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無宗教を自称される方は付き合いがめんどくさい人?
- 無宗教を自称される方は付き合いがめんどくさい人と思われがちですが、宗教や義理に拘束されずに自由な生き方を選ぶ人もいます。
- 一方で、無宗教を自称する人が他人のつながりや儀式を拒否することによって、人間関係が面倒になることもあります。
- 積極的に無宗教を自認する人は、自分の甲斐性や自由な生き方を重視し、他人の期待や義理にとらわれたくないと考える傾向があります。しかし、その一方で、周囲の人々が自分の行動に迷惑を感じることもあるかもしれません。
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日本には,信仰の自由があります。信仰しても良いし,信仰しなくても良い のです。誰かに信仰を強要される事も無いし,誰かに信仰を強要する事も 行ってはなりません。 私は,火葬は法令で義務付けられていいるので仕方なく従うしかない。 灰は格安の樹木葬にてもしてくれと家族に言っています。葬儀もしなく て良い,むしろ出来るならしない方が良い,しなければならないなら極力 出費にならない様に火葬葬とか家族葬にしてくれと言っています。 無宗教を自称される方は付き合いが面倒臭いかどうかは一概には言えない のでは無いでしょうか? 無宗教でも付き合いは付き合いとして普通に接している方もおられると 思います。 以下,宇宙/時間/空間など諸々について考察して見ました。 広がり,空間が無い宇宙,空間が無い世界は,何かが存在する為の空間が無い のだから,何も存在できない。つまり,何も無い「無(む)」と言う事だ。 空間・広がりは有るが「時間」が無い宇宙・時間が無い世界を考えると、 何かが存在する為の時間も瞬間も無いのだから、何も無い・何も存在でき ないと言う事になる。 つまり,空間が無いとは,何も無いと言う事で,同様に,時間が無いとは,何も 無いという事だ。 何かが存在する為には,この「何か」には,当然,「空間」と「時間」も含ま れるが、「空間」と「時間」が必須なのだ。 空間と時間は,「時空」と呼ばれる。「時空」が,「宇宙」なのだ。 「存在」とは,何でしょう? 「存在」とは,何か? 貴方は明解に誰かに説明 する事ができますか? 「存在」が成立するには、ある二つのものが必須です。 その二つが「時間」と「空間」です。 我々は、時/時間が無かった状態をイメージできない。時/時間が無かった 状態から「時/時間」が始まった状態/状況もイメージできないのです。 「空間/広がり」が無い状態もイメージできません。と言う事は、つまり 「時/時間」と「空間/広がり」が無かった状態は、存在しない/存在でき ないと解釈した方が自然です。 「時間と空間」が無い状況/状態はあり得ない、必ず「時間と空間」は 存在していると考えるべきです。 このように極めて自然に論理的に思考すると「時間と空間」の創成/創造 は無かった/あり得ないと言う結論になります。 「時間と空間」、つまり、「時空/宇宙」は、創成/創造は無く、無限遠の 過去から存在していたと認識するのが正しいと言えるでしょう。 「時空/宇宙」は、無限遠の過去から無限遠の未来まで時間が流れ続ける 無限の大きさ/広がりを持った空間で、「最初/起源」も「終わり/終焉」 も無い。 と認識すべきなのです。 「最初の時」「最初」と言う事、それ自身が「時/時間」の概念です。 世界創成の話で、何も無い状態で「神」が最初に「時/時間」を創った。 としても、ここにも「最初」が在ります。最初と言う「時/時間」は既に 存在していたのです。 「時/時間」は、神が創ったのでは無く、「空間/広がり」と共に無限遠の 過去から「存在」していたと理解/認識するしかないのです。 「真空のエネルギー」とか、「宇宙の相転移」と言う言葉を御存知でしょ うか?「最初、何も無かった」は有り得ないのです。以下で説明しますが、 我々が存在しているこの宇宙がビッグバンを起こしたのは「超時空」 「超宇宙」「母宇宙」とでも呼ぶべき「起源や最初」が無い存在だと認識 するのが最も論理的です。 宇宙は、何故あるのか? 回答は、「ある」からあるです。 宇宙が「存在」するのに理由など無い。 宇宙が「存在」するのに理由など必要ない。 宇宙が「存在」するのに理由が必要だ言う根拠は? 宇宙の「存在」に理由など必要ない。 森羅万象に対して、何故、存在するのか? 存在する理由は何か? を問う事に何の意味があるのか? 意味など無い。 