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発達障害の妹の自殺

3ヶ月前に妹が自殺しました。まだ20歳で、丁度21歳の誕生日を迎える前の日に自宅で亡くなってるのを母が発見しました。 私は彼氏と同棲して実家から離れていた為、妹の状況は電話越しで母からいつも聞いていたので、妹が亡くなったと電話で聞かされた時はあまりにも突然の出来事だったので今でも悲しみから立ち直れそうにありません。 妹が亡くなってから、もっと話を聞いてあげてたら何か変わっていたんじゃないか、私の言動が妹を追い詰める原因になったんじゃないかとか、後悔はあっても、妹に具体的にはどうしてあげたら良かったのか今でも分からない自分が悔しいです。 私の妹は軽度の知的障害がありました。 昔から私より勉強がよく出来ていたし、友達も多く、よく人から好かれる子でしたが、片付け、身だしなみ等私生活の事が出来ず、私と比べてだらしない部分が目立つ子で、それに疑問を感じた母が児相に連れていった結果、14歳の時に発達障害のadhdだとその時は診断されました。 でもプライドの高い妹だったので手帳は持ちたくないと本人の希望を尊重し、手帳を取得せず、でも16歳の時に発育テストをすると何故かIQがかなり下がっていて結果軽度知的障害と診断され、本人は手帳を持ちたくないと言いましたが、母が将来の事を考えて手帳を勝手に取得し妹に持たせました。 それから妹が16歳の高校一年が終わる頃、妹が突然高校を辞めたいと言い出しました。理由は、裁縫が出来ない、図形がどうしても分からない、それで小学校の時から仲のいい、高校も同じ所に進学した友達に障害を持ってることをカミングアウトしたら周りに言いふらされて気持ち悪いもの扱いされた、もう学校に居ずらいと。 結局それで高校は辞め、毎日家でパソコンばかり。何回かバイトを始めてみるも、人から言われた事をすぐ忘れるらしく、職場の方達から苛められたりして泣いて帰ってきたこともあり、それまでは妹は、資格を取って何かの仕事に就きたい、介護でもなんでも。と色々と勉強等頑張っていたのに、精神科の主治医の先生に就職先は作業所がいいと進められてから「私は何をしてもだめだ」と諦めるようになりました。 その頃から妹は、友達や恋人がいて、専門学校にも行って充実して見える私に対し、自分が上手くいかない妬みで暴言を吐いてくるようになり、妹と不仲が続いたので私も妹から逃げるために彼氏と同棲を始め、妹は母と二人暮らし。 妹の様子は母から色々聞いていましたが作業所ではなく、ちゃんとした職場で障害者雇用で就職するも、仕事がない、突っ立てるだけで金が貰えるなんて嫌だ、つまらない。と不満ばかり言っていて、週末にはネットで知り合った人と遊びに行って家に帰って来ないか、ひたすら一日中寝て過ごしているみたいで、夜遊びは母も心配していましたが、それを注意しても妹は聞く耳持たず、変に言うと「私にはストレス発散がないんだ!」「寂しくて堪らないんだ私は!」と言って腕を切るなどの自傷行為をするらしく、家にはちゃんと帰ってくるからと目を瞑るしかないと心配で母も悩まされていました。 実家から離れてから妹に最後に会ったのは今年の正月、妹は体調が悪い母の代わりに家の家事を全般してくれていて、久しぶりに妹と話をした時に妹は、もう昔みたいに嫌味を言ってくることはしませんでしたが 妹から言われたことは、 「死にながら生きてる、毎日。生きる事の楽しみが分からない」 「何事もなく毎日が終わって若さも終わっておばあちゃんになるだけって悲しいよね」 「〇〇はいいやんな、普通やから。立派な仕事にもつけるし、夢も叶えようと思ったら叶える。努力次第でどうにかなる し」 「好きな人と両思いになっても障害がある事を伝えたら皆引いてく、まだadhdとかだったら受け入れてくれてたのかな」 「早く死にたいな、生きたくない。お洒落しても何してもずっと一人だから楽しくないや」 とか、その他も人生に対して投げやりになってるような事を言われました。 きっと対人関係が上手くいかず、寂しいのだと思い家族で正月休み旅行に行ったりしましたが、それでもあまり楽しそうでもなく、一緒にいるというのに携帯でひたすら出合い系サイト?的なものばかり見ていて。 悲観的になってる妹でしたが、そんな日々がずっと続きながらもどうにか毎日過ごしているし、母もいつも妹を気遣って声掛けしているし、まさか命を絶つなんて思ってもいなくて。 亡くなる前の日も妹は普通だったみたいで、未だに家族共悲しみから立ち直れていません。 どうしてあげたらそういう決断に至らないですんだのでしょうか、自分が障害者という事に凄いコンプレックスと劣等感を感じてる子でした。 毎日生き地獄とも言っていました、不謹慎ですが妹にとってはこれでよかったのでしょうか

