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墓じまいは「日本文化」を変えるのか?

この頃、「墓じまい」のことがメディアで取り上げられています。 「墓じまい」を考えている人の大半が、残される子供に迷惑を掛けたくないという話です。でも、お墓を継承することイコール迷惑というのは何か違うように思うのです。 もちろん、交通に不便な所にあるお墓の場合は、盆やお彼岸に訪れるのに難儀するのは分かりますが、それだって年に数日のことです。 合同墓に入ったからと言って、法要を省略していい訳がありません。 「墓じまい」は経済の問題なのか、それとも葬送文化の変化なのか、皆さんのご意見を聞かせて下さい。

みんなの回答

  • bunjii
  • ベストアンサー率43% (3589/8249)
回答No.16

>昨今の「墓じまい」はいろいろなケースがありますが、その多くに残される子供たちに迷惑を掛けられないという説明です。その迷惑って、なんのことだろうと言うのが、正直な疑問です。 あなたの親御さんは亡くなりましたか? あなたの両親の墓を守る人は誰ですか? あなたは先祖代々のお墓を管理していますか? あなたにはお子様が居ますか? あなたが亡くなったときの葬儀や埋葬について考えたことがありますか? これらの情報を提示しないと求める情報が得られないと思います。 >あなたが言う<敗戦後の家族制度の崩壊>は、本当に崩壊したのか、それでも何が根っこで残っているのかは検証する必要があります。 遺産相続が明確に物語っています。 戦前は家督相続で全ての遺産を1人が相続しました。 墓守も遺産の一つです。 戦後の法律では戸主制度が無くなり夫婦と子供が1つの戸籍になり、子供が結婚すれば親の戸籍から独立した夫婦の戸籍を編成しますので戦前の大家族制度は崩壊しています。 遺産相続は配偶者が2分の1、子供が2分の1を子供の数で等分に分配されます。 遺産の中に先祖の墓守(祭祀権)があればだれか1人が引き継ぐことになりますので揉め事の要素になります。 墓守が負担と感じれば引き継ぎたくないですよね?、しかし、現金、預貯金、有価証券、宝飾品、不動産などは貰いたいと思うでしょう。 墓守は負の遺産と考えればなくしておきたいと考えるのは止むを得ないでしょう。その対策として、墓じまいをする人が居るのではないでしょうか? 墓じまいは墓石の撤去と骨上げ(埋葬されている遺骨を掘り出す)が伴いますので遺骨が手元に残ります。 遺骨は樹木葬、納骨堂などに収めるか散骨することになるでしょう。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.15

再回答です。 墓のシステムは続けられない人が多く出てくると申し上ましたが、先祖を敬うこととは別です。 墓は一箇所にあり、嫁に行った人間は入れないなどの制限が多すぎます。しかし位牌を持つなど家庭で先祖を祀ることはできますので、海外在住ですが私も位牌だけは持ってきました。それは子供に託すという約束も取り付けています。 特に我が家はイギリス出身と日本出身がオーストラリアに居住する家族ですので先祖や血筋に関しては関心を抱いております。3代以上たぐれないのが残念ですが、イギリスの親族にも会いに行きました。 子供達は二人ともオーストラリア生まれ。誰の墓にも行くことができません。日本の墓じまいには立ち合わせようと思います。何代ものご先祖様が眠っていますから。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.14

今のように家族が代々同じ墓に入るようになったのは火葬が普及してからだそうです。火葬にすれば一人分は小さくなるので、複数人数分入れることができるからです。一人の人間の遺体を骨だけになるまで焼こうとすればどれだけ燃料が必要だか想像できるのではないでしょうか。昔は石炭や石油は使われませんでしたから、燃料と言えば薪や木炭です。これらは日常生活においても貴重品でしたからよほどの富裕層でもない限り大量に買うことは困難だったはず。つまり家族墓は決して「日本文化」と言えるほどの歴史は無いのです。 では、それ以前はどうだったのかといえば、全て個人墓です。文字通り「桶」の中に入れて埋めてしまうわけですそのうち今でも残っているのは、有名武将や主だった皇族など力があった人物だけでしょう。ほとんどの人は墓標すらつくられず、作られたとしても時間とともに忘れ去られてしまいます。

kappa1zoku
質問者

お礼

ゴメンナサイ、現代のカロート式お墓については僕も勉強しています。 もともと「文化」と呼ばれるものは数十年単位で変化します。 告別式も明治期に入り、中江兆民が死んだ時に故人の遺志を尊重して、板垣退助などが行ったのが最初です。 僕が言っている「日本の文化」とは葬送の文化が変化しているのかどうかです。 例えば、お盆やお彼岸などの死者との交流ですが、それはもはや必要ない、生きている者にとって死者との交流は不必要だという考えで「墓じまい」が広まっているのかという問題です。

