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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:前置詞atの働きについて)

atの働きについて考察

このQ&Aのポイント
  • atは点を表す、あるいは狭い場所を表すと学習参考書に書いてあります。例えばat noonは正午という時点で、at the officeは狭い場所を表すのだそうです。
  • at nightは夜という時点を表すのか疑問が生じます。それについてはいくつかの説明がありますが、その中でもあっという間に過ぎ去るので点と同じだという珍説もあります。
  • atの働きについて考察した結果、atび後続する目的語が数えられる名詞で冠詞やその他の限定詞が付加される場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。また、atび後続する目的語が数えられる・数えられないと関係なく冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念または概念に近い働きを行うと考えられます。さらに、動名詞が続く場合は動詞の持つ概念が具体化されるということだと思います。

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  • Nakay702
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回答No.3

「補足」を拝見しました。 @固有名詞全般について、「伸び広がり」については何も関知していないという言い方でよいのでしょうか? ⇒はい、そう言えると思います。 @at のまとめですが、限定詞+概念が後続する時は、時間や空間の伸び広がりがあるが、比較的狭い伸び広がりを表す。それ以外のものが後続する場合は、時間や空間については関知しない。  これでよろしいでしょうか。 ⇒はい、それでいいと思います。 以上、そっけなくてすみませんが、ご返信まで。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • Nakay702
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回答No.2

