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連想による照応について
- 連想による照応についての質問文です。
- 冠詞の使用についての疑問を提示しています。
- デフォルト要素としての連想とは何かについて考察しています。
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再度の「質問者からの補足」ありがとうございました。 @連続体の例として提示したのはeat dogにおけるdogだけです。/<The penはpenの働きを表しているように思えます。ここでは「言論活動」(speech activity)又は 「文人」(a literary men)を意味していると思います。ペンから文を書くことが連想され、さらに想像力の働きによって「言論活動」/ 「文人」を意味するようになったのではないかと思います。もちろん、こうした解釈はthe swordの解釈と並行して行われなければなりません。the swordはswordの働き、すなわち「武力」(force / violence)又は「武人」(a military man)意味だと思います。連想と想像力の連携によるものと思われます。penもswordもどちらも概念です。この考えでいいのでしょうか。>についてはどう思われますか。 ⇒「連続体」の意味、了解しました。ただ、例えば、eat dogにおけるdogは通常「提喩」と言われる比喩の一種とされますね。それはともかく、連続体の派生過程、その順序などを現実の言語活動場面において追跡調査することは困難でしょうが、原理的な推論や思考実験的メタファー論としては面白いテーマかも知れませんね。 @同時多発テロ事件の直後、アメリカのアーミテージ国務副長官が駐米日本大使に言ったとされるShow the flag. と、その2年後のイラク戦争開戦直前に言ったとされるBoots on the Ground. は今なお記憶に残っています。flagは旗幟・立場のことで、Show the flag. は「アメリカに味方するか態度をどうかはっきりさせろ」ということだったようです。the groundは戦地のことで、Boots on the Ground. は地上軍を派遣しろ、という意味だったと思います。ここでのflagになぜ定冠詞がつくかということですが、アーミテージとしては、「flagをメタファーとして使ったが、その意味するものがいくつかあったとしても、flagのもともとの働きと文脈から一つに決まるはずだ。想像力を使えば子供でもわかるだろう」ということなのだろうと思います。つまり、メタファーで指示される唯一的な対象物に定冠詞をつけるということだと思います。/なお、Bのような文の場合、話者がthe pen とthe swordとの対立関係を意識して定冠詞をつけることもあると思います。何のために、この話をしたかというと、冠詞の解説書の中には、theにはメタファーを可能にする働きがあると説明しているものがあるからです。また、そこまでは言わなくても、定冠詞の用法の一つとしてメタファー喚起ということを挙げているものもあります。まさかとは思いつつも一応確認したかったわけです。私には、メタファーは想像力による概念操作によるものだと思います。flagという概念が連想を介してmilitary positionという概念と結びついたのだと思います。メタファーを喚起する力が定冠詞にあるはずがないと思います。いかがでしょうか。 ⇒「メタファーで指示される唯一的な対象物に定冠詞をつける」という解釈で間違っていないと思います。すなわち、「theにメタファー化の能力がある」というより、その逆で、語義の抽象化、転義、比喩的用法という、ある種の「特定化」の結果、それを示すために、つまり、メタファーのマーカーとしてtheがついた、ということではないでしょうか。それは、例えば、the Edison of Japanの theが「固有名詞の普通名詞化」のマーカーであるのと同じような原理であろうと考えます。 ところで、このメタファー、すなわち、隠喩(提喩・換喩など)は、その上位概念である「比喩」<「語義変換」<「内容(意味)的変換」とともに、膨大な「語変換」組織の下位項を形成する一大要素を成していますね。その立体構造を線状に表せばこんな感じです。 語変換:{形式的変換〔語形変換(音変換〈脱落:添加〉:形態変換):構文変換(〈挿入:省略〉:〈並列:倒置〉)〕:内容的変換〔語義変換(史的変容〈新生:廃用〉:比喩〈明喩:隠喩〉):論理変換(〈反復:冗語〉:〈反語:婉曲〉)〕} 何を言いたいかと申しますと、「音韻数や語彙数は有限個なのに、それを駆使して無限な表現を可能にする」ために、かくも膨大な組織を生み出した人間の知的営為はまさに大変な文化的所業ですね。そして、この「メタファーをめぐるテーマは、英語法の哲学的考察における中心的論題」である、と言っても過言ではないだろうと思います。 以上、簡単ながらご返信まで。
