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戦争中になぜ兵士が餓死したのですか?
今日のテレビで戦争のことを放送していますけれど、 さっき、日本軍は戦闘で死んだ人よりも、餓死や病気で死んだ人の方が数が多かったと言っていました。 どうして兵士が餓死したのでしょうか? なぜ食べるものが無かったのですか。 もし食べるものが無ければ、餓死するよりも敵の捕虜になった方が、敵から食料をもらえたのではないですか。
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- longrailjpn2018
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あの時代は食糧生産も物流も悪かった。 今は北海道でもお米が育つ。 農薬も肥料も乏しい、日本人は米と魚だけ食べていた時代だから。 牛乳や牛肉が庶民的になったのは、1964年の東京オリンピック以降。
- kuni-chan
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捕虜になれば、こちらの情報が相手に伝わりますから、捕虜になるなら自決しろと教育されています。 今なら餓死するなら降伏する選択肢がありますが、当時はそんな選択肢はありません。 補給ができなかったのは制空・制海権を失ったためです。 低速な輸送船は目的地へ着く前に沈められました。 高速航行可能な駆逐艦も輸送に使いましたが、搭載量は少なく十分な補給はできませんでした。
- Ohjo-Koita
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そもそも論で言えば、真珠湾攻撃以前から日本の暗号は全てアメリカに筒抜けだった事が明らかにされています。アメリカとしては、日本を侵略し4等国(いわゆるところの植民地)にしたかった為、あれやこれやと日本を孤立させ戦争をさせたのが太平洋戦争です。 真珠湾攻撃は、一見すると日本の大勝利とも言える戦果でしたが、実はアメリカからしてみれば「リメンバー・パールハーバー」と日本に対する意欲を高める為の仕組まれた事と言うのも分かっています。 しかし大日本帝国は、大東亜共和圏を取り戻すべく、植民地解放を次々と成功させましたが、所詮はアメリカの手の平の上で動かされていたに過ぎず、次々と退路・補給路が絶たれていきます。結果、物資を運ぶ輸送船が撃沈され前線には届かなくなってしまった訳です。 ただ、農業支援を行った国に対しては、それまで収穫する事が出来なかった作物を作ったので、全ての地域で餓死したと言うことではありません。 あと、上記でも説明しましたが、アメリカの目的は日本を植民地にすることです。ですから、そんなアメリカ人の捕虜になる位なら日本兵は自害する様に教え込まれています。沖縄本島においても自害する人が多かったわけです(アメリカ人は野蛮人と言う教えもあった為、民間人すら身を投げて自害を選んだと聞いています)。 また、戦勝国の権利なのか知りませんが、アメリカは75年経った今でも民間人無差別攻撃した事を謝罪すらしていません。もっとも、謝罪したら天地がひっくり返るになるので、謝罪することはできませんが。
- SPROCKETER
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航空母艦があれば、輸送機に食料を積んで空中投下して補給する作戦が使えますよね。当時は、そういう空中投下して補給するという考え方そのものが無かったのです。ノルマンジー上陸作戦が展開されるまでは、武器、人員、食料を空中投下で補給する作戦を実施する国は無くて、食料が欠乏しても見殺しになっていました。 当時の日本軍は空母も無く、輸送路も絶たれ、物資の補給に航空機を使う作戦も使わず、食料や医薬品の輸送が途絶えて絶滅する結果になっています。知恵も無ければ、能力も無い、それが当時の戦況の現実でした。
- kappa1zoku
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「実は、対米戦争において戦闘における死者よりもはるかに多かったのは、補給が行われない結果としての太平洋の島々での餓死であった。ガダルカナル島の戦いでも、戦死者1万9200人のうち1万1000人が病死か餓死であった。陸軍戦死者165万人のうち、実に70%が餓死によるものだったともされている。餓死者を多く出したことは、長期戦を考えていなかった日本軍の兵站軽視の結果であった。昭和6年以降に陸軍大学を卒業した1272名中、兵站を専門とする輜重(しちょう)科33名にすぎなかった。略 餓死と並んで日本軍の戦死者で多かったのは、輸送船の撃沈によるものだった。開戦時から暗号が解読されていたため、日本の輸送船団の集合地点には米国の潜水艦が先回りして包囲殲滅作戦が行われた。 米軍の潜水艦に沈められなくとも当時の輸送船は船舶が不足する中で奴隷運搬船のような状態であった。