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最後はどうなるのでしょうか?

私は姉妹の二女です。 父は三男で4年前母が亡くなりました。 そのとき、お墓を作りましたが次は父が入って おしまいです。 私も嫁に出て、主人が次男なのでどちらかが亡くなったら、 お墓を作らなければなりません。 しかし、子供がいないので二人が亡くなったらどうなるのでしょうか? 法事とか誰がするのでしょうか? 私的には散骨してもらえればいいのですが、お墓を作らないと問題でしょうか? 今からこうゆうことを考えてはいけないとは思いますが、「どうなるんだろー」って思いました。 今、夫婦で事故にでも遭ったら、住んでいる家は 誰が引き上げてくれるのだろうか?とか いろいろ考えてしました。 漠然とした不安にかられ、質問させていただきました。

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  • amida3
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回答No.2

現代は、人口移動や核家族化の影響で、お墓も核家族化してしまっていますので、お考えの不安となっている常識は戦後の核家族化した以後のもので、もともとお墓は一族墓や地区ごとの合葬墓ですので、歴史的にはみんなが同じお墓に入るという常識の期間の方がはるかに長いです。 お墓は「墓」という漢字を見ても下に「土」とありますように、魚や動物、植物と他の生き物の命を犠牲にして生かさせていただいた私たちは、死後また土に戻ってまたこの地球上の生命の栄養となってこそ意味があるのであり、そのための宗教上の施設であります。つまり、最後に残った遺骨を土に返すための宗教上の施設であって、個人のお墓だろうが、一族のお墓だろうが、合葬式のお墓だろうが、無縁塚だろうが実は同じなんです。 昔も家が絶えると言うことはありましたし、その意味以外にも同じ仏様の世界に生まれた者が一所に集まり、ともに一処にという考え方から、個人のお墓以外にも、各寺院やその宗派の本山に合葬式の墓所が用意してあります。 無縁となった墓所も、各寺院が無縁塚に合葬しますので、そのまま放置されるわけではありません。 その上で、現在考えられる選択肢は、 (1)本家のお墓に合葬させてもらう (2)寺院の合葬式の永代供養墓等に入れる (3)宗派の本山の納骨してしまう(私の宗派=浄土真宗では費用は2万円~なので散骨よりはるかに安く済む) (4)親族の誰かに引き継いでもらう(配偶者側の方に引き継いでもらうことを含みます。) (5)縁のある他家とまとめる のいずれかではないでしょうか? 現在、お母様が入っているお墓を、将来、お子さんである姉妹のいずれかが引き継いでも良し、ある時点で上記(1)~(5)で決め手も良しです。 > 私も嫁に出て、主人が次男なのでどちらかが亡くなっ > たら、お墓を作らなければなりません。 作らなくてもご両親のところに入っても良いのですよ。 > 法事とか誰がするのでしょうか? その時点にならないとわかりませんね。通常はご親族が行うか、その時点で永代供養されているかいずれかでしょう。 > 私的には散骨してもらえればいいのですが、お墓を作らないと問題でしょうか? お墓を新たに作る必要はありませんが、どこかに納骨しないわけにもいかないでしょう。 散骨は、近年、散骨業者による宣伝で話題になっておりますが、確かに一定の節度を持つ限り散骨自体は問題はありませんが、現実に真に散骨を希望される方は、海で仕事をしていた方が海に、山で仕事をしていた方がその山にというのが現状で、また焼骨すべてを散骨という方はほとんど聞きません。 失礼ながら、「残った親族にお墓などで経済的負担をかけさせたくない」とか「子供もいないしお墓が不要」いう思いから、企業の宣伝等の情報もあって、安易に「散骨」と口にされるケースが多いです。 ところが、実際には散骨もパウダー化したりとか手間もかかりますし、かなりのお金がかかりますし、残った親族さんたちも法要に戸惑ったりしてしまいます。また、経済的な面や後の法要を考えれば、本山や寺院の合葬廟所に納骨したほうが費用の件も安く済みますし、法要の件も問題が無いと思われます。 > 今、夫婦で事故にでも遭ったら、住んでいる家は > 誰が引き上げてくれるのだろうか?とか その事態のときに、親族等が良きように計らいます。 相続者がいなければ、国庫に帰属しますので、役所が良きように計らいます。 そんな心配をしないで、いつ終わるかわからないですが頂いた命をしっかり元気に生き抜きましょう。 合掌 amida3@坊さんでした(^o^)

その他の回答 (3)

