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孤独死でも良いという人が増えているのでしょうか?
- 最近、孤独死を受け入れる人が増えているのか疑問です。
- 貧困や不和、地域の崩壊などの影響で、孤独死しか選択肢がない人もいるのでしょうか?
- 一方で、心配されたくないという人も存在し、そのような生き方を望んでいる人もいるのか気になります。
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質問者が選んだベストアンサー
身内にいますよ、縁切りまで行かないけど。 その人見てて思うけど、すでに出ている「お金で解決(福祉も含めて)」「干渉を嫌う」だけじゃなくて、価値観の多様化もあると思います。 非協力的だったり反発する人を見るとつい、わがままだなぁと思いがちだし私も思ったり言ったりしますが、向こうからしたら、君たち多数派の論理で見るな、君らはたまたま価値観の共有ができるから違和感がないんだろうけどこちらは違う、そんな状況で付き合ったら結局少数派のこちらが多数派の犠牲になるだけ・・・と思ってる可能性もあるかもしれませんよね。 自分でもそう思うことがありますし。
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- iwashi01
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そういう生き方も許されるようになった、ということでは? 私の親は、入院した時に親戚達に知れるとお見舞い対応、退院後の連絡や病状説明など大変だから一切知られたくない、として家族外に情報を漏らさないようやっていました。 相手は善意としても、お互いの負担が少なくなるように変えていくのはいいこと 本当に、来てほしい人だけ連絡する、のほうがいい
お礼
ご回答有難うございました。 そういう生き方も許されるようになった、ということでは? 私の親は、入院した時に親戚達に知れるとお見舞い対応、退院後の連絡や病状説明など大変だから一切知られたくない、として家族外に情報を漏らさないようやっていました。 相手は善意としても、お互いの負担が少なくなるように変えていくのはいいこと 本当に、来てほしい人だけ連絡する、のほうがいい 寂しいですが、その様な場合もあるという事なのでしょうか?
- KoalaGold
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人間関係に期待はしない、必要なものはお金で解決する。そういうタイプは年々増えている気がします。 私の父は昭和一桁世代ですが、その頃は大家族だったり親戚が多かったのに対し一人で生きてきました。家庭を作っても家族が散り散りになり高齢者ホームと病院で一生を終えました。 信条として「立って半畳寝て一畳」「所詮人間は一人」でした。 この人間関係が作れない最大の原因は育ちです。両親を無くして孤児として生きていく中で培われたものと思いました。なので自分の家族に愛情を分けることも知らずに家族は分散しました。 現在でも家庭をいう形を取りつつも気持ちの生き買わない家族は割とあると思います。親に幻滅した子は一人でたくましく生きていきますが頼る甘さを知りません。
お礼
ご回答有難うございました。 人間関係に期待はしない、必要なものはお金で解決する。そういうタイプは年々増えている気がします。 人間関係において、親子や家族でも不和であるとその様な事が伺われます。 私の父は昭和一桁世代ですが、その頃は大家族だったり親戚が多かったのに対し一人で生きてきました。家庭を作っても家族が散り散りになり高齢者ホームと病院で一生を終えました。 信条として「立って半畳寝て一畳」「所詮人間は一人」でした。 この人間関係が作れない最大の原因は育ちです。両親を無くして孤児として生きていく中で培われたものと思いました。なので自分の家族に愛情を分けることも知らずに家族は分散しました。 現在でも家庭をいう形を取りつつも気持ちの生き買わない家族は割とあると思います。親に幻滅した子は一人でたくましく生きていきますが頼る甘さを知りません。 多分、人を信用できない(身内でも)という事があり、 その様な感覚に陥るケースはあるのかと思います。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
痴呆症や寝たきりで亡くなった人が多くなると、孤独死の方がましなのではないかと思うことが多いです。
お礼
ご回答有難うございました。 痴呆症や寝たきりで亡くなった人が多くなると、孤独死の方がましなのではないかと思うことが多いです。 健康ならば良いがそうなると、生きている意義を見出せない、いのちは平等であるが、その様な事はよく解ります。 唯認知症などに成られても、そこでどう生きていくか(大変ですが)という事が求められている課題かと思います。
- BUN910
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孤独死を好む人がいるわけではないでしょう。 人との関わり合いを面倒と思う人が増えたのでしょうね。 その一因ですが、核家族が増えたのが要因ではないかと思います。 昔は、おじいさんおばあさんも一緒に暮らしていて、子ども達は老人を敬う心や、おじいさんおばあさんの友達が家に遊びに来ていて相手してもらったりと人との関わり合いの大事さを自然と身に着けていたと思います。 今は、核家族が増え、両親共働きで近所との付き合いも少なくなってきたから、人と関わり合うのが面倒になってきたのではないでしょうか。 あなたの質問の答えになっていないかもしれませんが・・・
お礼
ご回答有難うございました。 孤独死を好む人がいるわけではないでしょう。 人との関わり合いを面倒と思う人が増えたのでしょうね。 その一因ですが、核家族が増えたのが要因ではないかと思います。 頷ける話です。 昔は、おじいさんおばあさんも一緒に暮らしていて、子ども達は老人を敬う心や、おじいさんおばあさんの友達が家に遊びに来ていて相手してもらったりと人との関わり合いの大事さを自然と身に着けていたと思います。 煩わしいと思うが、その様な事も培われていたと思います。 今は、核家族が増え、両親共働きで近所との付き合いも少なくなってきたから、人と関わり合うのが面倒になってきたのではないでしょうか。 そこで行政も対応に動き出したのかと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 すでに出ている「お金で解決(福祉も含めて)」「干渉を嫌う」だけじゃなくて、価値観の多様化もあると思います。 核家族化と云うのが大きいと思いますし、 行政もその様な対応をすべく動き出したのかと思います。 非協力的だったり反発する人を見るとつい、わがままだなぁと思いがちだし私も思ったり言ったりしますが、向こうからしたら、君たち多数派の論理で見るな、君らはたまたま価値観の共有ができるから違和感がないんだろうけどこちらは違う、そんな状況で付き合ったら結局少数派のこちらが多数派の犠牲になるだけ・・・と思ってる可能性もあるかもしれませんよね。 唯、それでも気遣って戴くと、此方は「ご心配おかけして」と云いますが、その様な事も云いたくない構ってくれるな、此方で何とかするという事でその様な人も居るのかという事かと思います。