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- Nakay702
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「質問者からの補足」ありがとうございました。 @<時系列的に(B)が先に起こる>とのことですが、そうでしょうか。話者にしてみれば、衝突事故という状況から連想によってデフォルト要素が即座に思い起こされることがまず最初に起きることだと思います。デフォルト要素だということはその場で一つしかない概念的要素なので、想起された瞬間に一つに決まるものと認識されているはずです。よって、時系列的に(B)が先に起こるとは考えにくいと思います。いかがでしょうか。 ⇒発話者が、A car collided with boys …と話し始めるや否や、このA carに呼応するdriverが限定されるのでThe driverとなるはず、という意味です。その先へ進んでambulanceやpolicemanに言及する場面では必ずしもthe ambulance やThe policemanとは決まらず、とりあえずan ambulance やA policemanでもいいわけでしょう? 少なくとも選択の余地はあるわけですよね。それに対し、A car→The driverは、最初からこの形が強いられているわけで、A driverとalternativeな関係にあるわけではないと思います。そして、この段階、つまり、衝突事故の全容が表現途上にある状態では、いかに連想が働くとはいえ、デフォルト要素のすべてが想起される状況にはないと考えられます。 @冠詞の解説書では、例えば第3文のdriverについておおむね次のような説明がなされます。--先行文脈における車と人との衝突という状況から、聞き手にとって運転手の存在は連想によって容易に了解できることである。そして、その場で一つに決まるものだから定冠詞がつけられる。-- 「その場の状況において一つに決まる」という言い方によって冠詞の解説者が何を言おうとしたのかはっきりしませんが、<その場の状況において想起されるデフォルト概念要素として一つに決まるからという理由でtheがつく>というのであれば納得できますが、<その場>が現実の場面、すなわち概念的要素を排除した実物だけで構成される状況だとすると、もはや連想という名に値しないように思われます。連想行為が成立するためにはその前提として概念操作が行われなければならないと私には思われます。いかが思われますか。 ⇒連想行為がなされるのは一通り該当の表現が終ってからのことでしょう? あらかじめ(つまり、A car collided…. The driver ~のくだりで限定のTheを措定しておいて、一連の陳述が完了したあとにthe ambulance, The driver, The policemanの集約的上位概念化が、まとまりを成す形で、なされると考えても何ら不都合はないと思います。後者はより高度の意識作用なので、このように考えるのがより自然なprocessで、最初からこれら(前者と後者)すべてを一緒に扱うことに執着したりするなら、失礼ですが、ある種「先験性の呪縛」にとらわれている、と言えるかも知れないと思います。 @なお、A: A car collided with boys who dashed out of a shop. The boys got seriously injured, and died before the ambulance arrived. The driver was arrested. The policeman looked for witnesses but no witness was found. においては、the ambulance, the driver, the policemanはいずれも概念的なものでかつ実物も表していると思います。それが連想というものの有り様だと思います。この考えでいいでしょうか。 ⇒はい、その実物も表しているからこそ、限定のTheと上位概念化の時間差が生じることになるのだと思います。 @Aの文の中の冠詞を、話者による連想が行われていない状況だとして、つけ替えてみます。 A 2: A car collided with boys who dashed out of a shop. The boys got seriously injured, and died before an ambulance arrived. The driver was arrested. A policeman looked for witnesses but no witness was found. となります。単に事実を平板に記述しただけの文になります。登場する名詞句はすべて実物です。連想どころか、聞き手の想像力を全く喚起しない文だと言えます。 ⇒そうですね。