葉で言い表せたり形に残るものではないから。
本能を忘れ去るのは、もったいないと思う。
欧米の人のほうが、「論理的」だけど「動物的」だという印象を受けます。
どう役立てていけばよいか、どう注意したらよいか、あまり論理的かどうかを深く考えなくてもよいのか、
皆さんのお考えや経験をふまえて教えていただけるとうれしいです。