定員をはるかに超える丙が船倉に詰め込まれ、自由に甲板に出られない兵が、船倉の異常な温度と湿度の上昇のため、熱射病となり、中枢神経障害を起こして相当数が死亡した。」 『持たざる国への道・・・あの戦争と大日本帝国の破綻』松元崇著、中公文庫。 印象で書くよりも文献で示した方がよいのではと思い、上記の本から抜粋しました。 『日中戦争の全貌』森山康平著、河出文庫。 この本の中にも、中国での戦争が簡単に片付くと勝手に思い込んでいた陸軍首脳部の記録が書かれています。 あまりにも無能で世界を曇りなく見ることができない者たちが昭和の時代を支配していたのですが、それらの指導者に従わざるを得なかった人々(当時の情報の中では、指導者に従うのは当然だったのです)の無念さは現代だからこそ見えてくるものです。 鬼畜米英という言葉を御存じですか? 相手は鬼畜にも劣る存在だと教えられているのに、降参できますか? 鬼畜の者が、捕虜になった自分に食料をきちんとくれると思いますか? それよりも、捕虜として白旗をあげて敵軍に向かう際に、味方の軍隊から撃たれてしまうのが落ちです。 何故なら、日本の軍隊そのものが、軍隊内でそういう礼儀を抹殺していたからです。 陸軍士官学校や幼年学校では、相手の兵士に対する礼儀などを教えていたと証言する方もいますが、幹部の学校ではある種の理想論を教えますが、実際の軍隊がそうはいかないのはあなたが見た映像の中にあります。
- eroero4649
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食料がなかったのは、補給が続かなかったからです。「餓島」とも名付けられたガダルカナル島に対しては、実は日本軍も結構食料を送っているのです。日本軍の補給拠点であったエスペランス岬には、結構な食料があったという説もあります。 ところが、その後方地点であるエスペランス岬から、ジャングルの中の部隊に対しての補給が行ってなかったらしいんですね。なぜそんなことになったのかというと、そういう補給を考える人がいなかったからだと思います。 また降伏しなかった理由は、日本軍では降伏を禁止されていたからです。違反して降伏した場合、もし捕虜交換で帰国したら命令違反で軍法会議にかけられる可能性がありました。もしそうなったら敵前逃亡という最悪の重罪になるので、死刑になります。 なので、アメリカ軍の捕虜になった日本兵には、アメリカへの亡命を希望する者が多くいましたし、中には実際に帰国を拒んでアメリカに移住した人もいました。「自分は名誉の戦死をしたことになっている。もし実は捕虜になっていたなんてことが知られると、家族が迫害を受ける」と怖れたのです。 日本兵にとって捕虜になることは、岩手県民が新型コロナウイルスに感染することくらいあってはならないことだったのです。
- y-y-y
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既回答にもありますが、前線(戦いの先端)が「1割」なば、後方支援や補給路は「10割以上」が必要です。 当時の日本軍の幹部は、後方支援や補給路を考えずに、前線(戦いの先端)ばかり進めていたから、後方支援や補給路が絶たれのです。 後方支援や補給路が無いから、食料や武器が届かず、餓死したり、武器・弾薬も無いなら攻撃出来ずに撃たれっぱなしです。
- mimazoku_2
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補給路線を絶たれたからでしょう。 前線の能力を削ぐには、補給ラインを寸断させるのが最も効果的ですからね。 身近な話しで言えば、最前線を「生活」とした場合、生活の元になる給与収入を絶てば、生活が一気に苦しくなります。 今の時期、コロナ過で店舗は売り上げが大減少し、廃業も増えています。 そういう意味でも補給線は『命綱』となります。
- tzd78886
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前線1に対し後方支援9くらいの割合で人員を割かないととても戦えないといわれているのに、前線にばかり送り込んで後方支援と護衛を軽視していたから。日本の軍艦は敵を撃沈した時の成果は戦闘艦が点数が高く、補給艦などは低い点数が当てられていたので、軽視することが多く連合国補給部隊が無事に送り届けることができる確率が高かったのとは対照的。要するに合理性を無視した精神論ばかりで作戦を立てていたのです。敵の捕虜になんてなれるはずはない。虜囚の辱めを受けるくらいなら死ねというのが日本の教育だったのだから。もちろん前線でそんなことをしようものなら敵前逃亡罪でその場で死刑です。
- KoalaGold
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海外や沖縄で戦闘中の兵士への運搬船がことごとく沈められたから。 目の前を通る運搬船は簡単なターゲットとなり、時には軍旗を偽って民間船としてもやはり襲撃されました。 本来は海軍が警護するべきですがもう船がなかったんです。
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