これですと、聞き手としては、単なる「傍観者になりきって、聞き流しをする」ことになるような気がします。 @<連続体としてとらえられる場合を除けば>を前回の議論の際に言い忘れていました。eat dogのように普通名詞が無冠詞で使われる時、働きを表すことなく、連続体と見なされる場合があります。このことを言い忘れていました。 B: The pen is mightier than the sword. C: Necessity is the mother of invention. The penはpenの働きを表しているように思えます。ここでは「言論活動」(speech activity)又は 「文人」(a literary men)を意味していると思います。ペンから文を書くことが連想され、さらに想像力の働きによって「言論活動」/ 「文人」を意味するようになったのではないかと思います。もちろん、こうした解釈はthe swordの解釈と並行して行われなければなりません。the swordはswordの働き、すなわち「武力」(force / violence)又は「武人」(a military man)意味だと思います。連想と想像力の連携によるものと思われます。penもswordもどちらも概念です。この考えでいいのでしょうか。 ⇒ご趣旨はよく分かります。ただ、これは程度の問題に擦り代えられる可能性の観なきにしもあらず、かも知れませんね。たまたま抽象化、転義、比喩への変換の芽をたくさん持つ語があって、その転義の一つ一つは点状でも、それが多く集まると連続体になりますね。いや、それだからといってお説を否定するつもりはありません。「連続体」の着想は、それなりに意味あることだと思います。 @Cも同じように説明できると思います。the motherの働きは何かを産み出すことだと思われます。おそらく、the mother はa thing that gives birth to somethingと言いかえられると思います。(…)最近、二三の論考を読みました(今回の議論のような文法と関わる話題は取り上げられていません。ただただ抽象的な内容でした)が、もう一つ好感が持てません。というのは、ある特定の状況が出現すると、それに応じて特定の知識が集合体として活性化されるとか焦点化されるという言い方がなざれているのですが、受動態で書かれていて動作主が不明です。/もしかして、動作主として前頭葉、あるいはコンピューター内部のCPUのようなものが想定されているのかもしれません。そうだとすると、言語主体はそうしたネットワークから独立したものと見なされているはずです。こうした論考の著者達は経験論的な思考の枠組みから自由になれないのでしょうね。この場合、前頭葉とかCPUとかが正しい振る舞い-思考-をしているかどうかを、それら自身も判定できないし、それらを操る言語主体やコンピューター技術者にも判定できるはずがありません。ただ、統計的に正確さを追究することができるだけだと思います。よって、今回の私の論考においては、<概念群がある状況から触発されて焦点化される>と言う時、<話者の関心に応じてスポットライトを当てられる>という文言を添えました。世界内存在という観点をつけ加えたわけです。 ⇒すみません、ここまでくると、私にはよく分かりません。ですので、批評は控えさせていただきますが、少なくともお説は、多様性、水平思考、普遍化の可能性などについての目配せをしているうちに出てきた考え方の一つ、と言えるかも知れませんね。ということから敷衍させていただくとすれば、我々は「心的態度の狭量性が自身の内にはびこってないか、というようなことは常に内省し、自戒すべし」、といったところでしょうか。お粗末な反応しかできず、申し訳ありません。以上、ご返信まで。
お礼
ありがとうございました
補足
再度の回答ありがとうございました。 <⇒発話者が、A car collided with boys …と話し始めるや否や、このA carに呼応するdriverが限定されるのでThe driverとなるはず、という意味です。その先へ進んでambulanceやpolicemanに言及する場面では必ずしもthe ambulance やThe policemanとは決まらず、とりあえずan ambulance やA policemanでもいいわけでしょう? 少なくとも選択の余地はあるわけですよね。それに対し、A car→The driverは、最初からこの形が強いられているわけで、A driverとalternativeな関係にあるわけではないと思います。そして、この段階、つまり、衝突事故の全容が表現途上にある状態では、いかに連想が働くとはいえ、デフォルト要素のすべてが想起される状況にはないと考えられます。> -なるほど、おっしゃる意味はよくわかりました。納得です。 <⇒連想行為がなされるのは一通り該当の表現が終ってからのことでしょう? あらかじめ(つまり、A car collided…. The driver ~のくだりで限定のTheを措定しておいて、一連の陳述が完了したあとにthe ambulance, The driver, The policemanの集約的上位概念化が、まとまりを成す形で、なされると考えても何ら不都合はないと思います。後者はより高度の意識作用なので、このように考えるのがより自然なprocessで、最初からこれら(前者と後者)すべてを一緒に扱うことに執着したりするなら、失礼ですが、ある種「先験性の呪縛」にとらわれている、と言えるかも知れないと思います。> -私にはA car collided with boys …と話し始めた途端に一挙に連想が行われると思えたのですが、Nakayさんの考えの方が自然ですね。納得です。 <その実物も表しているからこそ、限定のTheと上位概念化の時間差が生じることになるのだと思います。> -そういうふうに考えればいいわけですね。納得です。 <<@<連続体としてとらえられる場合を除けば>を前回の議論の際に言い忘れていました。eat dogのように普通名詞が無冠詞で使われる時、働きを表すことなく、連続体と見なされる場合があります。このことを言い忘れていました。 B: The pen is mightier than the sword. C: Necessity is the mother of invention. The penはpenの働きを表しているように思えます。ここでは「言論活動」(speech activity)又は 「文人」(a literary men)を意味していると思います。ペンから文を書くことが連想され、さらに想像力の働きによって「言論活動」/ 「文人」を意味するようになったのではないかと思います。もちろん、こうした解釈はthe swordの解釈と並行して行われなければなりません。the swordはswordの働き、すなわち「武力」(force / violence)又は「武人」(a military man)意味だと思います。連想と想像力の連携によるものと思われます。penもswordもどちらも概念です。この考えでいいのでしょうか。 ⇒ご趣旨はよく分かります。ただ、これは程度の問題に擦り代えられる可能性の観なきにしもあらず、かも知れませんね。たまたま抽象化、転義、比喩への変換の芽をたくさん持つ語があって、その転義の一つ一つは点状でも、それが多く集まると連続体になりますね。いや、それだからといってお説を否定するつもりはありません。「連続体」の着想は、それなりに意味あることだと思います。>> -私の説明が要領を得なかったので、誤解を招いたのではないかと思います。前回の質問投稿(普通名詞が概念として使われる時、連続体としてとらえられる場合を除けば、たいていは<働き>を表す)で--のくだりですが、 連続体の例として提示したのはeat dogにおけるdogだけです。似たようなので、We saw helicopter scattered in the mountain. におけるhelicopterもそうです。こうした例を前回の質問時に提示するのを忘れてしまい、まるで、普通名詞の無冠詞用法は<働き>を表す場合だけであるかのごとき言い方になってしまいました。失礼しました。 ところで、<The penはpenの働きを表しているように思えます。ここでは「言論活動」(speech activity)又は 「文人」(a literary men)を意味していると思います。ペンから文を書くことが連想され、さらに想像力の働きによって「言論活動」/ 「文人」を意味するようになったのではないかと思います。もちろん、こうした解釈はthe swordの解釈と並行して行われなければなりません。the swordはswordの働き、すなわち「武力」(force / violence)又は「武人」(a military man)意味だと思います。連想と想像力の連携によるものと思われます。penもswordもどちらも概念です。この考えでいいのでしょうか。>についてはどう思われますか。 肝心なことを質問し忘れていました。 Bのthe pen とthe sword及びDのthe motherになぜtheがついているのかの説明を行って、それに対する賛否を頂きたかったのですが、忘れてしまっていました。the pen, the sword, the motherでなく、もっと実際的な例を取って説明します。(この問題に関心を持つようになった経緯と関わることです)。 同時多発テロ事件の直後、アメリカのアーミテージ国務副長官が駐米日本大使に言ったとされるShow the flag. と、その2年後のイラク戦争開戦直前に言ったとされるBoots on the Ground. は今なお記憶に残っています。flagは旗幟・立場のことで、Show the flag. は「アメリカに味方するか態度をどうかはっきりさせろ」ということだったようです。the groundは戦地のことで、Boots on the Ground. は地上軍を派遣しろ、という意味だったと思います。 