「補足」を拝見しました。以下のとおりお答えします。 @「(朝や昼でなく)夜に」という区分けですが、「(朝や昼でなく)晩に」となるのではありませんか。つまり、{morning afternoon, evening} という枠組みです。「夜」の場合は「昼間(明るい時)ではなく夜間(暗い時)に」という区分けが行われると思います。枠組みは{day, night}だと思います。 ⇒あ、うっかりしました。おっしゃるとおりだと思いますので、そのように訂正させていただきます。ありがとうございました。 @at a nightとat the nightが2項対立をなすということがよくわかりません。対立関係が成立するためには、ある上位概念を持つ下位概念が比較的少数の成員によって構成されていることが必須条件になると思います。この場合、上位概念は「at+ゼロ冠詞を含む限定詞+概念」だと思います。下位概念は{at a night, at φnight, at the night}ということになりますね。 ⇒「外堀」から入りますが、意味場の構造図では、表面的には3つの要素があるように見えるのに、それらが同一のレベルに並んでいない(鼎立していない)場合があります。例えば、単数両数複数、男性女性中性、近称中称遠称など。最初の例では、単数と非単数とがまず対立して、その非単数の中で両数と複数が対立する、つまり、{単数:非単数〔両数:複数〕}、{singular:non-singular〔dual:plural〕}という格好です。その後の例についても同じように、{無性(=中性):有性〔男性:女性〕}、{近称:非近称〔中称:遠称〕}といった構図が考えられます。最後の例は、日本語では{これ:〔それ:あれ〕}となり、一部の印欧語でもこれと似た(3分法の)形をしていますが、英語では{this:〔that〕}、つまり、中称と遠称の区別がない(2分法の)形になっていますね。一般的に、近称に対して、中称と遠称とが互いにより近い関係である(対立力が弱い)ことをうかがわせますね。前書きが長くなりましたが、本件の{at a night, at φnight, at the night}という枠組みの構図も、このようないびつな入れ子構造(鼎立でなく2項対立の連続)になっていると解釈できます。すなわちそれは、{at φnight:〔at a night:at the night〕}、{「内包」(=非限定):限定〔弱限定(=任意選択):特定〕}と表すことができるだろう、とこのような構図をイメージしたからでした。 @at nightを他の何かとの対立の図式の中で見るのは難しいように思います。いかかがでしょうか。 結論として、<at nightには時間幅の小さな時を表す働きはなく、単に「夜の暗い時に」を表す>という言い方でどうでしょうか。 また、at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく、太陽の南中という現象を表すものだという私の説はいかがなものでしょうか。 ⇒意味場の構造図で、1つの結節点にぶら下がる{day, night}という組みは、その結節点から見れば、day・nigh間の「類別」を表しますが、実際の発話に現われたat night・at noonなどの語句は、その個々の要素相互間の対比が背景にあるとはいうものの、おっしゃるように「対立の図式の中で見るのは難しい」ですね。そこでは、それぞれの「質」が非限定的に漠然と示されていると見るのが妥当なところでしょう。発話されたat night・at noonの意味するところは、発話者の実際的経験に基づいているので、当然若干の差異はありますが、大きく見れば共通項(最大公約数的な意味)があるはずですね。 例えば、こうです。at nightは「夜の暗い時に」でもいいと思いますが、細かいことを言えば、「暗い」は常識が挿入させる事柄で、この発話が関知することではないでしょうから、「日が暮れてから朝日が昇るまで」とでもする方が幾分か原義に近いかも知れませんね。また、「at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく」はいいのですが、「太陽の南中という現象を表す」の「現象」は天体運行の説明みたいでしっくりしないような気がします。ま、大差ありませんが、せいぜい「太陽が南中するころに」とでもしましょうか。 @I'm good at writing essays. この場合のwritingはいわゆる動名詞ですから、writingはwriteという概念(内包)に対応する外延だと思います。でも、ここでは内包に近い働きを行っています。<essaysを書くこと>という無時間的な意味(一般的な意味)を持つものと思われます。この考えでどうでしょうか。 ⇒はい、仰せのとおりだと思います。これぞまさしく「質の表現」の類ですね。 @I'm very surprised at the news. the newsは驚きという感情の原因を表していると思います。atはいろいろな原因の中から主要な原因を絞り込む働きを持っているのではないかと思います。<絞り込む>とは空間的なメタファーを介した言い方だと思いますが、空間的な伸び広がりが小さいことを表しているはずです。 @一般に概念を文中に具体化するためには、時間または空間による認知形式によって制限が加えられなければならないはずですが、時間または空間の形式がそのままの形では適用できない場合は、(例えば、上述のnewsのように)時間的または空間的なメタファーを介して認知されると考えるしかないと思います。そもそも、人間は想像力を柔軟に働かせることによって、様々な非空間的な存在物を空間的なものとして把握することが可能になったのだと思うのです。この考えで正しいでしょうか。 ⇒はい、実に深い洞察と捕捉、見事なたとえ方だと感服しました。 @the newsの絞り込みのやり方ですが、たとえば、時間的な相においては、次々に発せられて取り入れられてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い時間幅において)切り取ることだと思います。また、空間的な相においては、一瞬ごとに量が増えてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い空間において)切り取るこだと思います。どちらのやり方でも、たくさんのニュースから少量のニュースを選び出すことになります。 ⇒「私の驚きの原因となった部分」は最初に、つまり、驚いたときに切り取られて、その部分がthe newsという形で表されたのではありませんか? つまり、上で縷々述べられた「絞り込み」は、この発話をした時点ですでに発話者によってなされていることがat the newsの示していることでしょう。ということは、the newsのtheは、ただ「それを、そのように限定するために」冠せられたに過ぎないのだと思います。 @概念ではなく実体(固有名詞)が続く場合 The train arrived at Tokyo. Tokyoは概念を持たないので限定詞がつきません。また、実体なので空間的な制約を受けることになります。atに限定詞+概念が続く時と同様に、一定の空間的な伸び広がりを持つわけですが、最小限度の伸び広がりしか表現できません。この言い方でいいのでしょうか。 ⇒この場合のat Tokyoも、「伸び広がり」については何も関知していないと思います。発話者が経験上抱いているTokyoを主観的かつ「質的に」表しただけ、というように考えられます。発話者の気持ちは別として、この文の文意としては、Tokyoのどの位置か、どの駅かなどについては頓着していないわけで、それを云々するのはいわば読み手の取り越し苦労、別名「勇み足」かも知れないと考えます。 @take a walkという表現があります。散歩(walk)はそれに要する時間の経過を伴うものなので、時間的な制約(はじめから終わりまでのまとまり)があると考えられます。でも、同時に、散歩(walk)は平面上での(散歩経路上の)移動を伴うものなので空間的な制約があるとも考えられます。a ten minute walk --- 時間的まとまり / a ten mile walk ----空間的まとまり この考えでいいのでしょうか。 ⇒「時間および空間」と言うと、「その両方を同時に」という意味を了解してしまいますので、「時間や空間」でいいと思います。a ten minute walk やa ten mile walkは、確かに、一定の時間・空間の尺度で測って「切り取った部分のひとまとまり」を指示しているのでしょうね。 @ところが、例えばa bookは(…)、いかがでしょうか。 ⇒すみませんが、このあたりの数行については何とも申しあげられません。構文と文脈によってはあり得ないとは限りませんが、多くの場合、たとえそのような語句・文言が発せられても、おっしゃるような意味を表すことはなさそう、と言いますか、そもそも通常の表現でこの種の事柄については関知することも言及することもないように思われます。つまり、失礼ながら、これはうがち過ぎ、ないし上述の「勇み足」の部類に近いのではないかと考えます。とはいえ、言語は一面心理的存在です。ですから、解釈問題がいろいろなところまで飛躍することはいくらでもあり得ますので、そのこと自体を批判する意識は毛頭ありません。その点はどうぞご賢察くださいますように。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。

