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【偏見】。
ってなくなると思います? 『放射能で汚染されました』といって福島県産の物が売れなくなったり(個人的にはいまだに食べたくない) それが今度は全世界的なパンデミックにより 『いろんな人が触ったところはむやみやたらに触らない方がいい』 『人と一緒に食事しないでください、感染ります!』 など まるで対人恐怖をあおるようないわば【洗脳】がされた一年 その【植え付け】から逃れるような「ワクチン」報道もありますが いったん【色付け】された見方 【偏見】を拭うことって人間できるのでしょうか?
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なくなりはしないと思います。 でも、まだまだ減らせる余地は沢山あると感じます。 偏見を減らすには知識が必要ですが頭がよろしくない人はさほど珍しくもなく、学校教育の改善点もいくらでもあります。 それは、逆にまだまだ偏見が減る可能性があることを示唆していると思います。 ただ、人は毎度、知識ゼロで生まれきます。そこから教育で改善していくわけですが、成長には不十分な時期も当然あるのです。ゼロにはならないことを示していると思われます。
- staratras
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「偏見」は、人間が「神」や「仏」にならない限り、この世からなくなりません。というより、「偏見でない見方」ができないのが「人間の業」でしょう。一人一人の人間の認知能力や知識の量には限りがあり、受けてきた教育にも何らかのバイアスがかかっているからです。 昔々、小学校の教室で盗み見をした(先生が置き忘れた)「社会科教科書の教師用指導書」の「ソビエト連邦」の項目には「何でもできるすばらしい国」や「魔手を持った赤い国」などという一面的な見方に児童が陥らないように留意すべきだと記されていました。 確かにこの二つの見方は一方的な偏った見方だと思いますが、ではどう理解するのが「偏見を払拭した見方」なのかは難問です。ロシア人もリトアニア人もアメリカ人も日本人も含めて世界中の人が納得するソ連についての「見方」など、ソ連という国家がなくなった現代でも存在しないように思います。 大事なことは「自分には偏見がない」とうぬぼれることではなく、「自分の見方が正しいとは限らない」ことを常に意識して、「見方を変えることを厭わず」、「意地を張らずに」生きることではないかと思います。別の言い方をすれば、「凡夫」「凡婦」の自覚を持ち、道の端を歩いて転落しないように心がけるだけです。
一個人で出来る個体は現れるかもしれないけど、 どんな教育をしても人類には無理だと思います。