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桂小五郎と吉田松陰の倒幕にかける意気込みの強さ比較
桂小五郎(木戸孝允)と吉田松陰とでは、どちらの方がより、倒幕にかける意気込みは強かったのでしょうか? 桂小五郎(木戸孝允)と吉田松陰とでは、どちらの方が、より倒幕にかける意気込みが強かったと思われるかを教えてください。
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長州藩が倒幕にかわるのは松陰が亡くなってずっと後、ですからね。実際に倒幕の長州で活躍した小五郎の方が意気込みは強いのでは?
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- nekosuke16
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木戸孝允も吉田松陰の松下村塾の弟子だったと思いますが、その時代には松陰も木戸も倒幕など考えてもいなかったと思いますよ。 特に29歳で没した松陰いついては、その駆け抜けるように濃くも短い人生のなかで考えていたことは、尊王の思想はあったとしても、攘夷ではなく、むしろ海外に目を向け日本という国をどのような方向に導いていくのかということ。 牢屋で過ごすことが多かった松陰ではあったけれども、それぞれの接点は別として、その思想は勝海舟や坂本竜馬にも繋がっていったことを思えば、当時の危機的な日本に方向修正が必要だと思っていた人間は複数いたことにもなる。 ただ、その時点で松陰の幕府に対する思いは倒幕ではなく、あくまでも、幕府改革に止まっていたと思いますよ。 木戸については松陰の弟子ではあったけれども、松陰の弟子としては久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山田顕義などの名前が先に立ち、むしろ、神道無念流の剣客としての印象の方が強く、北辰一刀流の免許皆伝の腕前の坂本竜馬と互角だったとか、倒したなどという話もあるほどのもので、大柄な木戸は新撰組の近藤勇をして、特に上段からの構えに対しては「恐ろしい以上に、手も足も出せない」と言わしめたなどという逸話もあるほど。 ただ、政治に関しては、そもそも一方的な武闘派ではなく、ペリー来航に強い衝撃を受けていたことからも、開国派との交流を交えながら時代を観察していく中で、今の幕府ではとても時局に対応はできないとして、さらに混沌とする時代の中で起こる殺されかけた池田屋事件や禁門の変などを経て、さらに倒幕へと突き進んでいった。 そう考えると、幕府改革で止まっていた松陰と、現実に倒幕運動に身を投じていた木戸では、「倒幕にかける意気込み」ということでは木戸孝允でしょうね。
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御回答ありがとうございました。
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