feeders
質問者

補足

回答ありがとうございました。 <⇒この場合のat Tokyoも、「伸び広がり」については何も関知していないと思います。> --よく考えたら当たり前のことでした。「伸び広がり」とは時間や空間に関知しないものに時間的/空間的限定を加えることですから、その働きを行うのは限定詞だけです。固有名詞には(拡張用法的に普通名詞の働きをする時を除けば)限定詞がつくことがないので、そうした限定が行われないわけですね。 では、固有名詞全般について、「伸び広がり」については何も関知していないという言い方でよいのでしょうか? ---a bookの認知形式において、時間的に継続の意味を持つという言い方はやはり不自然なわけですね。たぶんラネカーの著作を読んでいてそうした記述を発見したような記憶があります。それを読んだ時、認知は必ず時間と空間の両方の形式においてなされると彼が考えているのかなと思ったわけです。それまで、認知は時間か空間のどちらかの形式でなされればよいはずだと思っていたので、非常に違和感があったのです。やはり、時間と空間の両方の形式においてなされる必然性はないわけですね。もちろん、(a ten minute walk やa ten mile walkなどのように)時間と空間のどちらで行っても自然な解釈が可能な場合もありますが。 よく考えたら、for a time /while のように空間形式で認知するのが困難(よほどのこじつけを行わない限り)なものがありますね。 -結局、at のまとめですが、限定詞+概念が後続する時は、時間や空間の伸び広がりがあるが、比較的狭い伸び広がりを表す。それ以外のものが後続する場合は、時間や空間については関知しない。  これでよろしいでしょうか。これなら何とか生徒に説明できそうな気がします。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.1

むずかしいテーマなので遅れましたが、以下のとおりお答えします。 @説明というものはある程度、理のかなったものであってほしいと思うのです。そこで、私なりにatの働きについて考察して見ました。 ⇒お気持ちは非常によく分かります。既存の説明を鵜呑みにするよりはるかに素晴らしい考え方だと思います。このような疑問の生じやすい問題についてそれを意識し、対応する解釈を「自分語」にしておくことが重要で、特に質問があった場合などに「理屈抜きで丸暗記しろ」などと繰り返す御仁よりはよほどありがたい存在となるに違いありません。 @(1) atに後続する目的語が数えられる名詞で、冠詞やその他の限定詞が付加される場合は時間や空間において最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。(…)aim at ---も同様です。目標を狭い範囲におさめようとするものだと思われます。 ⇒確かに、この場合のatは、おっしゃるような意味で用いられていると思います。そして、生徒さんに分かりやすく説明する場面では具合のいい解釈かも知れません。少しこねくり回すことが許されるなら、意味場を想定してこの語とその上位概念との結節点(node) から見ると、そこにはおそらく、少なくともatやinがぶら下がっていて、その結節点には位格(locative) という名がついていることでしょうね。そして、atは比較的狭い範囲の「場」を示し、in は相対的に広い範囲の「場」を示しているでしょう。さらに細かいことにこだわれば、前置詞atが意味することはそれ(比較的狭い範囲の「場」)だけで、それ以上の細かい場や位置の条件ないし規定は、実は、後続する名詞とか、それにかぶせられる冠詞その他の限定詞が担っている意味規定作用である、と言えるように思います。 @(2) atに後続する目的語が数えられる・数えられないと関係なく、冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念または概念に近い働きを行うと考えられます。(…)このように考えると、at nightを点を表すものと考えることが筋違いのものであるように思われます。そもそも問題設定を間違えているという気がします。nightは黒々とした闇の深さを表しているに過ぎないと思います。at nightは「夜の暗い時に」の意味だと思います。 ⇒at nightの「概念または概念に近い働き」という意味機能は、言い換えれば「質」、すなわち、「内包」(→内包そのものではないが、それに限りなく近いのでカギカッコに入れる)を表すことである、と言うのとほとんど同じことでしょうね。ということは、at nightが持つ弁別特徴(distinctive feature) をさらに別の語で言い換えれば、「(朝や昼でなく)夜に」ということになるでしょう。簡単な枝分かれ図を描くと、このat night は、at a night「ある夜に」やat the night「その夜に」と鼎立関係にあるのでなく、まずat a nightとat the nightが2項対立をなし、次にこの2つの組とat nightとが対立する(2項対立の連続)、そしてさらにその上の結節点ではat noonなどの系列と対立している、といった構図を想定することができるかも知れません。 @(3) He's very good at swimming.(…) ---ingは名詞につく限定詞のようなものだと思います。---ということは、(1)のヴァリエーションだと言うことになります。ここでのswimmingは外延ではあるものの、一般論的な文脈に組み込まれたために内包に近い働きをしているように見えます。swimmingは<泳ぐこと>を一般的に表していると思います。 ⇒swimming なる語は動名詞‐ingから派生したことは確かですが、buildingなどと同じように、れっきとした名詞です。時に、How do you think about his swimming? というような形で用いられることでも分かります。ゆえに、それは外延ではあっても「内包」に限りなく近い働きをしていると思います。ということで、これは「(1)のヴァリエーション」でなく、(2)の部類に入ると言えるのではないかと思われますが、いかがでしょう。 @以上3つのパターンを分析しましたがその共通点を探ってみました。冠詞やその他の限定詞(---ingを含む)が続く場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない、つまり点に近いものになります。冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行うので、そもそも時間や空間の伸び広がりを表現できません。つまり双方共に、時間・空間という形式において一定の十分な伸び広がりを表現できないということが共通点かと思います。 ⇒「冠詞やその他の限定詞が続く場合は最小限度の伸び広がりしか表現できない」はいいのですが、上で見たとおり、ここに‐ingは含まれませんね。また、「冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行う」はいいのですが、この場合、「時間や空間の伸び広がりを表現できない」のではなく、「それについては関知せず、したがって言及もしない」だけであろうと考えます。それ(時間や空間の伸び広がり)については特に限定せず、抽象的に「質」のみを表す、あるいは、上位概念の場における他の概念要素との対比・類別を示すに過ぎない、ということであろうと思います。at nightは、繰り返しになりますが、時間の伸び広がりなどとは関係なく、単に「(朝や昼でなく)夜に」ということを示しているに過ぎない、というわけです。 以上、いささか違った視点から見て「いちゃもん」をつけさせていただきましたが、feedersさんはatの意味をsyntacticな場面において意味機能を現象・結果として捉えて考察し、その説明・解釈を提示されたと思います。一方、私はatをparadigmaticな場面において、その意味論(における網の目体系)の観点から申しました。feedersさんが動態研究をなさったとすれば、私は静態研究のスタンスをもって眺めただけだったかも知れません。このような立場の違いによる「いちゃもん」であってみれば、もし同じ立場に立ってみたら、案外似た結論になっているかも知れません。少なくとも教育現場にあっては、feedersさんの分析や解釈のほうが、私のそれより有効な手立てになるに違いありません。 以上、不十分ながら、ご回答まで。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。  

