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殺人が肯定されることはありますか?

常識的に考えて、殺人はしてはいけないことになっていますが、人を殺すことが認められるのはどのような場合があるのでしょうか。人道的見解から、または非人道的見解からのどちらからでもいいので、皆さんの意見を聞きたいと思います。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • alchera
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回答No.12

「肯定」は誰による肯定か。また「認められる」のは多数派によってという意味か。ではその多数派はどの場合の多数派を指すのか。関係者のうち?全世界の人間のうち?多数派というのは51%?それとも「ほとんどの人が」と表現しうるだろう80%?「ほぼ全ての人が」と表現しうる99%? ……と、細かく考えていけば答えは色々に分かれますが、わたしは 1.命はその人自身のものである。 2.「肯定」という幅の広い言葉を、ここでは「積極的な価値を持つ」という意味で捉えたい。許容とか妥当は含まず。 の2点で考え、 「肯定される殺人」は「完全に物理的な理由で自殺が出来ない人を殺してあげる行為」、たとえば安楽死などしかあてはまらないのではないかと思います。 自分が生きることを選択するか死ぬのを選択するかというのは、人間の基本大前提の権利でしょう。が、麻痺などによってまったく体が動かせない人の場合、その権利が侵害されていると考えます。であればその権利をまっとうするために他者が手を貸すことには積極的な意味がある。 が、実際上は「本当に死ぬことを選択していたのか」という部分の確認が難しいと思いますけれどね。麻痺などの物理的な理由がなければ、本当に本人が死を選んでいたのか。(死にたくなる原因としての麻痺とは分けて考えて下さい) 「死にたい」「殺してくれ」と頼むことは、実際に自殺することよりもはるかに容易です。単に気の迷いという可能性もある。行動と言葉は簡単に相互変換が出来ないものですから、その一致はどこで判断できるのか。 さらに、人間の「最大の権利の行使を補助する」こととしての自殺幇助だとしても、現実にはその関係者、具体的には家族などがいますからね。そちらの人々への責任はまた別に発生してくるわけで。実際上は一概に「安楽死は肯定されるべきだ」と言えないと思います。 肯定に「許容」を含めて考えるならば「どちらかが死ななければならない」状況下での殺人は認められるでしょうね。これはもちろんごくフツーの状況で「俺が死ぬかあいつが死ぬかどっちかだ!」とかいうことではなく、無人島に流れ着いて水が一人分しかない場合などに適用されることですね。物理的にぎりぎりの場合。 これを考えると、正当防衛はどうか、ということになりますが、まあたしかに正当防衛で人を殺す結果になることもありますけれど、事故だと思いますのでねえ。 ご質問の「殺人」は人を殺すこと一般なのでしょうが、わたしは意志をもった殺人のことしか考えていないので、正当防衛は範囲から(勝手に)除外したいと思います。 ちなみに戦争と暗殺は「命はその人自身のものである」という基本大前提に反しますので、肯定は出来ません。

その他の回答 (12)

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.2

ぱっと思いついたものでは 戦争  率先されています 死刑  法的にもOKです。 安楽死  延命治療をしないとかも含みますかね。 堕胎  胎児の人権をどう考えるかによります。

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.1

ルールとして認められているものには、刑法の死刑がありますが、哲学的な回答を募られているのであれば、ご質問からは意図がうまく汲めませんでした。補足があれば、それに沿った回答が得られるかと思います。

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