• ベストアンサー

太平洋戦争敗戦。日本国内の武装解除。

日本本土の武装解除について。 いつ頃、どの部隊?師団?から始まって、いつ頃終わったのですか。 ほとんど混乱も無く、整然と武装解除されたそうですが、何か、トピックスをご存知であれば教えてください。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.2

>いつ頃、どの部隊?師団?から始まって、いつ頃終わったのですか。 ポツダム宣言受諾の天皇放送が流れた時点ですね。 上官=天皇の代理人からの命令ですから、部隊は命令通りに武装解除を行います。 「上官の命令に逆らう事=天皇の命令に逆らう事」ですから、一部の例外を除いて順調に武将解除が進みました。 ※陸海軍の統帥権者は、天皇です。 ※東条英機も、東京裁判で「天皇の命なしの作戦は無い」と述べています。 >何か、トピックスをご存知であれば教えてください。 有名な話ですが・・・。 マッカーサー司令官が厚木基地に着陸時に「襲撃計画」が存在しました。 この事件があったので、マッカーサーは「GHQの命令は、天皇の命令として日本政府に伝える」事になったのです。 実際には、天皇には伝えませんがね。型式的に、天皇を利用しただけです。 天皇としても、天皇制廃止を危惧していましたから「棚ぼた」でした。 国体維持=天皇制維持の確約を連合国(UN)から得るまでは、たとえ無差別爆撃で多くの国民が死傷しても+たとえ原爆で多くの国民が死傷しても「確約が欲しい」と連合国に要望しています。 近衛前首相から「連合国と講和しましよう」と進言されても、「既に軍は沖縄戦を準備している。講和なんか出来るか!馬鹿者!」と拒否していますよ。 沖縄戦が敗北しても「もう戦う艦(船)はないのか?」との鶴の一声で、戦艦大和の沖縄特攻攻撃が決まりました。 これらの事をGHQは把握していたので「占領政策は、天皇を利用する事」になったのです。 余談ですが・・・。 昭和天皇の「(神でなく)人間宣言」は有名ですよね。 が、「朕はアマテラス神の正当な子孫だ」との意思は死ぬまで持ち続けたようです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問が曖昧で申し訳なかったですが、進駐軍立ち会いのもとで武装解除したのはいつ頃からですか、という意味です。 9月2日、ミズーリ号上の降伏文書調印後、大本営は、連合国の指揮官が指定する日時、場所で武器・装備を安全・良好な状態で渡せと、国内各地の司令官に命じています。 ここから武装解除が具体的に始まったと思い、質問しました。

その他の回答 (1)

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

日本の軍隊は上からの命令は絶対です。ですから、一番上がGHQに変わったとたん、おとなしく解除に応じたのです。今に始まったことではなく日本人の多くは自分の考えで行動しているわけではなく、言われるままにしたがっているにすぎませんから。「治安がいい」というのもそれが最大の理由です。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうだと思います。 ただ、何かささいな反発・抵抗があったのでは、と思って質問しました。 例えば、武器をこっそり地中に埋めたとか。 帯刀・帯剣に拘ったとか。