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部落について、

関西に住むものです。 部落について詳しくしりたいのです。 いつ頃、どういう理由で部落などというものが 出来たのか。 今まで普通に、あそこの村は部落だとか、 あの子は部落の出だとか 言ってましたし、耳にすることはよくありました。 そして差別されているという現実もありますが、 いまいち理解できていません。 地域によって、部落になるというか 差別されている原因というものは違ってくるものなんでしょうか? 表現の仕方がおかしいかもしれませんが、 宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

私もあなたと同じ疑問を感じていました。何冊も本を読み、最近やっと納得できる本にめぐりあえました。 奈良、平安時代に蝦夷征伐の捕虜として近畿地方に連れて来られ警備の仕事などに従事させられた人々の子孫が今の部落の始まりだという説です。そのため東北地方や北海道には部落はほとんどないそうです。下記の本を読んでみてください。高木 力という作者が研究し、自費出版しています。  題名 「部落の源流」  著者  高木 力  発行  彩流社(1993年)

coche
質問者

お礼

ありがとうございます。 そういうことだったんですね。 一つの市内にいくつも部落があるところと 全くないところがあって、それも疑問でしたし、 なぜこっちにはたくさんあるんだろうと 思ってました。 本、紹介していただいてありがとうございます。 早速かいに行ってきます。

その他の回答 (9)

noname#22689
noname#22689
回答No.10

こんにちは。 部落発祥については下の大勢の方々が回答をされて居ますが、部落と言う事を明確に理解する為の勉強をし、それを次の世代にもその次の世代にもと、語り継いで行くと何時に成ったら部落民と言う概念がこの世の中から消えて無くなるのでしょうか? 一昔か二昔前までは、日本人以外との結婚は(特にお隣の国々)白眼視されたものでしたが、今や私の回りにはフィリッピンをはじめとする、アジアとの混血の子供がいっぱいいても、決して不自然では無くなりましたが、しかし、部落出身の方との結婚には親族などが反対するむきも結構有るのでは無いかと思います。 アジアや中国、朝鮮半島の人は良くて同じ日本人でありながら差別を受ける方がいるのはとてもおかしいと思うのですが部落と言う文字を目にする限りは今後もずっと続くのでは無いかと思います。 部落(民)と言う文字が活字から或いはマスコミから消えれば自然と被差別などと言う概念も薄れて行くような気がします。都会では部落(民)などと言う事を知らないで育った若者も沢山居ると思うのですが一旦その文字を知った為に差別意識に目覚めたりするのでは無いかと思います。 -------------------------------- ○住井すえ、の小説「橋のない川」 http://homepage2.nifty.com/katem/sumisuenewpage5.html ↑が参考に成れば・・・・

coche
質問者

お礼

ありがとうございます。 差別は時代とともに薄れているような気がしますが、 やはり、昔の人が生きているかぎり、 その話や意識はずっと心の中に残っていること と思います。 未だに差別をするのは、年寄りばかりですもの・・。 若者に差別意識が生まれないようにしてほしいです。

noname#21649
noname#21649
回答No.9

>なぜ、えた・ひにんが必要だったんでしょうか? 「善人」に対する「悪人」が.仏法で定義されています。 日常生活において.「殺した魚を食べる」事は必要であり.誰か「魚を殺す人」を必要とします。この「魚を殺す人」が悪人となります。同様に武器を作る人々も動物をす(材料を用意する)必要があり.これらの人々を悪人と定義しました。これら人々が後で「えた」として定義されたのです。 「仏教の普及の度合い」を示すことは.朝貢貿易上必須であり.この象徴として作られた(現存している)のが.千葉県の「日本寺」と大仏であると聞いています(東京湾から入って.氾濫原をさかのぼって.渡良瀬川で降りて.ちょっと歩いた先に.栃木県国分寺町の国分寺・こくぶんにじ・かいだんいんがあります。私は関東地方しか存じませんが.大阪にも同様な人工の工作物(名称忘却)があり.川を上ったところに都があります)。 >えた・ひにんは乞食ということになるのですか? というか.「乞食」でも檀家になっていられれば身分が確保されていました。「檀家」でなくなったから.人権を失い.ひにんとなったわけです。

coche
質問者

お礼

ありがとうございます。 よく分りました。理解はしましたが、がなんか納得いかないです。 なんで殺す人を悪人としなきいけないのか。 もう終わったことなんですが、ムカツキます。

