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こういう研究って意味あるんでしょうか?
大学4年生女子。理系で数学を勉強しています。 気象学の知識はあまりないんですが、こういう記事をみつけました。 https://www.yomiuri.co.jp/science/20200711-OYT1T50158/ 気象庁の気象衛星から見える水蒸気画像で、白くなっているところは、水蒸気≒水が多い、というのは明白で、こういう研究って何か意味あるんでしょうか? 「大気の川」「信濃川の800倍」っていうのはなんかすごいキーワードな気がするけど、それがどうした、ってことないですか? それともそういうのって先に行った方がいいから発表するんでしょうか?
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
数学を勉強している学生さんが理系の研究で「何か意味があるのか?」なんて言って欲しくないなァ。 それをいったら、フェルマーの最終定理が証明されたことに何か意味があるのか?なんてことにもなるじゃないですか。「300年以上証明できなかったのが証明されたって聞くとすごいキーワードな気がするけど、それがどうした、ってことないですか?」ってなりますし。 自然科学(理系)の研究というのは「事実を究める(知る)」ことそのものが目的であって、「それがどうした」なんてのはどうでもいいことなのです。
- HAL2(@HALTWO)
- ベストアンサー率53% (2340/4389)
>水蒸気≒水が多い、というのは明白で <はい、明白ですね。 >「大気の川」「信濃川の800倍」……それがどうした? その後が大切なのですよ(^_^;)。 Data は Data に過ぎません。 Data をどう解釈してどう利用するかが大切なのです。 そのためには少しでも多くの、多角的な Data を取って考察する必要があります。 雲ではなく、目に見えない水蒸気を日本列島がまるまる入る範囲で Mapping し、風向風速の細かい Data から、これか数時間後には何処の辺りに水蒸気が密集して雨雲を生じさせる状態になるか、気圧が低下して周囲から空気が流れ込んで来る際にどれほどの水蒸気が流れ込んで分厚い雨雲になるのか、といった計算ができるようになりますよね。 今までは雨雲 Rader と呼ばれる、目に見える雲の Mapping や、既に降雨状態にある地域を遙か遠くから雨粒に反射する極短波長 Rader 波で観測するか、風向風速と気圧変化から雨雲が出来易い地域を予測する (でも水蒸気量は判らないので雨雲ができるかできないかは当たるも八卦(^_^;)) だけであったのが、水蒸気の分布と動きを観測する事によって、より正確に豪雨をもたらす雨雲の発生を予測できるようになったという事ですね。 新たな応用技術をもたらすものは、その元となる Data に「何ができるか」なんて凡俗(笑)には理解できないものです……誰にでも判るものならば疾うの昔に応用されていたでしょうし、簡単に判るものではないからこそ新しい応用法を考えつくものでしょう(^_^;)。 数学もそれ自体は「それがどうした?」ってなものが殆どなのですが、応用してこそ役に立つものですものね(^_^)/
- johm841221
- ベストアンサー率60% (12/20)
この記事を見て、研究の意義云々を語るという事はどういう考えなのでしょうか。 今ニュースなどでよく聞く「線状降水帯」を川にたとえているわけで、そこの水量がどの程度になるのかという事を考えたという事だけですよね。 意味があるとかないとかではなく、それを試算してみただけですよね。 事実現象を視覚的にとらえただけで、これをもって今後の予測につながるともさほど思えませんけどね…。
- bardfish
- ベストアンサー率28% (5029/17766)
「自然科学」というのは未だに未知で解明されていないことばかりです。 何が関係しているかわからないから一見無関係そうなことでも関係ないということを証明するために研究している…と、考えることは出来ませんか? 科学というのは観察し仮説を立てそれを証明し仮説が間違っていたらもう一度はじめから…という無限ループのはずです。 短絡的な判断で切り捨てた可能性が実は本質を射抜いていた…としたら。貴方が切り捨てた可能性を他の誰かが拾い、その結果ノーベル賞ものの発見につながったとしたら? 因果関係というものは浅はかな人間の思慮だけで全てを把握することなんて不可能です。 だから人間は何世代にも渡って同じテーマを追い続け発展してきたのではないでしょうか? 利益にならないからという理由で切り捨ててばかりいたのでは某国のようにファンタジーと科学の区別ができなくなってしまうと考えます。 ファンタジーを追い求め続けて事実であると証明した人もいますが、そういう方の多くは評価されるまでは資金繰りに困窮し理解してもらえない第三者による誹謗中傷にも絶えた人が結果を出しているのだと思います。大多数のそういう人は周囲の評価などから研究を諦めてしまうのでしょう。自ら可能性を否定して辞める人もいるでしょう。 そういう方々の原動力は「知りたい」というのが締めているのではないでしょうか? 一言で言えば「好奇心」。 学問というのは極端のことを言ってしまえば好奇心がなければ続けることは難しいだろうし、新発見もないと思います。
- W-164
- ベストアンサー率29% (393/1313)
> こういう研究って何か意味あるんでしょうか? 確かに、その研究によって、雨が降るのを抑えることは出来無いですけど、 雨が降る仕組みを研究することで、いつ頃どこら辺で雨が降ると言う事がだんだん分かる様になって来たわけで、研究することは無駄では無いと思います。 そういう、地道な研究があったから、それなりに「当たる天気予報」が可能になっていると思います 気象庁の職員が、下駄を蹴飛ばして「明日は雨が降るでしょう」って言ってたら嫌でしょう。
どんな研究に意味が有るか無いかは何百年後でも確定はできません。私の甥は遠い星からくる電波を測定しているそうですが何の意味が有るのか私も知りません。ライト兄弟が3mの高度を260m飛んだ時も、それが何を意味するのかほとんど誰も知らなかったのです。確実に意味がないと断定できるのは、何かに対してそんなの意味がないよと述べる人物の存在だけです。
- mpascal
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意味がないのにわざわざ気象衛星で撮影しないでしょう。 気象予測のデータとして活用するのでしょう。