宇宙は何故、空間は何故、時間は何故、存在は何故、「存在」するのか? こんな事を問う事は、無意味である。 「ある」から「ある」。「存在」しているから「存在」しているだけだ。 「ある/存在」に対して,「目的/理由/根拠/起源」が無ければならない!! と決め付ける理由は? 何事にも目的/理由/根拠/起源が無ければならないと 考える事、自体が視野の狭い、偏屈な考えなのだ。 別に何に対してでも「存在の目的/理由/根拠/起源」が必要な理由など無い のだ。 「宇宙は、どこまで続いていて、果てがあるのか、どれくらい大きいか」 「宇宙は、どうやって/どのようにして初まったのか、その起源は?」 この様な疑問を多くの人々が感じています。宇宙には「果て」がある。 「有限の大きさ」がある。「初まり/始まり/起源がある」と無意識に暗黙 のうちに決め付けてしまっている危険があります。 宇宙には、果ても、有限の大きさも、起源も無いのかも知れません。 我々は無知です。宇宙や空間や時間について殆ど何も知りません。 解っているのは、「空間」と言う三次元の広がりと「時間」と言う一次元 の過去から未来への流れが「存在」すると言う事ぐらいです。 この空間と時間を「時空」と呼び、時空は四次元であると解釈されます。 我々が「存在」している「宇宙」は、この四次元の「時空」なのです。 ハッブルが遠くの天体ほどより速く地球から遠ざかっている事を発見し、 この事から我々が存在している宇宙は、膨張し広がっていると科学者達は 認識し理解しています。 「どうやって広がるのか?」・・・我々が存在する宇宙の「空間」自体が 膨張し広がっていると科学者達は考えています。何故,膨張し広がるのか については、ダークエネルギーと呼ばれる未知の存在が空間を押し広げて おり、我々の存在している宇宙は、「空間」が加速膨張する性質を持つ 「宇宙」なのだと解釈されています。 「どこに広がっているのか?」・・・「どこへ」「どこに」と言う事では なく、あらゆる向き/方向に均等にムラなく広がっていると考えるのが妥当 のようです。 宇宙とは、「何」でしょうか?・・・ 宇宙とは、時間が流れている広がり (空間)です。 宇宙は、何故、存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか。 _神が創ったのなら、 _神は、何故、存在し、 _神は、どうしてどのようにして始まったのか。 こう考えると宇宙も神も立場・位置づけは対等になります。 ある意味、「宇宙 イコール 神」。宇宙は神であり、神は宇宙である。 何も無いところから我々の宇宙がビッグバンで誕生し、膨張して来て、 今も加速膨張を続けていると言われますが、「何も無い」と言うのは、 無理があります。 現在、多くの人が「何も無い」訳では無く、「母宇宙/超宇宙/超時空」 とでも呼ぶべき、無限遠の過去から存在し、無限遠の未来まで存在し 続ける、それぞれが無限大の大きさ/広がりを持った「子宇宙」を 無限個/無数も含んでいる、無限の大きさ/広がりをもった「時空」が 存在していて、その中で時空の「揺らぎ」「ゆらぎ」がビッグバンを 起こし、ビッグバンの引き金となって、我々の存在している宇宙が誕生 し、我々が存在する宇宙は「子宇宙」として,「母宇宙/超宇宙/超時空」 の中で誕生し、今も、そこで、加速膨張し続けている。 そして、我々の宇宙と同じ様な無数の無限個の「子宇宙」が「母宇宙」 の中で同じ様に生まれ膨張し成長していると考えています。 これがマルチバースと呼ばれる考え方です。 「母宇宙/超宇宙/超時空」は「初め/始め/最初/起源」も「終わり/終焉」 も無いと考えられます。 1900年にプランクが量子論を,1905年にアインシュタインが相対論を創始 し,それまでの物理学は古典物理学と呼ばれる様になった。 今,物理学界は,宇宙の加速膨張が観測され,ダークエネルギーや超弦理論な ど話題沸騰している。1900-1905年に物理の大革命が起こった様に,今の 現代物理学が古典物理学と呼ばれる様になる,全く新しい「真新物理学」が 誕生する可能性は非常に高く,それは,1900年ごろの人々がGPSや量子コン ピュータを理解できない様に,2019年の我々に理解できない技術を産む。 任意の範囲の空間を自在に制御して,その空間を通常空間の中を波乗りする 様に滑らせ,通常空間を光が何万年も掛かって到達する遥か彼方の惑星や衛 星に極,短時間で人や貨物を輸送し,何万光年も彼方のスーパーアースに移民 船が大挙して押し寄せ,ネオ日本,ネオアメリカ,ネオロシア,ネオ中国などが 建国されるかも知れません。