ここでのflagになぜ定冠詞がつくかということですが、アーミテージとしては、「flagをメタファーとして使ったが、その意味するものがいくつかあったとしても、flagのもともとの働きと文脈から一つに決まるはずだ。想像力を使えば子供でもわかるだろう」ということなのだろうと思います。 つまり、メタファーで指示される唯一的な対象物に定冠詞をつけるということだと思います。 この解釈でよろしいでしょうか。なお、Bのような文の場合、話者がthe pen とthe swordとの対立関係を意識して定冠詞をつけることもあると思います。 何のために、この話をしたかというと、冠詞の解説書の中には、theにはメタファーを可能にする働きがあると説明しているものがあるからです。また、そこまでは言わなくても、定冠詞の用法の一つとしてメタファー喚起ということをを挙げているものもあります。まさかとは思いつつも一応確認したかったわけです。 私には、メタファーは想像力による概念操作によるものだと思います。flagという概念が連想を介してmilitary positionという概念と結びついたのだと思います。メタファーを喚起する力が定冠詞にあるはずがないと思います。いかがでしょうか。
- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 @A: A car collided with boys who dashed out of a shop. The boys got seriously injured, and died before the ambulance arrived. The driver was arrested. The policeman looked for witnesses but no witness was found./Aを衝突事故現場に到着したa reporterの報告、またはある小説の一部における筆者によるナレーション部分だとしておきます。私の質問内容は第2文のambulanceと第3文のdriverと第4文のpolicemanになぜtheがつくかということです。 ⇒見事な例文を作られましたね! A car collided with boys ~ということは、少年は2人以上いたわけですね。ということは、The boys got seriously injured, and (both of / all of them) died ~の可能性があることになりますか。問題とは関係なさそうですが、「小説の一部」のつもりで読むと、ちょっと気になりました。 @冠詞の解説書では、例えば第3文のdriverについておおむね次のような説明がなされます。-先行文脈における車と人との衝突という状況から、聞き手にとって運転手の存在は連想によって容易に了解できることである。そして、その場で一つに決まるものだから定冠詞がつけられる。- 私としては、もっと本質的な説明がほしいと思います。この場合、衝突事故という状況から話し手(書き手)と聞き手(読み手)の共有知識の中で、連想によってある特定の概念群が想起され焦点化されるというふうに考えてよいのではないかと思います。 ⇒はい、聞き手側の立場でも、衝突事故という状況から連想によって事故の当事者boysはもちろん、driverも即座に焦点化されると思います。 @Aの文を報じたreporterが現場に到着した時には、Aで言われるような出来事はすでに終わっていて、reporterはその時の様子を誰かから聞いてそれを記事にしたはずです。だとすると、ambulance, driver, policemanはreporterはすべて自分の心の中で連想によって思い浮かべたものです。/この状況が小説内の一場面だとしたときも同じことが言えると思います。筆者は自分と不特定の読者とが共有する知識集合の中で、衝突事故という状況に即応する特定の概念群を想起し焦点化したというふうに考えられるのではないかと思います。/上の衝突事故という状況においてはambulance, driver, policemanはその状況から思い起こされる概念群のうちデフォルト要素と言えるものだと思います。だからtheがつくと言えるように思います。その場の状況において一つに決まるからという理由でtheがつくわけではないと思います。ということは、到着した救急車が一台でなく2台であっても単数形が使われ、衝突事故という状況を構成するデフォルト要素なのでtheがつく、というふうに言えるような気がします。同じことはpolicemanにも言えると思います。 ⇒お説の総体としては十分賛同できると思います。ただ、driverだけは、やや特殊な状況がありますね。前節でも見たように、driverは、(A)「衝突事故という状況においてambulance, policemanとともに、その状況から思い起こされる概念群のうちデフォルト要素と言える」ことは確かだと思いますが、それに先行して、(B)「その場の状況において一つに決まるからという理由でtheがつく」場合にも当てはまる、と言えるでしょうから。