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日本語における「俗物」の使用状況は?
- 最近テレビで東大卒、ハーバード大卒がちやほやされている風潮があるが、彼らは「アホ」と同義だと感じる。
- 夏目漱石などの小説には「俗物」が登場するが、最近の日本の小説ではどうなのか。
- 日本の国会議員たちも俗物だが、最近は日本人が俗物を俗物と思わなくなったのか。
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確かに一流大学と言われる大学を卒業した優秀と言われる人達が世界には何万人もいるのに貧富の差は無くならず、戦争や紛争は未だに起こっていますね。 >日本に俗物が溢れて、もう俗物は特段の注意を引く存在ではなくなった 昔から多くの日本人は俗物ではないでしょうか 「末は博士か大臣か」「立身出世」「今太閤」「故郷へ錦を飾る」 富くじ、宝くじ、賭博、ギャンブル バブル期は「三高」(高学歴、高収入、高身長) 中国からの観光客の買物ぶりを「爆買い」などと言っていましたが バブル期は日本人が海外でブランド品などを買いあさっていたようです。 最近は「勝ち組・負け組」とか 日本だけでなく、名誉欲や利益欲が強い人が世の中を動か入ているようにも思えます。
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- 五十嵐 正(@oh-Tokyo)
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回答#2です。 ご理解が少し違うようなので補遺します。 時に応じ俗物の言葉を使うのは、私の周辺だけではなく世間一般です。 ご自分はあまり聞きなれないでしょうが、だから一般的には使われない表現と思うのは、稀で不使用と思う先入観ではないかと思います。 近年の小説類で使われないのは、時代の波や流行語の傾向から、使用頻度が少なくなっただけで、廃れる傾向ではないと思います。 使う頻度は少なくても、他の諸々の言葉と全く同格で、死語に近いと思うとしたら思い込みの偏見です。 私は、仕事柄もあって諸種の寄り合いや研究所グループなど各方面の人々と交流しているので、現存の健全語と感じています。 しかし乍ら、時代によって意味合いが少しずつ擦れ・変化はしているかもしれません。 日常の会話や書誌では、事典類に書かれた「名誉」とか「営利」の邪心の意味は薄れてきて、取り得がなく平凡な人間、といった単純な意味で使われることが多い状況になってきた、と思うのです。
補足
再度の回答ありがとうございます。 貴方の環境は年配者の集まりと考えていいのでしょうか? 若い人と接する機会も多いのでしょうか?若い人はこの言葉をよく使いますか? 殆ど使わないと想像しますが? それと、意味が薄れてきているということですね。 分かりました、ありがとうございます。
- 五十嵐 正(@oh-Tokyo)
- ベストアンサー率51% (173/334)
<今でもよく使いますか> とは、何か奇妙な感じせす。 昔は使っていたが今は使わない、ということはないです。 こういう事象は、社会で活動してきた年寄り経験者の出番です。 現在「よく使う」という程ではなくても時に応じしばしば使います。 「あいつは俗物だからな」(並みの平凡な人間だから)とか、 「俗物にそんなことできるわけない」(優れた人物でないから無理) とかです。 日常の会話では、「フツーの人」、「取り柄のない人物」、といった評価場面で、よく使われる表現です。
補足
回答ありがとうございます。 貴方の周りでは、時々使っているということですね? 貴方が例に上げられた例文は、確かに辞典には載っているのですが(私は高齢者ですが)私の周りでは使っているのを聞いたことがありません。漱石だけでなく当時の小説にはよく出て来た言葉のように思いますが、最近の小説ではお目にかかった記憶がありません。 貴方の環境と私の環境が違うのかも知れません。
- mink6137
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広辞苑によると >俗物とは「名誉や利益というのがにとらわれてばかりいるつまらない人物」 >とのことですが、 これを知っている日本人が殆んど居なくなってしまった…ということでしょうね!
お礼
回答ありがとうございます。
補足
回答ありがとうございます。 >昔から多くの日本人は俗物ではないでしょうか なるほど、そういう国民性はあるようですね。 でも、漱石の時代、大学に行く人はごく々々僅かでしたが、現在では60%近くになってますね。 明治時代には俗物が目立ったのでしょうが、現在では国民の半数が俗物根性を満足させて、それが国民性になってしまったので、明治時代の意味での「俗物」を見下げる感情を持てなくなってしまったのでしょう。 他の回答者様の言うように、邪心がある意味が省かれ、軽い意味で使うようになったのは、国民全体がそうなってしまっては、自らの国民性を悪く言うわけには行かないからでしょう。