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- ts0472
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>ポリシーのようにされている 意思 希望であれば押し付けと受け取られても仕方ないと思います 個人的には 親を亡くした時点で心の区切り 心の整理が付いている 改めて行事を行う必要があるとは感じないです 法律で火葬が義務付けられているから葬儀はその流れの1つでしかない 残された人が故人を偲び続ければ良い >故人様にお別れがしたい 周りの人に協調しない人には必要な事ではないでしょう 自身は完結している 誰かのためにとり行う気持ちの無い人には通らない話と思います >けじめ 私にとって親は親のままであり 友人も友人のまま 心の中で生き続けている 無宗派なので死後の世界を信じていない 何か別のものにしてしまうには違和感を感じます 会えなくなっても変わらない存在 今思う私自身の無宗派の成り立ちは 実家や家業を引き継げなかった親の印象が影響しているとも感じます 分家にもなれなかった兄弟 長兄との差が大きい 先祖代々の墓に入る事も許されない 見捨てられた兄弟? 宗派だけを引き継ぐ理由が分からない 宿命ではなく運命 遺伝や本能は引き継がれるものの 頼れるものは自分自身 離れて住む核家族化してしまった事も原因かも知れません
お礼
ご回答ありがとうございました。 周りの人に協調しない人には必要な事ではないでしょう 自身は完結している 誰かのためにとり行う気持ちの無い人には通らない話と思います 多分、私はこう思う、他の人も他の人がその思いでやりたいならやればという事かと思います。 会えなくなっても変わらない存在 これはそうかと思います。唯そうだから、葬儀には参列したいという方も居られると思いますが、他の人の事が眼中にないと「必要ないから」で済まされると思います。
- ts0472
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私は問われれば無宗教と申告しますが 自分から公言する事はないです 私自身の問題なので親の葬儀は父の宗派に沿って行いました 家族葬で行いましたが 100歳手前という年齢もあり 親族に呼べる人が先に亡くなっていたり 葬儀に出席する事も困難 母の実家は異なる宗派でしたが 父の宗派で実施 介護のため転居したので親は近所付き合い無し 自治会費もちゃんと支払っています NHKの受信料も 友人やその親族が無くなっても宗派に関係なく通夜や葬儀に参加し御香典も収めています 宗教の有無に関係なく 御近所付き合いしています 差別や区別をしない 個人的な心情としては 頼れるものは自分しかいない ですね 宗教法人に加入したメリットを知らないだけかも知れません 友人に何人か家族ぐるみで信仰しているものがいますが 法人に寄付しなければ好きな車を買ったりブランド品を購入できるような収入は無かったです 質問者様は寄付しなければ入手できるほどのお金を寄付されているのでしょうか? 一時期同じ職場で勤務していましたので 贅沢をするというより質素に暮らす印象の方が強いです 生活を切り詰めないと続けられない それを質素と感じるかどうかは宗教に関わっていなくても年収の差でもあると思います 趣向の問題と思っています 何か頼るものが欲しい それが宗教でも良いと思っています 宗教に加入する事を幸せに思う人を否定しないです
補足
私も仏教徒ですが、特に狂信的な人間ではありませんし、カルト的な新宗教等は引いてしまう処があります。 特に、此方の思いを質問にあった人間に押し付けるような事はしておりませんが、 彼は「故人様にお別れがしたい」「派手でなくてもけじめは」という意見にも 「あんたらがしたいならすれば」といい、一切しない事を自分のポリシーのようにされているのが、一寸可笑しいと思ったのですが、これも此方の思いで、押し付けている事に成るのでしょうか?・
無宗教という考え自体は自体は問題ない。 特定の宗教を信仰している人も他の宗教を否定している人は多いし 自分が信仰している宗教以外を信じている、 又は自分達が信仰している宗教に勧誘をしたのに 自分達が信仰している宗教を信仰しないからと言って 悪魔扱いされて集団で攻撃された事もあります 仏教のお坊さんに聖書の教えを信仰しなさいと言っても それは出来ないと言うだろうし 逆に聖書の教えを信仰している人に仏さまを信仰しなさいと言っても それは出来ないと言うでしょう。 極端な考え方をすれば 自分達が信仰している宗教を信じない人は 無宗教と同じといういう考えになるんじゃないですか?
