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人類の理想と宿命
人類は世界平和と発達、平等を理想としています。 しかし、何時かはこのような状態に人類は到達できるでしょうか? (無論、できるとかできないとかに関係なく人類はこれを理念とし目的とし続けなければなりませんが。) 私たち人類は理想と宿命の間(はざま)で生きていかなければならないのではないでしょうか?
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多分無理だろうと思います。 でも理想を目指す事は大事でしょう。 到達できないからこその理想なのかも知れません。
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- NOMED
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おそらく戦争などの争いがなくなるように民主制が正しいというのが人類の理想だと信じている人が多いのだと思います しかし、民主制はそれぞれの教義を重んじる宗教の考え方とは正反対の位置にあるものですから、宗教家にとっては教義が理想でしょう つまり、宿命?とは、その互いの理想がいつまでも噛み合わないことを知りながらも争わないように生きていく・・ということでしょう
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はい。 その通りですね。 ありがとうございました。
- KoalaGold
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平等の意味の取り方が広いので一概に言えません。 健康な人と不健康な人はすでに平等ではないし、美人と残念な人は不平等です。才能の有無、能力の有無、元気とやる気の有無で贔屓や推しというものができますから。 平等については最低の基本的人権についてのみでしょう。それは死なない程度の生活は保証される、というくらいです。あとは個人の努力が報われるとか才能の行使できるチャンスがあるかなどで天井はありません。 スティーブ・ジョブスの様にやる気があって能力のある人はどんどんやればいいのですし、それに対して同じ収入というのは解せません。 基本的人権にはベーシック・インカムが関わってくると信じています。現在は誰もが保護を受けられるわけではないので。
お礼
ありがとうございます。 仰せの通りですね。
- OKWave00000
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人類は世界平和と発達、平等を理想となどしていません
お礼
ありがとうございました。 存在には目的と理念があるものだ、在るべきだ。 という私のつたない思考からの質問でした。
お礼
ありがとうございます。 私もそう思います。 創造界の性質からして、人類である存在としては神の聖なる遊びとして理想と理念を生きようとすることに尽きるのでしょうね。