みんなの回答

回答No.11

残念です・・・ 20歳の若さで人生を諦めなければならなかった妹さんの事を思うとかわいそうでなりません。おそらく妹さんはぎりぎりの所まで追い詰められていたのでしょう。人にこの気持ちを理解してもらいたくても理解してもらえない苦しみをかかえどんなに苦しかった事でしょうか?妹さんは孤独だったと思います。  でもあなたや家族に罪はないと思います。自分たちを責めるのはやめましょう。あなたや家族は妹さんを本当によく支えてあげたと思います。でもその気持ちが追い詰められた妹さんにはとどかなかっただけです。それくらい発達障害、知的障害、精神障害を抱えた人の心の闇は深いのです。  あなたがこれからの人生でもし身近に、いや身近でなくてもいいです、障害で苦しんでいる人に出会ったならそのような人々の心に寄り添い、心の支えになってあげて下さい。  それが妹さんの死を無駄にしないことであり妹さんの供養にもなるのではないでしょうか?  妹さんのご冥福をお祈りします。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.10

あなたのせいではないですが、自殺してよかったわけなどありません。 辛さは忘れるべきですが、生き残ったものはどうしたら良かったのか考え続けるそしてそういう事がないように今後に生かす義務があります。 あなたの中だけとか、独りでは解決できないと思います。抱え込んで自分を責めては良くないでしょう。

回答No.9

今更、何を言ったところで妹さんは帰ってきません。おそらくですが、生きてることに絶望したのだと思います。あなたが色々苦しむのも、もう良いのではないでしょうか。今度はあなたが病気になります。仕方のないことだったと、お辛いでしょうが早く、日常に戻る努力をして下さい。

noname#237476
noname#237476
回答No.8

ご愁傷様です。大変でしたね。 私は20代後半になって、発達障害グレーゾーンと診断された者です。程度の軽いグレーゾーンの私でも、人生本当に辛く、できることも得意なこともなく周りに否定され続け(周りは、やる気を出させようと指摘をしていたみたいです。)、子供の頃から毎日死ぬことばかりを考えていました。「こんなできそこない生きていてもしょうがない。」それが私の考えでした。彼氏も親友もいない、劣等感まみれで、今死のうが明日死のうがどうでもいいことでした。それより、楽になりたい。毎日そう思っていました。 そんな私は幸運なことに、私自身の存在や良いところをひたすら褒めてくれる人に出会い、なんとか今生きています。それは彼氏でした。人生初めて、一度も否定することなく褒めてくれた人は初めてでした。最初は褒められることすら受け入れられなかったのですが、やはり少しずつ心が落ち着きました。 トピ主さんにできることは、妹さんの心から1番のいいと思うところを言ってあげることでしょうか。近親者の心からの一言は、やはり影響力が大きいことがあります。 本当に不謹慎で申し訳ないのですが、私はこれでよかったと思ってしまいます。他に比べたらたいした障害ではないのにと言われがちですが、何より自分が自分を否定してしまうので、本当に辛いです。死ぬことより辛いと言ったら理解してもらえますでしょうか?妹さんは、それくらい辛い人生だったのでしょう。でも、もちろんちゃんと楽しかった思い出も残ってます。妹さんにお疲れ様と言ってあげたいです。 長文失礼しました。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.7