  • kamochi
  • ベストアンサー率41% (282/677)
回答No.4

家や墓を継ぐという考え方は戦前の旧民法のときの名残で、今の民法では法的には墓をどうしなさいという決まりはありません。 入るお墓がないので、お墓を作らなければならない決まりはありません。 あなたのお父様やご主人のお父様のお墓に入っても自由です。 もちろん散骨するのも自由です。 >今からこうゆうことを考えてはいけないとは思いますが、 >「どうなるんだろー」って思いました。 仏教の教えに従いたいなら#2の方の回答の通りですが、「どうなるんだろー」ではなく、「どうしたいのか」を考えるべきです。 しかもいつ死ぬかわからないので、今から考えておいたほうがいいと思います。 私の兄は40歳でガンでなくなりましたが、妻が某宗教の信者だったため本人が嫌がっていたその宗教の合同の納骨堂に入れられてしまいました。 戒名も墓もなにもないため、私は兄の墓参りもしたことがありません。

  • poor_Quark
  • ベストアンサー率56% (1020/1799)
回答No.3

 程度の差こそあれ、同じような不安な気持ちはたくさんの方が持っていらっしゃると思います。  私も一人息子でそれぞれ80歳になる両親と同じ家で暮らしています。私は呼吸器系に若干の障害があり、貧しいせいもあって独身を通すしかないのですが、両親がそれぞれ持病があり、具合が悪いときはやれ私一人を残しては死ねないだの、苗字がなくなるだの、つまらないことでしくしく泣き出す有様で、老親の病床の傍ら、なんと言って彼らに詫びればよいのか迷うばかりです。  ただ、私は思うのですが、家だの財産だの墓だのは生きている人間のためにあります。また、どんなに嘆き悲しんでみても死んだ人は生き返ることはなく、どんなに会いたくても死んだ人と現実社会の中で会うことはかないません。であればこそ、自我意識を持った自分が今家族とともにこうして生きている時間が切なくもいとおしく感じるのです。  さらに、現代人にとっていつ訪れるか分からないが必ずもたらされる「死」と今私たちがどっぷり浸っている、ときに観念的にすぎる「日常」の間には実感として連続性はありません。漠然とした不安とはそのあたりに原因があると考えます。  まぁ、両親が去り、私もいなくなれば、いずれは先祖代々の骨は一カ所に集められ、無縁仏扱いされるのでしょう。強がりを言えば、私はそれを少しも寂しく思うことはありません。先祖の存在は生きている人があってこそ、あるいは彼らの心の宗教的な支えになってこそ意味があることであり、死者の側にはなんの主体もあたえられません。そうであればこそ生きている時間を最大限使って、今こうして生きている自分自身を幸福に導く努力をすることがなによりも大事だと思います。  ところで世界中至る所でテロや戦争や事故などで、老若男女を問わず、人間は多くの死の危険に取り巻かれています。長かるべき人生半ばで不条理のうちに亡くなってしまった人たちの家族は、この現在という時間をどんな気持ちで過ごしているのか考えると、私たちにとりあえず与えられた生の時間がどれほど貴重なものか分かると思います。  ひたむきで前向きに生きることで得られるであろう、人間の実質的な幸福に比べて、死後の財産やお墓がどうのと言う話はあまりにも小さいことに思えてなりません。幸福とは一人で到達できるものではなく、周りの人が与えてくれるものだという信念に基づけば、何かあったら「どうなるんだろー」という疑問は、自分の生き方や他人との接し方に反省と希望が持てるきっかけを与えてくれる前向きの命題として考えるようにしています。

  • my-mi
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回答No.1

子供が少ないのでこれからこういう問題ってたくさん起こってくるだろうなと私も思っています。 実際そうなってみないとわからないところもありますけど、なるようにしかならないかなーと今はまだあまり考えてないです。 私の両親は次男次女でお墓がないです。 父方の本家に入るのが筋だとは思うのですが、母が嫌がっていて、母の両親の墓があるので、そこに母の姉妹(3人)の夫婦6人でそこに入ることになりそうなんです。 だから墓石は母の旧姓なんですけど、横に名前が彫ってある石(すいません、名前がわからなくて)をおいて連名で名前を彫るそうです。(もうすでに母の姉のご主人は入っています) そうなれば母の姉妹のこどもたち(4人)でそのお墓を守ることになるんじゃないかと思っています。 実際、一番近い人がお世話することになるんじゃないでしょうか。 私も今の状態ではどのお墓に入ることになるか、ぜんぜん見当がつかない状態です。 まあ、まだかなり先のことなので、どういう状態になるかもわかりませんしね。 私も考えたことあります。家中で死んでしまったらこの家はどうなるんだろうかって。 私の妹はいつ自分が死んでもいいようにパソコンにすべてのデータを入れてあるそうです。(銀行、ローンなど主にお金関係) まあ、両親や兄弟がいいようにしてくれるでしょう。(笑)

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