feeders
質問者

補足

回答ありがとうございました。  <ということは、at nightが持つ弁別特徴(distinctive feature) をさらに別の語で言い換えれば、「(朝や昼でなく)夜に」ということになるでしょう。簡単な枝分かれ図を描くと、このat night は、at a night「ある夜に」やat the night「その夜に」と鼎立関係にあるのでなく、まずat a nightとat the nightが2項対立をなし、次にこの2つの組とat nightとが対立する(2項対立の連続)、そしてさらにその上の結節点ではat noonなどの系列と対立している、といった構図を想定することができるかも知れません。> ---「(朝や昼でなく)夜に」という区分けですが、「(朝や昼でなく)晩に」となるのではありませんか。つまり、{morning afternoon, evening} という枠組みです。「夜」の場合は「昼間(明るい時)ではなく夜間(暗い時)に」という区分けが行われると思います。枠組みは{day, night}だと思います。 at a nightとat the nightが2項対立をなすということがよくわかりません。対立関係が成立するためには、ある上位概念を持つ下位概念が比較的少数の成員によって構成されていることが必須条件になると思います。この場合、上位概念は「at+ゼロ冠詞を含む限定詞+概念」だと思います。下位概念は{at a night, at φnight, at the night}ということになりますね。  では、at a night とat the nightは同じレベルの概念で、しかも同種のものであるとする判断はどこから生まれるのでしょうか。表現形態において同種であるということなのでしょうか。  この問題をもう少し追究してみたいと思います。 {day, night}という枠組みであれば2項対立をなすので、当然theがつきます。{day, night}という枠組みにおいて、dayとnightはどちらも言語使用者とは直接のつながりを持たない要素です。だからこそ、言語使用者からみて客体的なものととらえられ、かつ両者が対立するものとらえることが可能なのではありませんか。 nightが{day, night}という枠組みの外に出ると、今度は言語使用者との直接的なつながりが生じると思います。(だから闇の黒々とした感じを言語使用者が持つのではないかと思います)。 対立関係は概念同士が言語使用者と直接的なつながりを持たないときに生じるのではないかと思います。よって、at nightを他の何かとの対立の図式の中で見るのは難しいように思います。いかかがでしょうか。 結論として、<at nightには時間幅の小さな時を表す働きはなく、単に「夜の暗い時に」を表す>という言い方でどうでしょうか。 また、at noonが正午という時点(瞬間)を表すものではなく、太陽の南中という現象を表すものだという私の説はいかがなものでしょうか。  <⇒swimming なる語は動名詞‐ingから派生したことは確かですが、buildingなどと同じように、れっきとした名詞です。> -たしかにそうですね。私の凡ミスでした。ではこういうのはどうでしょうか。  I'm good at writing essays. この場合のwritingはいわゆる動名詞ですから、writingはwriteという概念(内包)に対応する外延だと思います。でも、ここでは内包に近い働きを行っています。<essaysを書くこと>という無時間的な意味(一般的な意味)を持つものと思われます。この考えでどうでしょうか。 <「冠詞やその他の限定詞が続かない場合は概念の働きを行う」はいいのですが、この場合、「時間や空間の伸び広がりを表現できない」のではなく、「それについては関知せず、したがって言及もしない」だけであろうと考えます。それ(時間や空間の伸び広がり)については特に限定せず、抽象的に「質」のみを表す、あるいは、上位概念の場における他の概念要素との対比・類別を示すに過ぎない、ということであろうと思います。> -その言い方の方がいいですね。納得です。 --2つほど、つけ加えるのを忘れていました。ご意見を伺えるとありがたいです。 I'm very surprised at the news. the newsは驚きという感情の原因を表していると思います。atはいろいろな原因の中から主要な原因を絞り込む働きを持っているのではないかと思います。<絞り込む>とは空間的なメタファーを介した言い方だと思いますが、空間的な伸び広がりが小さいことを表しているはずです。  一般に概念を文中に具体化するためには、時間または空間による認知形式によって制限が加えられなければならないはずですが、時間または空間の形式がそのままの形では適用できない場合は、(例えば、上述のnewsのように)時間的または空間的なメタファーを介して認知されると考えるしかないと思います。そもそも、人間は想像力を柔軟に働かせることによって、様々な非空間的な存在物を空間的なものとして把握することが可能になったのだと思うのです。この考えで正しいでしょうか。 the newsの絞り込みのやり方ですが、たとえば、時間的な相においては、次々に発せられて取り入れられてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い時間幅において)切り取ることだと思います。また、空間的な相においては、一瞬ごとに量が増えてゆくニュースのうち、<私の驚き>の原因となった部分だけを(狭い空間において)切り取るこだと思います。どちらのやり方でも、たくさんのニュースから少量のニュースを選び出すことになります。この考えでいいのでしょうか。 もう一つあります。つけ加えるのを忘れていました。 (4) 概念ではなく実体(固有名詞)が続く場合 The train arrived at Tokyo. Tokyoは概念を持たないので限定詞がつきません。また、実体なので空間的な制約を受けることになります。atに限定詞+概念が続く時と同様に、一定の空間的な伸び広がりを持つわけですが、最小限度の伸び広がりしか表現できません。 この言い方でいいのでしょうか。 ところで、以前から気になっていたことがあります。実体(固有名詞と限定詞つきの概念)は時間相または空間相において制約を受ける(一定の限界を持つ)わけですが、これまでの私の説明では時間又は空間のいずれかの相において制約を受けるという考えに基づいたものでした。  しかし、よく考えたら、<時間又は空間>ではなく<時間および空間>であるはずだと思うのです。例えば、take a walkという表現があります。散歩(walk)はそれに要する時間の経過を伴うものなので、時間的な制約(はじめから終わりまでのまとまり)があると考えられます。でも、同時に、散歩(walk)は平面上での(散歩経路上の)移動を伴うものなので空間的な制約があるとも考えられます。a ten minute walk --- 時間的まとまり / a ten mile walk ----空間的まとまり この考えでいいのでしょうか。 ところが、例えばa bookは空間的な制約を持ちますが、時間的制約はと言うと、本が作られてから廃棄されるまでの時間の経過または持続というしかありません。ですから、わざわざ言及することに意味があるとは思えません。  Tokyoもそうです。空間的伸び広がりだけでなく時間的な伸び広がりを考える時、東京が作られてから消滅するまでの時間の経過または持続というしかないと思います。でも、atに後続する形で使われたとなると、空間的には東京の中の一点に近い場所を表し、時間的には東京の日々の営み(時間の経過)の中の一点(電車が到着した時点)を表すのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 以上です。よろしくお願いします。