<理由は、裁縫が出来ない、図形がどうしても分からない 特定分野に何らかの問題有るとすると努力だけでは無理です、 普通は先生が気づき面接になり、頑張ったけどどうしても わからないというだけで、単位は取得できます、つまり 努力は報われ、卒業はできます。 <高校も同じ所に進学した友達に障害を持ってることを 友達は他人です、弱いとこ見せると良いことは有りません。 相談するのは苦手の教科の先生です、対応が確実に間違えて います。 卒業できるのに学業を放棄すれば、道は転がり坂です。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.6

残されたご家族にこういうことをいうのは傷をえぐるような行為ですけれども、妹さんが孤独であったことはひしひしと伝わってきました。 お母さんは「良かれ」と思って障害者手帳をもらってきたようですが、本人に十分に説明もしていないし、そうなったらそうなったで「家族がどうすればいいか」という視点は全くなかったようですね。社会になじむ努力は本人がやることで、家族がそこにどう支援ができるかな、というのはなかったのではないかなーと思いました。 また、家族の誰も「あなたにもいいところはあるじゃない」っていってくれなかったのかな。妹さんが「裁縫ができない」といったときに「でも〇〇ができるじゃない」というとか、「図形が分らない」といったときに「私もたいして変わらないし、それでも就ける仕事は沢山あるから」というようなフォローは誰もしてあげられなかったんでしょうか。だったら、すごい孤独だよね。友達からも蔑まれて、家族も価値を認めてくれなくて、そりゃどこにも自分が生きる場所がないって追い詰められちゃう気も分からなくはないです。 あと私も、文章の中にお父さんの存在が全くなかったのが気になります。そもそも母子家庭だったんでしょうか。それなら、お父さん代わりの人がいなかった寂しさもあったでしょうね。実の父親ってどんな人だったのでしょうか。そういうのって遺伝することがよくあります。お父さん(あるいはお母さん)にそういう傾向があったのかもしれませんね。 質問者さんは同棲して「逃げる」ことができたわけですが、妹さんにはそういう逃げる先がなかったわけで、せめて逃げ場所を探して夜遊びもしていたのでしょうが、その逃げ場所も叱られて奪われたら、うーん、追い詰められるよなあ。 妹さんに一番必要だったのは「あなたはあなたなりに家族に貢献している(母親の代わりに家事全般をした)し、別に高学歴でも仕事ができない人はいるし、火事ができれば結婚しちゃえばいいんじゃないの?」とかなんとか、そういう言葉だったんじゃないかなあ。 家族ではなくても、そういう言葉を友達や恩師や誰かからそういわれていたら、あるいは誰かの生き方を見て「あー、こんなんでもええんだな」と思えたら全然違っていたんでしょうけどねえ。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.5