お礼
自分達が信仰している宗教を信じない人は 無宗教と同じといういう考えになるんじゃ ご回答有難うございました。 その様な狂信的なものは引いてしまいます。 が仏教の経典も聖書にも共通項はあると思います。 その様な日本の寛容性を大切にしていくべきだと思います。
- sirasak
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無宗教を自称するのは詐欺集団である宗教に侵されたくないのです。 霊魂や死後の世界は無いのにだましてお金を巻き上げるけど死んだら無です。 立派な憲法や法律があるのです、害になるので宗教は不要です。 アフリカ女性を先祖の人類は皆親戚で、先祖があるから生まれてきたのです。 子供を作って育てて後継者を作ることだけが人間の使命です。 葬儀は死んだ本人に分からないので迷惑をかけずに家族ですれば良いのです。 自治会も消防団も行政の下請けオタクがやる既得権で無駄。 後継者作り他に人間の使命はないので自分のしたいことで幸せになれば良い。 人類の存続のためにだけに共食いしなくて他の動物を食う。 助け合って衣食住を得るために働いたり遊んで暇つぶしするのだと思います。 他人に迷惑をかけたくないので無駄なことをしたくないのです。 勉強した結果このように考えています。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- 1buthi
- ベストアンサー率16% (194/1187)
信心しようという気持ちが働く宗教に出会っていないので入信はしないということです。気持ちがはいっていないのは仏作って魂入れず.....です。 ですから、自分の信心を人に押し付けると、相手は迷惑するはずです。 うちのおじいさんやおばあさんが信仰しているのを納得しないままひきついでもそれこそお付き合いが面倒なだけでその上費用をかけるのも気が進みません。 習慣として神社へお参りしたりお守りをもらったり、絵馬を奉納する程度はしますが、おフダはもらいません。(神棚がないので)
お礼
気持ちがはいっていないのは仏作って魂入れず.....です。 ですから、自分の信心を人に押し付けると、相手は迷惑するはずです。 ご回答有難うございました。 例えば、神社に初詣はするし、寺にも行く、だけど狂信的な人間ではないが、 普通に冠婚葬祭はする、この様な人と。 「自分は故人の死を受け入れている けじめもつけている」 という考えがあり、他の人の事等「知らない」となるとその様な事になるかと 思います。 だから、他の親族が「お別れ会」をしたそうですが、彼は「勝手にやって」という感覚だったそぷです。
- hiodraiu
- ベストアンサー率15% (451/2846)
「無宗教を自称される方」が、どんなシチュエーションで自称しているのかによるのでは? ただの自己紹介に宗教を絡めてくるような人は、特定の宗教だろうが無宗教だろうが、あまり関わりたくない、面倒臭いタイプだと思います。 そうではなく、宗教について質問された場合だとするなら、葬式などの宗教に関わる話の流れでもない限り、質問するほうが面倒臭いタイプだと思います。関わりたくないから「無宗教」って答えるのは、ありがちな対応かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 特に入信せず、特定の宗教に属していない場合「無宗教」と答える人がおられ、 それは良いですし、 宗教絡みで自己紹介する、勧める人は面倒だから無宗教というのは頷ける話です、 唯、個人として「何もしない」とされるのは良いのですが、他の故人との関わりがあった 人の事を考えていないかなと思ったのが、心に引っかかったのです。
- okwavey3
- ベストアンサー率19% (147/761)
無宗教にも色々な人がいるので、無宗教にくくる必要がないかと。 私は無宗教だと思いますが、結婚式は教会式、葬式は仏教、クリスマスもお祝いします。 様々な宗教から自分が都合がいい部分だけを利用していると思います。 また、宗教を否定的な発言の例を出すなら、宗教は戦争の歴史というのもありますね。 これで、特定の宗教の特定の派閥が悪いのか?と言う話になるかもしれませんが、たまたまその宗教を信仰している人の中におかしな人がいただけかと思いますね。 宗教でも何でも、何かに依存するだけで、自分自身で考えることが出来ない人がダメなだけだと思います。 質問のような人は無宗教だからではなく、単におかしな人と言うだけですね。
