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本田と三菱、川西と三菱

本田ジェットは好調の売れ行きだが三菱の旅客機はトラブル続きのようです。かつての川西の紫電改と烈風を連想するのはおかしいでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 918thBG
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回答No.4

回答No.1さんが書かれているとおり、三菱に対する本田と、三菱に対する川西(新明和工業)では、相手が違いますから比較する対象として不適当です。 >かつての川西の紫電改と烈風を連想するのはおかしいでしょうか。 質問者さんがおっしゃりたいポイントは私も分かるつもりです。川西の紫電改は生産数が少ないなりに活躍したけれども、三菱の烈風はついに量産できずに終戦を迎えてしまったという事ですよね。しかし、申し訳ありませんが、私の意見としては、質問者さんが書かれている「紫電改と烈風」を連想するのは違うと思います。 ご質問の趣旨に沿って回答させていただくなら、ホンダジェットはパーソナルな要素が強いビジネスジェットとして、ユーザーの趣味的な需要で売れる機種であるといえます。 それに対して三菱のリージョナルジェットは、世界の航空会社がきわめてシビアな利益計算に基づいて購入と運用とを天秤にかけ、多少大げさに言わせて頂くなら、その航空会社の存亡をかけた非常に厳しい機種選定にさらされる機種であるといえます。この両者を同一に論じる事はできないと思います。 逆の言い方をすれば、ホンダジェットが多少売れたとしてもその利益はそれ程でもないと言えますが、リージョナルジェットが世界の多くの航空会社に採用されて、一時期のブームを起こす事になれば、巨額の利益を計上して日本の貿易収支に多大の貢献をすることもあり得るということです。 あと一つ老婆心から書かせて頂きますが、質問者さんは紫電改が欠点の無い傑作戦闘機だと思っていらっしゃるのではないでしょうか。もしそうなら、それは若干違います。紫電改というのは、当時の日本の工業生産技術の実力を無視して最高の性能を追求した「誉(ほまれ)発動機」が持っていた欠点のために、343航空隊など実戦部隊ではトラブルを解決して運用するために大変な苦労を強いられていたという実情がありました。 エンジン始動のあと、暖気運転中に油断をしていると、潤滑系統のトラブルであっという間にエンジンをだめにしてしまう危険のある非常に扱いにくい戦闘機だったのです。それでもハルゼーの米海軍高速機動部隊が日本沿岸に迫る緊迫した状況では、戦闘機の完成度がどうのこうのと言っていられなかったのです。 事実、川西の紫電改は、終戦まで実戦部隊からの改善要求があるたびに何度でも機体の改修を繰り返して対応していますした。これは通常の軍用機の大量生産のポリシーには反するやり方です。しかし、大戦末期の緊迫した状況の中で、軍の要求に細かく対応することを優先したのが川西のポリシーてした。「試製紫電 改」という海軍の公式名称はダテではなかったのです。 改めてご質問に答えます。戦争末期の状況と平成の今日を混同してはなりません。また、戦争末期の軍用機開発と平成の今日に於ける民間旅客機開発のプロジェクトとを混同するのも間違っております。 戦時中の三菱の堀越技師は烈風の開発で慎重を期しすぎて戦機を逸しましたが、現在の三菱のリージョナルジェットは民間の旅客の生命をあずかる旅客機なのですから、慎重の上にも慎重に開発するのが当然です。

kaitara1
質問者

お礼

思い付きの愚問に対して詳しく教えていただき恐縮いたしております。大変勉強になりました。

その他の回答 (3)

noname#252332
noname#252332
回答No.3

> 飛行機が好きな人がいるかいないかなんて言うことはありませんか。  飛行機が好きで飛行機開発に成功するなら暴走族はみんなコーリンチャップマンになってると思いますよ。想像ですが。

kaitara1
質問者

お礼

おっしゃるとおりですね。

noname#252332
noname#252332
回答No.2

 所詮は企業ではなくトップに立つひとりのヒトの性能です。ところがトップに立つ人を育て選ぶのもまた企業風土です。昔は物を作る者とは、報連相、段取り八分、三現主義が有ればそれでよかった。このうち段取りと三現はお題目を唱えれば誰でも出来たが報連相は良い報連相と悪い報連相があり教育が必要でした。ところが今は新しくワイガヤが求められています。この要求の変化には明確な理由があります。現代は全ての開発が価格ドットコム的競争に晒されておりチャンピオンしか生き残れない。昔は自分が買った製品がどんなボロか知らず、次もまた同じボロを買ったのです。今の消費者の情報量は違う。今は最高のものしか売れない。二位は生き残る権利が有りません。(現実には複数の製品が生き残っているというのは消費者の支店にも何に於いて最高であるかという価値観が複数あるからです。)このため、あるテーマに対してナントカ委員会を立ち上げて担当者だけでコソコソ検討するような企業は競争に生き残れません。そこでワイガヤが開発者にとって必然の最低条件になるわけですが、ワイガヤという概念自体が新しく充分に認知されていないので、ググルと居酒屋ばかり出てくる始末です。ところが”ホンダのワイガヤ”で検索するとやっと私が言うところのワイガヤが出てきますがこの概念はもしかするとホンダが発祥かもしれません。実際本田宗一郎と藤沢さんの伝記を読むと役員室を大部屋にした話などでてきます。三菱ジェットの最大の失敗は海外基準を知らずに自己流の設計を進めた点ですがこれも未然の解決策と言えばワイガヤです。ホンダジェットがホンダ流ワイガヤを継承しているかどうかわかりませんが、担当者だけで頑張っているのは今日の負ける開発の一つの特徴です。

kaitara1
質問者

お礼

ホンダは設立当初やたらに首を切ることが有名だった時期があったと思いますが、これと関係があるのかなとも思います。飛行機が好きな人がいるかいないかなんて言うことはありませんか。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.1

そうですね、川西は現在の新明和工業ですからね。ホンダとの接点がありません。紫電改も名機ではありますが、海軍の戦闘機なのに艦上戦闘機ではないですからどこまで評価すべきか難しい面もあります。 烈風はしょうがないですよ。エンジンがあれじゃあね。飛燕にしても烈風にしても、エンジンのクオリティの低さがボトルネックとなりました。 ホンダだって航空機は好調でも、F1は凋落が激しいですからね。泉下で本田宗一郎が泣いていますよ。

kaitara1
質問者

お礼

企業だけの問題ではないのでしょうね。三菱がゼロ戦以来ライバルに比して何となく影が薄いように思いました。