  • bunjii
  • ベストアンサー率43% (3589/8249)
回答No.13

>墓じまいは「日本文化」を変えるのか? ???? 「墓じまい」は墓石を撤去し埋葬された遺骨を掘り上げる儀式を伴いますので大金が掛かります。 寺の墓地を使っている場合は墓の維持費を払わずに連絡先も分からなくなれば無縁仏として寺が整理し新規の檀家に提供します。 埋葬されている遺骨は無縁仏の墓へ合葬されますので個人が法要をする必要がありません。 「日本文化」に影響ありません。 >ご意見を聞かせて下さい。 敗戦後の家族制度崩壊が原因かと思われます。 戦前の大家族では戸主(一家の長)が家族を纏めて家業を営んでいて戸主が亡くったときや隠居したときは家督相続で一子相伝の引継ぎになっていましたが戦後の夫婦単位の小家族になり遺産相続も分割になるため先祖の供養については分割できないので引き継ぐことが難しくなっているように思います。 子供が居れば親の供養と一緒に先祖の供養もできますが子供がいない人は自分の墓も維持できなくなります。 親が分家して亡くなったとき墓を用意するときは永代供養墓として埋葬すれば最後に埋葬された方の33回忌まで寺が供養してくれるようです。その後は無縁仏として合葬されるという話を聞いたことがあります。 霊園(樹木葬も含む)やお墓のマンションも永代供養墓と同じ扱いではないでしょうか? 農村部では個人墓(個人名義の墓地)が点在している集落もあり後継者が居なくなると周囲に迷惑をかけることになりますので墓じまいをして地目を変更するケースもあります。

kappa1zoku
質問者

お礼

ありがとうございます。 昨今の「墓じまい」はいろいろなケースがありますが、その多くに残される子供たちに迷惑を掛けられないという説明です。その迷惑って、なんのことだろうと言うのが、正直な疑問です。 お盆やお彼岸が日本独自の文化であることは知っていると思いますが、残された者たちの迷惑にはそれらは入っているのでしょうか。 あなたが言う<敗戦後の家族制度の崩壊>は、本当に崩壊したのか、それでも何が根っこで残っているのかは検証する必要があります。 おそらく明治民法の言う家督相続という制度が起ちいかなくなったせいで、<家族制度>が崩壊したと言えば言えますが、 それは法律的な問題です。 例えば、娘さんしかいないと言って「墓じまい」をするのは、戦後民法から言っておかしなことです。(例としては、両親は合同墓に入る)何故、娘さんではお墓を継げないのか?という問題も残ります。 また、残された娘さんは、お盆やお彼岸では自分の親御さんとの交流(死者との交流)はしないで、嫁いだ旦那さんの家の死者との交流しかしないのか。 「墓じまい」として報じられる内容ないろいろあって、それこそ檀那寺との確執や子供がいないとか、遠距離にある先祖代々のお墓とか、一律ではないのですが、その底には日本の葬送文化の変化を感じてしまうのです。

  • sirasak
  • ベストアンサー率27% (348/1287)
回答No.12

むかしは土葬にして死者を敬っていたので死体を埋める墓が必要だったと思いますが、現代は火葬なのに一部の骨を墓に納めることが多いと思いますが必要ないことなのに、大昔の豪族の真似をして律儀に墓を守るのが正しいと誤解している人が少数と思います。 大昔は宗教も墓も必要だったのかもですが、現代は宗教も墓も必要ないのです。 真心で死者を敬うことがもっとも大事なことであって、宗教などに騙されないようにしたいです。 私も直葬にして火葬場の灰になって畑を肥やすと思います。

kappa1zoku
質問者

お礼

宗教というものをどう捉えるかですが、宗教と墓はイコールではありません。 日本では、お盆やお彼岸など死者との交流の文化があります。仏教というより、日本的な文化です。 それはそれで大事なものではと僕は思います。(もちろん、お坊さんを呼ぶかどうかではありません) 葬送の儀式もいらないということですか。 まあ、生前「俺が死んだら、灰をどこかに巻いて置け」と豪語する人もいますが、その人の実際の行いを見て見ませんと評価は出来ません。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.11

家庭の形が変わりましたよね。離婚と再婚、未婚の母、事実婚、はたまた同性婚。そして外国人との結婚。 我が家は兄が未婚で一生を通し、子供なしで世代が終わります。私は娘で外国人と結婚したため、海外から毎年の市営霊園管理料を支払おうとしたら国内の講座からの振替しか受け入れられないということで却下。払ってません。そのうち墓じまいになるなら早めにしちゃおうかとおもいます。自分が高齢になったら飛行機とバスを乗り継いで墓参りに行けるとは思えません。 墓じまいが起き続けるのは少子化・未婚率上昇・転居・お家制度の複雑化などの総合だと思います。また長男以外が次々に新しいお墓を作ることの経済的困難と土地不足。時代にあっていないと思えます。 すでに墓がありその近くに存続が居住するならば続けてください。日本文化です。が、私はすでに外れました。自分は世界のどこで埋葬されても構いません。遺灰は農園に巻いてもらえればカルシウムとして最後の奉仕ができると思います。

kappa1zoku
質問者

お礼

死んだら終わりという考えですか。 それも理解できるのですが、死者との交流をしたことはないのでしょうか。 自分は二人の親御さんから生まれました。その親御さんもそれぞれ二人の親御さんから生まれました。 生きているということは、そういう死者からのバトンタッチ、バトンリレーではないかとも考えれます。 それは単なるご先祖様というレベルではなく、生物としての問題です。 葬送の文化とはそういうものだと思うのです。 それが「墓じまい」ということで、何かが抜け落ちて議論されているような気がします。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2383/15962)
回答No.10

