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縄文時代、弥生時代、日本人は奈良時代まで稲作文化だ
縄文時代、弥生時代、日本人は奈良時代まで稲作文化だったがお米はおむすびみたいな団子状にして食べてた? お茶碗というか椀に炊きあがったご飯を持って食べていなかった? 戦国時代もお椀にご飯を盛って食べずにおにぎりにして皿に載せられて食べてた?
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縄文稲作と縄文末期以降の稲作は別の種類だと言われています。 縄文稲作はパラパラとしたもので団子にはしにくいものだそうです。 主に煮て粥として食べられていたようです。 縄文末期以降は水稲のジャポニカ米の祖先の様なもので粘り気があるものだったそうですが、匙が出土されており、煮て雑炊のように食べられていたと推測されているそうです。 蒸して調理する方法もあり、おこわのように食べられていたそうです。 もち米も作るようになり、それを蒸して固めて焼いた炭化した焼きおにぎりのようなものが発見されてもいます。 奈良時代になると身分によって異なるようですが、一般的には米は椀に盛られましたが、「握飯(にぎりいい)」と呼ばれるおにぎりのようなものを食べていた地方があったそうです。 防人など兵士の携帯食としてもち米を握り固めた物が作られたそうです。 平安時代も普通は粥で、貴族などは「姫飯」と呼ばれる今で言うご飯に近い粥みたいなものを椀に盛って食べていました。 おにぎりもこの時はまだもち米で、身分の低い従者に宴の際に振る舞う程度だったそうです。 鎌倉時代の承久の乱にて鎌倉側の武士に兵糧として梅干し入りのおにぎりが配布されたとの記録がありますが、やはり普通の食事にはご飯は椀に盛られておりました。 この時のおにぎりもやはりもち米だったと推測されます。 普通の米はまだ白米は少なく(赤米黒米が主流)、炊くという調理法が開発されてもまだおにぎりに出来る粘りと強度が出来ませんでした。 白米が主流になったのが豊臣秀吉の時代だったそうで、今のようにおにぎりが作れるような強度と粘り気が出せる炊き方が出来るようになったのは江戸時代以降です。 基本は米は椀で、おにぎりはもち米で特別な時(戦などの携帯食や宴会)にしか食べないものだったそうです。
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