回答No.8

 えたというのは、昔はカワタといったそうです。動物の皮を剥ぐ人達、が語源のようです。また、死や血をケガレとする考え方が古来より日本にはあり、それに基づいて差別されてきたのが彼らです。  江戸時代に将軍綱吉が生類憐みの令を出し、古来のブッキ感(死や血をケガレとする感覚)が復活したために彼らに対する差別意識が強まった、とされています。  この差別、知れば知るほど馬鹿馬鹿しいもので、なぜこのような理由で人が差別されなければならないのか理解できない、というのが私の気持ちです。詳しく知りたいのでしたら、他の方が言われるように図書館へ行かれる事をお薦めします。  なお、聞いた話によると、女性が相撲の土俵に上がれないのは、女性がケガレた存在(生理で血を流す)だから、という理由だそうです。そしてこれを伝統として守ろうとする人達がいる。どうやら、この国では差別すら伝統として守るらしいです。  ケガレについては、死んで朽ち果てていく人を見て恐れを感じた古代人がそう考えるようになったのではないか、とする説があるそうです。

coche
質問者

お礼

なんか腹立たしいですね。 生類憐みの令って聞こえはいいけど、 中身はバカバカしいですね。 確か小学校で習ったのは、もっとも犬を大切に していたとだったような気が・・。

回答No.7

いつ頃、どういう理由で部落などというものが 出来たのか。 身分制度確立する江戸時代以前は今の部落民と違い言葉が分からない生活習慣も違いので、その土地の住民から軽微な差別される人々はあったと思います。 その意味では江戸時代以前には『今の部落制度は無かったと』と思います。 しかし江戸時代に身分制度を決めた時に仏教徒の為政者は生き物を殺す、芸能で生計を立てて生産をしない人々を川原乞食として・・もし芸人を放置しその芸人が莫大なお金を稼げば為政者として非常に困ると思いますがしかし江戸時代の後期に部落民の制度を解除・・恐らく今の金額で何十億円の賂を江戸幕府の要人にと思います、加えて天皇家の御陵を護る人々が飢饉で懲散した人達を見せしめの為に部落民として江戸幕府の為政者より部落民として認定、色々な理由・・実らぬ恋で男女二人で心中し。一方が助かれば人通りの多いい所で晒され部落民として。 明治時代に始めて万人平等(私の独断と偏見ですが明治政府の高官の中には部落民もいたと思います)にしたが明治政府は部落民の政府高官の救済策としか思えません。 この事から明治時代に部落民出身の明治政府の高官の戸籍謄本を武士として書き換えれば部落民から難なく逃れます。 地域によって、部落になるというか 差別されている原因というものは違ってくるものなんでしょうか? cocheさんへは上記のような事を考えなく元気に明るくが似合っていると思いますよ。詳しくはお暇な時に最寄の図書館でと思います。

coche
質問者

お礼

ありがとうございます。 今もまだ、部落の人との結婚の反対はこっちのほうでは あるみたいです。 昔は心中してしまうほと差別がひどかったんですねぇ。 なんか悲しいです。