つまり、driverについてだけは、「2つの理由からtheがつく」と解釈できるわけですが、時系列的に(B)が先に起こることですので、それをどう扱うかという問題は残るかも(ただし、大した問題ではないかも)知れませんね。 @なお、witnessesはその場での存在が確認されていないので不定冠詞をつけました。その場で明らかにwitnessだと思われる人物が警官に事故の状況を語った、という文を作るのであれば、witnessが二人以上いても定冠詞単数名詞の使用は容認されると思います。この考えでいいのでしょうか。 ⇒確かに、「witnessが二人以上いても定冠詞単数名詞の使用」が認められると思います。ただし、「不定冠詞複数名詞の使用」もあり得るとは考えられますが。 @一般に、概念集合の枠組みは2種類あると思います。一つは、{north, south, east, west}や、{morning, afternoon, evening}や、{sea, mountains, forest, desert, plains, jungle}のように、生活の便宜のための参照枠組みとして、デフォルト要素が始めから恒久的に固定されているケースです。ただし、3つ目の枠組みにおけるデフォルト要素は各言語共同体によって異同があるはずですが、固定されていることは確実だと思います。要素が固定されているということは、それらの要素が現実の出来事や現象と直接関わることがないということだと思います。言いかえると、出来事や現象を述べるための背景的要素をなす参照枠組みとして存在するのではないかと思います。期間または場所を表す副詞句の中で(特にinの後で)使われることが多いのはそのことと関係がありそうに思います。 ⇒「3つ目の枠組みにおけるデフォルト要素は各言語共同体によって異同があるはずですが、固定されていることは確実だと思います」というくだりについて、細かいことですが申しあげます。つまり、 「要素」が固定しているというよりは、「上位概念を構成する自然環境という枠組み」が固定しているということですね。言語共同体によっては、語彙的要素の意味範囲や相互関係は必ずしも同じでないとしても、確かに、それぞれの語の上位概念を構成する「自然環境という枠組み」という「意味概念」は共通のはずですね。 @もう一つは、今回の議論におけるように、個々の状況に応じてデフォルト要素として呼び起こされ焦点化されるようなケースです。後者の概念集合の場合、デフォルト要素は固定されていないと思います。例えば、今回の質問の事故場面では、文脈次第ではpolice carやtow truckやambulance officerも(もしかしたら、speedやbody-車体-やdamageも)デフォルト要素として加わる可能性があると思います。 ところで、Aにおいてan ambulanceとかa policemanを使った場合でも文法的にはOKです。この場合は、単に新情報を表すだけのことです。ただし、状況が緊迫したものであるだけに、緊張感のない気抜けした感じが出るような気がします。 ⇒「Aにおいてan ambulanceとかa policemanを使うことも文法的には可能であってもそれは単に新情報を表すだけのことあり、しかも状況が緊迫したものであるだけに、緊張感のない気抜けした感じが出る」については、実に同感です。an ambulanceとかa policemanですと、「臨場感のない」情景が目に浮かび、「ベールを通して見るような」感覚を抱くであろうこと必定、と思います。 以上、些細なことを若干敷衍させていただきましたが、総体としては、全面的に賛同申しあげます。
お礼
ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございました。 <driverは、(A)「衝突事故という状況においてambulance, policemanとともに、その状況から思い起こされる概念群のうちデフォルト要素と言える」ことは確かだと思いますが、それに先行して、(B)「その場の状況において一つに決まるからという理由でtheがつく」場合にも当てはまる、と言えるでしょうから。つまり、driverについてだけは、「2つの理由からtheがつく」と解釈できるわけですが、時系列的に(B)が先に起こることですので、それをどう扱うかという問題は残るかも知れませんね。> -<時系列的に(B)が先に起こる>とのことですが、そうでしょうか。話者にしてみれば、衝突事故という状況から連想によってデフォルト要素が即座に思い起こされることがまず最初に起きることだと思います。デフォルト要素だということはその場で一つしかない概念的要素なので、想起された瞬間に一つに決まるものと認識されているはずです。よって、時系列的に(B)が先に起こるとは考えにくいと思います。いかがでしょうか。 