わたしも知ったのは高校生の時だったかな。結構ショックでした。
これはすごく根っこが深い問題です。
下でも出たとおり、動物の解体や革製品の加工を行っていた人が起源なのですが、動物を解体する時って臭いが凄いんです。だから町中ではなく、外れの方で仕事をすることになります。
そうするとみんなそこに定住してしまう。
次第に町に住む人々は、動物の悲鳴が聞こえて、臭いが凄い場所に、固まって住んでいる人を恐れていきます。
江戸時代に入り、士農工商という身分制度が確立したとき、それより下の身分に「えた・ひにん」としてその人たちを置きました。ひにんとは非人と書きます。士農工商以外の人たちは人ではないと言っているのです。
そうやって理由もないのに迫害され続けたものが今日まで残っているのが部落差別です。
何故こんな制度を作ったか。それは士農工商の身分制度に関係があります。農が2番目に来ているのは貧しくても身分の上では2番目にすることで、幕府に対する反発を防ぐためでした。それと同じように一番下の商人には、まだ自分より下がいるんだ、ということで納得させたのです。
また、アイヌや朝鮮人なども自分たちとは違った民族と言うことで不当にみな恐れて迫害してきた過去があります。この辺りも同和問題として合わせて考えて良いと思います。
だから差別される側には何ら落ち度はないのです。悪いのは間違った制度から目を反らし、意味もなく恐れていた人、全てです。
臭い物にふたをするのでも、ただ間違っているからなくせというのでもなく、ちゃんとその背景を知りそしてなくして行くことが大事だと思ってます。
同和問題については住井すゑさんの小説「橋のない川」を読んでみるとすごーく、ためになりますよ(映画にもなっているので、こちらも良いと思います)←ただしかなりナーバスになってしまいます・・・(苦笑)
お礼
「橋のない川」、どこかで聞いた覚えがあります。 これを機に読んでみますね。 みなさんのたくさんの意見を聞いて、やはり一筋縄では行かないものだと改めて思いました。確かにそういう昔の名残で今も差別が続いているというのは、いけないし、ただNo7さんの言うように、「動物の悲鳴が聞こえて、臭いが凄い場所に、固まって住んでいる人」がいたら避けるかも知れないという本音もあります。どちらに転んでもおかしくないんだなあ、という思いでいっぱいです。ただ平等も行き過ぎると、幼稚園で園児が手をつないでいっせいにゴールするとか(直接は関係ないですけど)、本末転倒な極論に至るときがあって、やはり難しい・・・。いろんな立場の人がいて、それぞれの意見を主張する。折り合わないのは当然ですよね。今回、みなさんに質問できたこと、大変プラスになりました。なにも知らない僕に親切に教えてくださって本当にありがとうございました。ここからは自分で知って行きたいと思います。