お礼
私は無宗教だと思いますが、結婚式は教会式、葬式は仏教、クリスマスもお祝いします。 様々な宗教から自分が都合がいい部分だけを利用していると思います。 ご回答有難うございました。 無宗教や特定の宗教を信仰していなくても、その習俗やそこから生き様などを学ぶ事や その行事を通じ(葬儀など)、人との交流やけじめをつける事等は多数の方は否定されていないと思います。 宗教でも何でも、何かに依存するだけで、自分自身で考えることが出来ない人がダメなだけだと思います。 狂信的になったり、盲目的に信じたりするのは「現実逃避」になりがちになると思います。 日本は未だ寛容性があり良かったと思います。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
その人は自分教の信者なのです。自分の教えに従って、自分のやりたいことだけする、そういう宗教にドップリはまっているのです。 世間で言う無宗教は日本が存在を確認し、人員を整理するために宗教を用いたことがスタートで、近代は悪徳商法やテロをするために宗教を利用した事件が発生したために、宗教そのものが悪いもの、少なくともためにならないものと考える人が多く、宗教の何が良くて何が悪いかという吟味をしない人が多いためにそれがはびこっているからです。 そういう人たちも普通は慣例や親戚縁者の勧めを用いて行動しますから、質問文にある人と違うと思いますよ。
お礼
その人は自分教の信者なのです。自分の教えに従って、自分のやりたいことだけする、そういう宗教にドップリはまっているのです。 確かにその様な方は居られると思います。 普通は慣例や親戚縁者の勧めを用いて行動しますから 大多数の方は狂信的なものでなくても、習慣や義理に従って行動しますが、 極端に「何もしない」という事は周りにもどうかと思うのですが、 「私がこう思うからこうする」で完結されているのだと思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
あなたの方が面倒くさそうに感じます。 が、もしかするとその人はあなたの宗教に興味が無いのを強調しすぎなのかもしれないですね。 心穏やかに暮らしましょう。南無阿弥陀仏。
補足
私も特に狂信的な人間ではないですが、 例えば、この方は親の死に対し、火葬のみで、弔問お断り。 それで見かねた親族が場を設けても、「やりたいならすれば俺は無宗教だから」の 一言で片づけていたので、質問させて戴きました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
それ以外の事は相手が気づかってくれても、「俺が嫌だから迷惑」という事になるのでしょうか? はい、そういうのもタマにはいるかも知れません。
お礼
ご回答有難うございました。 個人主義的な人も居ると思います。
お礼
詳しいご回答有難うございました。 何かが存在する為には,この「何か」には,当然,「空間」と「時間」も含ま れるが、「空間」と「時間」が必須なのだ。 空間と時間は,「時空」と呼ばれる。「時空」が,「宇宙」なのだ。 「存在」とは,何でしょう? 「存在」とは,何か? 貴方は明解に誰かに説明 する事ができますか? 私達が気付く前から存在していた当たり前の様に思う事も考えればそうかと思います。 、「最初/起源」も「終わり/終焉」 も無い。 と認識すべきなのです。 「最初の時」「最初」と言う事、それ自身が「時/時間」の概念です。 世界創成の話で、何も無い状態で「神」が最初に「時/時間」を創った。 としても、ここにも「最初」が在ります。最初と言う「時/時間」は既に 存在していたのです。 「時/時間」は、神が創ったのでは無く、「空間/広がり」と共に無限遠の 過去から「存在」していたと理解/認識するしかないのです。 人間が無知な時にはその様な現象を神が創造したとされたが、科学的に見ればそうですが、 「自然の恵みを戴いている」「生かされている」という思いが私達の抑止力になったとも思えます(が反面、権力者による統制の為に利用された事もうかがわれます。)