冠詞の解説書では、例えば第3文のdriverについておおむね次のような説明がなされます。--先行文脈における車と人との衝突という状況から、聞き手にとって運転手の存在は連想によって容易に了解できることである。そして、その場で一つに決まるものだから定冠詞がつけられる。-- 「その場の状況において一つに決まる」という言い方によって冠詞の解説者が何を言おうとしたのかはっきりしませんが、<その場の状況において想起されるデフォルト概念要素として一つに決まるからという理由でtheがつく>というのであれば納得できますが、<その場>が現実の場面、すなわち概念的要素を排除した実物だけで構成される状況だとすると、もはや連想という名に値しないように思われます。連想行為が成立するためにはその前提として概念操作が行われなければならないと私には思われます。いかが思われますか。 なお、A: A car collided with boys who dashed out of a shop. The boys got seriously injured, and died before the ambulance arrived. The driver was arrested. The policeman looked for witnesses but no witness was found. においては、the ambulance, the driver, the policemanはいずれも概念的なものでかつ実物も表していると思います。それが連想というものの有り様だと思います。この考えでいいでしょうか。 <witnessesはその場での存在が確認されていないので不定冠詞をつけました。その場で明らかにwitnessだと思われる人物が警官に事故の状況を語った、という文を作るのであれば、witnessが二人以上いても定冠詞単数名詞の使用は容認されると思います。この考えでいいのでしょうか。⇒確かに、「witnessが二人以上いても定冠詞単数名詞の使用」が認められると思います。ただし、「不定冠詞複数名詞の使用」もあり得るとは考えられますが。> -私の方で記述ミスがありました。 (witnessesはその場での存在が確認されていないので不定冠詞をつけました。)→(witnessesはその場での存在が確認されていないので無冠詞の複数にしました)とすべきでした。失礼しました。 <⇒「3つ目の枠組みにおけるデフォルト要素は各言語共同体によって異同があるはずですが、固定されていることは確実だと思います」というくだりについて、細かいことですが申しあげます。つまり、「要素」が固定しているというよりは、「上位概念を構成する自然環境という枠組み」が固定しているということですね。> -そうです。そう言わなければなりませんでした。 <⇒「Aにおいてan ambulanceとかa policemanを使うことも文法的には可能であってもそれは単に新情報を表すだけのことあり、しかも状況が緊迫したものであるだけに、緊張感のない気抜けした感じが出る」については、実に同感です。an ambulanceとかa policemanですと、「臨場感のない」情景が目に浮かび、「ベールを通して見るような」感覚を抱くであろうこと必定、と思います。> Aの文の中の冠詞を、話者による連想が行われていない状況だとして、つけ替えてみます。 A 2: A car collided with boys who dashed out of a shop. The boys got seriously injured, and died before an ambulance arrived. The driver was arrested. A policeman looked for witnesses but no witness was found. となります。単に事実を平板に記述しただけの文になります。登場する名詞句はすべて実物です。連想どころか、聞き手の想像力を全く喚起しない文だと言えます。 今、連想と想像力という言葉が出ました。この言葉と関連して、今回の質問と関係ありませんが、私にとって長年の懸案だった問題を取りあげさせていたきます。本来なら新たにスレッドをたてるべきところですが、前回の質問投稿(普通名詞が概念として使われる時、連続体としてとらえられる場合を除けば、たいていは<働き>を表す)とも関連していることなので、ここで追加質問させて頂きます。お意見を伺えればありがたいです。 (なお、<連続体としてとらえられる場合を除けば>を前回の議論の際に言い忘れていました。eat dogのように普通名詞が無冠詞で使われる時、働きを表すことなく、連続体と見なされる場合があります。このことを言い忘れていました。) B: The pen is mightier than the sword. C: Necessity is the mother of invention. The penはpenの働きを表しているように思えます。