その年に数回すら思うように休めないような仕事の人も居ます。 (墓まで、近いって前提でしょ?) それに、子供が一生、独身なら?しかも非正規だったり、ニートだったら? 自分が食べることすら、ままならない状況の人も結構います。 それを考えたら、親が、そう思っても仕方ないのでは? うちも一人娘です。墓のせいで結婚を考えなきゃいけないなんて 違うと思いますが。(嫁いでまで実家の墓の面倒を見ないといけないって 負担が大きすぎるでしょう。) 墓参りすれば、お終いではなくて、宗教にもよると思いますが 年間数十万、100万単位で掛かったりしますよ。寺の補修は檀家が・・・ とかって、しょっちゅう有りますから。 それに帰省代、法事代って、ものすごい額になりますよ。 それだけの時間と収入がある人は限られると思いますが。 夫は長男跡取りですが、(舅が亡くなったので、はっきり夫弟が跡を取ることに しましたが、夫弟は独身です。)住職は、うちの娘に継げと。 継がないなら1億、請求するからとかって言われましたからね。 冗談にしても、そこまでして必要ないと思います墓って。 宗教なんて選択は個人の自由なんだから法要が必要かなんて人に言われる 筋合いは無いと思いますが。 生きてる人間より死んでる人間を優先に考える方が不自然。 現状に即しないなら現実的な方法を考えるべき。破綻するようなことを するのは馬鹿だと思う。死んだ人間(先祖)が生きてる子孫の足を引っ張って どうするんだと。

kappa1zoku
質問者

お礼

何を価値として考えるかということでもありますね。 檀那寺が檀家さんを食い物にしているという話も聞きます。それで宗教は仏教はと言いたくなるのも分かります。 死んだ者より、生きている我々だというの当然です。 でもと思うのです。 死者との交流はそんなに面倒なことですか? それは宗教ではなく、風土や民族の問題です。 葬送の文化の問題です。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.9

 父親の実家には、先祖代々の墓があります。本家筋だそうで周囲の同じ姓の墓の中でも段違いの規模です。本来はオヤジが長男なので継ぐはずだったのですが、祖父が逝った後家族会議が開かれ、家を出て都会で就職していた父に代わり一番下の妹が婿養子をもらって継ぐことになりました。  それから46年。  叔母の家には息子が二人生まれましたが、二人とも40代で独身です。婿養子に来た叔父はすでに亡くなりました。従弟は二人とも家を出ており、継ぐつもりはないそうです。叔母は父に言ったそうです。  「兄さんには悪いけど、私の代で終わることになりそうだ。兄さんが継がなかったときにこうなる運命だったのかもしれない」  こういう墓は今後増えると思います。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6894/20381)
回答No.8

日本人はとっくの昔に宗教心をなくしています。遺骨とか墓に意味を持たなくなっているのでしょう。 歌にも歌われています。 「わたしはそこにはいません~ ねむっていません~ 」 この歌がとても多くの人たちに受け入れられてしまいました。

  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.7

>合同墓に入ったからと言って、法要を省略していい訳がありません それ誰が決めたんですか?絶対なんですか?私はそうは思いませんけど。 仏教はブッダが始祖ですが日本の葬式仏教なんか全然本質から離れてしまってると聞きますよね。 >でも、お墓を継承することイコール迷惑というのは何か違うように思うのです。 それも個人的見解ですよね。 そういうお考えもあるかもしれませんが私は思わないので、後からとってつけたような、そしてお金の問題も付随してくるような本質でない部分(私は本質で不可欠な要素と思ってないので)まで強要されないほうが有り難いなぁと思います。 >もちろん、交通に不便な所にあるお墓の場合は、盆やお彼岸に訪れるのに難儀するのは分かりますが、それだって年に数日のことです。 それは行きたい、行く事がすっごく大事と信じ込んでる人の言い分ですよね。 まあそれが多数派なのかも知れませんが、多数派ってただ数が多いだけで自分の意見が正当とか思いがちですよね・・・(質問者さんがそうかは知りませんけど)、私はこの件については昔から違和感がありました。 もしそんな部分は大事でないことという認識、行くとしても数年に1度だって十分、そんな形式的なことよりも大事なことは他にあるって認識だったら解釈も変わってくる部分だと思います。

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