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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:新々説 本能寺の変)

本能寺の変とは?秀吉の罠による信長暗殺説の真相とは

このQ&Aのポイント
  • 本能寺の変は、織田信長が暗殺された事件であり、秀吉が計画した罠が実行された結果と言われています。
  • 秀吉は信長を恨んでいたが、光秀によって先回りされ、信長の乱破を看破できなかった。
  • 本能寺の変後、秀吉は山崎まで進軍し、光秀と衝突して勝利しました。この事件によって信長の死と光秀の謀反が伝えられ、事実は封印された。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jkpawapuro
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回答No.1

何もかも無理がありますね。 第一に光秀の京丹波は京の裏庭みたいな場所で本能寺急襲に最適の場所である。 坂本も目と鼻の先ですね。 一方秀吉の姫路は遠く奇襲は無理がある。 第二に信長の織田家畿内要所直轄化の動きに対して秀吉は跡継ぎに織田の息子をもらう、拠点を長浜から信長の邪魔にならない姫路に変更と、理想的にうまくいっています。農民出身は関係ないですよ、信長ですし、跡継ぎが自分の息子ですし。 第三に200じゃ信長を確実に包囲して討ち取りつつ、妙覚寺の信忠を討ち取るには絶望的に足りません。

19690318
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 中国からではなく、あらかじめ京都市内にバラバラに伏兵が潜んでいた意味です そして夜間に一気に招集、武装して・・・ 本能寺の門兵には、光秀観閲の露払い部隊だと偽り、本能寺に入寺する 信長は、軽装で「ほーもう来たか」と庭に並んだ部隊を眺めるために庭に出た瞬間、一気に急襲する 信長に打つ手なし・・・これが信長が逃走出来なかった要因です また重宝されていたのは間違いなく光秀。毛利も講和には「農民出の秀吉は拒否する、毛利をなめてもらっては困る、朝廷に通じた光秀クラスが来るなら講和に応じる」と信長に伝えていたものと思う。最終確認のために光秀は信長と打ち合わせの予定で京に来た。毛利講和の最終段階であらかじめ光秀派遣は決定稿だったと思います。当時の信長は昔のように本気で戦する気は無かったですから・・・ なんて想像するのも楽しいですな 現時点での資料からでは確かにそのようなご回答がすっきりしますが、妄想も楽しいですよ

その他の回答 (3)

回答No.4

信長は自殺志願者だったらしいですよ で本能寺で死ぬつもりだった 光秀はそれを止めるために本能寺に向かったが 到着した時既に本能寺は炎上  光秀は中国出陣の途中で 軍勢を率いていたため京の人々は光秀が謀反を起こしたと勘違いした 信長は逃げようと思えば逃げられたはずです 現に実弟の有楽斎は逃げ延びています それをしなかったのは信長が最初から自殺するつもりだったからでしょう と こんな説はどうでしょうか

19690318
質問者

お礼

あ~なるほどですね 確かにそうかもしれません 光秀も秀吉も躁鬱重病の信長に手を焼いていたのかもしれませんね 私や貴方のような突拍子もない意見が10年後には真説になっているかもしれません 歴史とはそのようなものです ありがとうございました

回答No.3

力づくの信長政策に対し、秀吉も光秀も 別のやりかたを考えていた。 また信忠への時代化に伴い、秀吉も光秀も 遠くへおしやられるだろうとの思いだった。 そこに信長、信忠の隙を見た光秀は 京に向かうまでだった。 秀吉は信長の中国来訪にあたり、その進捗を 確認するため物見を放っていた。 そこから齎された情報は、信長討たれる、 遺体はみつかっていない、であった。

19690318
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 恐らく信忠御付きを目指していたのは、秀吉と光秀 信忠自体は秀吉と気が合っていたとの話もあります 信長は両名を押しやる気持ちは無かったと思います 有能な部下ほど目の届くところには鉄則だし、世間体もあるので・・・

  • eroero4649
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回答No.2

>心酔する信長様に中国出陣前の閲覧の為、京都に向かっていた。 ここが史実に反しますからね。本来は西に向かうはずの亀山で、家臣たちに謀反の意を伝えたといいますからね。京都に立ち寄る予定はありませんでした。 「だったら、その亀山で京都が燃えていることに気づいたのでは?」とおっしゃりたいかもしれませんが、亀山と京都の間には峠がひとつあるので、亀山から京都は見えないです。 それに、信忠の軍勢とそのまま戦いになって信忠を討ち取ったのはいかにもおかしいです。え?信忠は逃げないでわざわざ死ぬために突っ込んだの?何故?それともこうなった以上信忠も討ち取っちゃえとなっちゃった? だったら落ち着いた後に「僕、嵌められました」と信忠に訴えればいいんじゃないですか?京都にいないはずの明智軍部隊がそこにいた不自然さを誰もが感じるし、それこそ偽部隊が大阪から京都方面に向かっているのを誰も気づかないというのも不自然です。 >真に光秀謀反なら異常行動は普通に察知できたと思うのですが そこはキーになると私も思っています。光秀が謀反の意を家臣団に伝えたとき、それを裏切る家臣は誰もいなかったのです。もし密使を信長の元に送って信長が難を逃れたら、その(信長から見ての)「忠臣」は大出世間違いなしじゃないですか。自分の直属の上司よりそのまた上司への忠誠を誓ったのです。それに謀反が失敗すれば自分はもちろん一族郎党まで全員処刑されるのは逃れられません。こういうときは大抵見せしめにするために女子供はわざわざ残忍な殺され方をします。 だけど、光秀の家臣は誰も揺らがなかった。光秀への忠誠を誓ったのです。家臣団は誰も動揺しなかったのです。なぜ動揺しなかったのか。一番自然な考えが、その家臣たちが「そうか。いよいよか」と心の準備はできていたからではないかと考えています。 だから決して、本能寺の変はあのときの光秀の思い付きではなかったと思っています。

19690318
質問者

お礼

なるほど ご回答ありがとうございます やはりこの問題を議論するのは楽しいですね いろんな方の意見が聞けて嬉しいです