悲哀感情は、3ヶ月ほどで徐々に 緩和されてくるのですが…この質問も 3ヶ月が経過して、可能になったという ことではないでしょうか。 どうしても、深い悲哀感から 脱け出せない場合は、そちらの地域の グリーフ・ケアの専門家に相談して みることをお勧めします。 [事故や病気等で、中途障害になってしまった人は、 自身に起きてしまった現実を 受け容れられなくて…受容にはタイム・ラグがある のですが…ご家族も身内の障害を受け容れ難いんですよね。 ご家族の全員が、妹さんの障害を熟知して、適切に 対応できて、妹さんに与えられている天賦の才能を 見つけ出してあげられていたら、事情は、もっと 変わったものになっていた筈なんですが…誠に 残念なことですね] ある高校の先生は、病気で右腕が麻痺して しまうという中途障害者になってしまい、 障害で美しい字が書けなくなってしまったことに 意気阻喪して、リハビリへの意欲も湧かず、 失意の入院生活を送っていたのですが、 そんな或る日に、教え子たちがお見舞いに来てくれて、 早く教室に戻ってきてくれるように云われたのですが、 彼らの言葉が先生には強い励ましとなって、左手で字を書く トレーニングを始めて…ほどなく、教室に 戻って行ったという~~~ メンタル系の病気になって、扉が閉ざされて しまうと、多くの人は、閉ざされてしまった扉を 再び開こうとして、絶望を感じてしまうのですが 病気で開かれた新たな扉の向こうの側に開かれている 新世界で活躍することを考えれば…右腕が麻痺してしまった 先生が、左手で字を書くことに活路を見出したように、 希望と新たなエネルギーが湧出してくるんです けどねぇ。 妹さんは閉ざされている扉を開こうとして、 失意と挫折感とインフェリオリティ・コンプレックスに 苛まれてしまったようですが…妹さんに与えられている 「天賦の才」を見つけ出し、支えてくださる人との 出会いがなかったことも…妹さんには極めて アンラッキーでしたね。 ふろく: 妹さんへの想いがあるのでしたら、 公立図書館等で、 『子どもの脳にいいこと』 『続・子どもの脳にいいこと』 『新・子どもの脳にいいこと』 を読んでみることをお勧めしたいです。 そうすれば、妹さんには、どのような 環境・状況がベスト、或いは、モア・ベター だったのかが判然とすると思います。 高橋さんという大学教授の女性が自身の 発達障害のある子どもを京都大学に入学させたことを 著した本が出版されていますのでこちらも読めば 参考になるのではないでしょうか。 これらを参考にしながら、 妹さんの三回忌に捧げる「小説」を書いて みることをお勧めしたいです。 なお、アナタ様は 《凄いコンプレックスと劣等感》と書かれて ますが…〈コンプレックス〉が 「インフェリオリティ・コンプレックス」の意ならば 〈劣等感〉と同じ意味なのですが、何らかの違いが あるのでしょうか。 よかったかどうかは、 上掲の本を読んだ後に アナタ様自身で判断してください ませな。 CiaoCiao.

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.4

障害者扱いを周りがするからでしょうね。 長所を見ずに心配ばかりして短所扱いばかり するからだと思います。 障害者だからと言って、それを補う訓練を していけば良いだけです。 障害者じゃなくても勉強のできない人なんて 世の中たくさんいます。 私生活だらしない人なんてたくさんいます。 障害者として認定させた年頃も 関係していたのでしょうね。 思春期の真っただ中で、そういうことを 告げて認定させたのは間違いだったのかも 知れませんね。

  • marissa-r
  • ベストアンサー率21% (634/3008)
回答No.3

彼女にとって“それしか”選択肢が無かったのかな。 だとしたら彼女は自身の中で最良の選択をしたのかもしれない。 しかしそれが正解か?となれば別問題。 選択肢の無い…例えば二者択一の中での選択しかないのであれば仕方ないが“他にも有る”となれば、それはまた異なる。

  • maiko04
  • ベストアンサー率17% (345/1956)
回答No.2

「人の道に人情はあるが運命に容赦はない」 誰の言葉だったか、こういうのがあります。 生まれた瞬間から持って生まれた性格、親や兄弟、親戚縁者、地域住民、 学校と教師、就職に至るまで運命は関わってきます。 あなたが思っているのは人情ですが、それで運命は変えられない。 生きているのがしんどくて自殺する人。 自殺したくてもできない人がわんさかいる中で自殺することでこの世を離れ、 仏教で言うところの極楽浄土、キリスト教でいうところの天国に行くなら それはそれで本人のためではないかと。 誰かがなにかしたことで命が少し延びてもその人のためにはならない。 そう思います。

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