ここでは「言論活動」(speech activity)又は 「文人」(a literary men)を意味していると思います。ペンから文を書くことが連想され、さらに想像力の働きによって「言論活動」/ 「文人」を意味するようになったのではないかと思います。 もちろん、こうした解釈はthe swordの解釈と並行して行われなければなりません。the swordはswordの働き、すなわち「武力」(force / violence)又は「武人」(a military man)意味だと思います。連想と想像力の連携によるものと思われます。penもswordもどちらも概念です。 この考えでいいのでしょうか。 Cも同じように説明できると思います。the motherの働きは何かを産み出すことだと思われます。おそらく、the mother はa thing that gives birth to somethingと言いかえられると思います。 -概念集合のネットワークについては、最近、二三の論考を読みました(今回の議論のような文法と関わる話題は取り上げられていません。ただただ抽象的な内容でした)が、もう一つ好感が持てません。というのは、ある特定の状況が出現すると、それに応じて特定の知識が集合体として活性化されるとか焦点化されるという言い方がなざれているのですが、受動態で書かれていて動作主が不明です。 もしかして、動作主として前頭葉、あるいはコンピューター内部のCPUのようなものが想定されているのかもしれません。そうだとすると、言語主体はそうしたネットワークから独立したものと見なされているはずです。こうした論考の著者達は経験論的な思考の枠組みから自由になれないのでしょうね。この場合、前頭葉とかCPUとかが正しい振る舞い-思考-をしているかどうかを、それら自身も判定できないし、それらを操る言語主体やコンピューター技術者にも判定できるはずがありません。ただ、統計的に正確さを追究することができるだけだと思います。 よって、今回の私の論考においては、<概念群がある状況から触発されて焦点化される>と言う時、<話者の関心に応じてスポットライトを当てられる>という文言を添えました。世界内存在という観点をつけ加えたわけです。
お礼
再再度の回答ありがとうございました。 ---連続体という語はクリストファーソン(イェスペルセンの後継者)が使ったcontinuate-words (日本語訳は連続語)から借用しました。連続していて空間的・時間的に無限に拡がっていると考えられるものだそうです。waterのような物質やmusicのような抽象的なものをさすわけです。こうしたものに対して質量名詞(mass words)という呼び名を使う人が多いようですが、私自身はその言葉にピンとこないのです。 結局、train (by train) やinterpreter (as interpreter) やking (king of England)のように対象化して知覚する時、一つのまとまりを持つものとして扱われる場合と、dog (eat dog) やhelicopter (helicopter scattered ---)にように対象化して知覚する時、連続体(一定のまとまりを持たないものとして扱われる場合に分けられるように思うのですが、生徒に対する指導という観点からは、一本化される方がやりやすいということがあります。その場合は、train (by train) やinterpreter (as interpreter) やking (king of England)などの働きをも連続体としてとらえることができるかという問題になりますが、思弁的な問題だと感じられるので私としてはこれ以上の検討は差し控えようと思います。現場でdog (eat dog) やhelicopter (helicopter scattered ---)について指導する可能性もまずないと思われます。 というわけで、普通名詞の無冠詞用法においては、主に働きを表す場合と、連続体を表す場合の二つがあるということにしておきます。よって、the penとthe swordの場合も対象化して知覚する時一つのまとまりを持つものとして扱われる(ペン、刀)ので働きを表すものと思われます。 ペンと刀がもともと持っている働きから連想と想像力の連携によって、それぞれ「言論活動」と「武力」の意味が出るということに、おそらく賛同して頂いたものと解釈させて頂きます。 <「音韻数や語彙数は有限個なのに、それを駆使して無限な表現を可能にする」ために、かくも膨大な組織を生み出した人間の知的営為はまさに大変な文化的所業ですね。そして、この「メタファーをめぐるテーマは、英語法の哲学的考察における中心的論題」である、と言っても過言ではないだろうと思います。> -全く同感です。言葉をめぐる人間の工夫と想像力のたくましさには感心させられます。今回もありがとうございました。次回は、<ものが数えられるものと判定される基準について>というタイトルです。よろしければまたお願いします。