目からウロコが落ちた話
機が熟して大地にふわりと落ちる実や葉のように、私たちも「機に応じて物事を悟る」という場面に幾度も遭遇します。同じことを言われているにも関わらず、ある時は得心し、ある時はサッパリ分からない。「差し出す方」と「受け取る方」とがそれぞれに「機」というものを持っていて、その「機」がピタリと呼応したときに、受け取る側からすれば「目からウロコが…」ということになるのでしょうね。
振り返ってみれば私もこれまでの人生のいろんなシーンで「目からウロコ」体験をしてきたようです。あの、「憑き物の落ちるような」感覚…。極く早い時期で言えば(実際、目からウロコが落ちるのは年齢に関係ありませんからね)、蛙や蟻などの小さな生き物の命を奪って面白がっていた小学生の頃(何で少年たちはそうした小さな生き物をなぶり殺しにして喜んでるんでしょうね)、それまでの私の残酷な行為を知っていたはずの母が、庭先で蟻をいたぶっていた私にある日ふと一言。「m(私のこと)、蟻さんも一生懸命生きてるんだからね」・・・ 私は何だか金縛りにあったような気持ちになり、少し大袈裟に言えば、その時を境に「生命を有するもの」へのある種の共感が急激に湧き起こったのを、昨日のことのように思い起こします。何故母は最初から私の残酷な行為を咎めずに、暫く待ってから私を諭したのだろうと、少し不思議な気もするのですが、それはともかく、記憶に残る私の人生の初期における「目からウロコ」体験でした。
それ以降も「目からウロコ」体験は多数してきています。このサイトでもその感激を幾度となく味わわせてもらっているような…(笑)。
皆さんの「目からウロコが落ちた話」をお聞かせ願えませんでしょうか。いろんな意味で面白い話が聞けるのではないかと楽しみにしております。宜しくお願い致します。
お礼
ありがとうございます。 聖書から、なのですね。 詳しくありがとうございます。 勉強になりました。 目から鱗が落ちたような、気がします。 ↑使い方、あっていますか? ありがとうございました。