noname#21649
noname#21649
回答No.5

私の地区では「町内会の集落」という意味で「部落」という言葉を使います。だから.童話問題関係の言葉とは違った「方言」なのですが。 はっきりと法律上定義されたのは.明治の市民平等令(名称疑問)で.「新平民」と戸籍に赤字で記載され.差別の対象となりました。 それ以前ですと.すむ場所をなくした一家が「檀家」からはずされ.「ひにん」(名称疑問)となりました。多くの場合.借金が払えなかった(=家を抵当に取られた)だけです。 このような人々を構築する原因となったのが.「仏教思想」で.「動物を殺す人」を「悪人」.殺した動物を食べる人を「善人」とした.平安時代(大和・奈良かも)の考え方が多分記録に残る最初でしょう。要は.為政者の行動を「善人」.その他の人々を「悪人」として.定義したわけで.天皇独裁政治における「天皇の地位」を朝貢貿易で確保するための政治的内容が最初と考えています。

coche
質問者

お礼

江戸時代だけではないのですね。 天皇独裁政治のための政治的内容ということですが、 なぜ、えた・ひにんが必要だったんでしょうか? 家をとられたというのは、結局は えた・ひにんは乞食ということになるのですか?

  • lilact
  • ベストアンサー率27% (373/1361)
回答No.4

ご参考までに 部落差別の起源について これまで、学校教育などでも長い間、政治的な目的で被差別部落が作られたと教えられてきました。 私もこういう教育を受けました。しかし、今はこの説は間違っているのではないかという考えも受け入れられるようになってきました。 したがって、政治的に作られたと断言はできないのだろうと思います。 質問者の方は、身近に「部落」という言葉を聞かれたということであれば、小学校や中学校で同和教育に力を入れていた地域だと思われるのですがどうでしょうか。

coche
質問者

補足

政治的な問題で作られた説が間違いとしたら、 もう一つの説と思われるのはどういうもの なんでしょうか? 部落という言葉は小さいころからずっと 聞かされていましたし、小学校では授業で、 高校へ進学すると、部落の方がいました。 学生のころは、あの子は部落だとか 聞いてもピンとこなかったし、そんなの どうでも良かった。まだ純だったせいか、 部落だからといっていじめもないし、 差別をするという感情もありませんでした。 今も差別はしません。しかし、 古い人(母親や祖母)達の会話では、 未だに差別的なものがあり、自分の中で なにかしっくりこないのです。

回答No.3

部落は、元々は江戸時代の身分制度によるものです。 士農工商の下に、統治上の必要性から「えた」「ひにん」 というものを作りましたが、その身分にされた人々 (自らなったわけではないと思います)は、村に住めず、 同じ身分の者同士が集まって集落を形成したと言います。 ということは、ある地域(**県**市**)が元々 そういう人々の集落であったと言うことが分かっていれば、 そこ出身の人の先祖は「えた」「ひにん」であったと考えられますよね。 家柄とか体面とかを気にする昔の人々にとっては 付き合いたくないと思う相手ですので、次第に 特定地域の人間=「えた」「ひにん」の末裔、という 構図になったために >地域によって、部落になるというか >あそこの村は部落だとか、 ということが起こります。 ちょっとまとまりがなくて申し訳ないのですが、 かいつまんで言うとこんな感じですね。

coche
質問者

お礼

ありがとうござます。 とても分りやすく、助かりました。 士農工商、学生の時授業でやったのを思い出しました。 武士、農民、?、商人。工ってなんでした? で、えた、ひにんは何をしてる人なんでしょうか? こちらでは、部落の人を、えったと呼んでます。 えたから生まれた言葉なんですね。 今、気がつきました。

回答No.2

部落という言葉の意味は、集落という言葉と同じ意味です。私の田舎では「隣の部落の集まりで~」などという使い方をしていました。 一般的な「部落」の意味は「被差別部落」の意味ですね。同和地区などといった呼び方もあります。 さて、何故集落によって差別されるということが起きたかというと、江戸時代の身分制度にまでさかのぼります。政策的に作られた差別制度なのです。 詳しい成立の過程については下の方の上げられたURLを参照してください。図書館などでもそういった本はたくさんありますよ。

  • pierre2
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回答No.1
coche
質問者

お礼

ありがとうござます。 いろいろ検索してみます。

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