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最強の剣豪は?

歴史上で最強の剣豪は池田屋事件で孤軍奮闘した近藤勇では?

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回答No.5

#4です。 件の本が届きましたので報告を。 近藤勇はエントリーすらしていませんでした。。。 幕末剣術はファイナルステージには入れなかったとだけ報告しておきます。 で、私が推していた塚原卜伝VS宮本武蔵のカードがありましたが・・・オイっ!(`Д´)な結果に・・・ 優勝者は前の回答の最後に挙げた人物の中にありましたが、○○も✕✕もエントリーされていませんので、やり直しして欲しいですね。 近藤勇がエントリーされなかったのは既に新撰組から2人もエントリーされていたからかと。 また近藤は沖田総司の才能を認めており、池田屋で沖田が病に倒れなかったら近藤以上の働きは出来たのではないかと。 池田屋事件では孤軍奮闘という訳では無いのですよ。 沖田や藤堂、永倉らのように進んで切り込みしていなかったから怪我をしなかったとも見られます。 現場の司令官だから我先にと切り込む訳にはいかなかったのですけどね。

その他の回答 (4)

回答No.4

やってしまいました・・・ この質問を見て、数年前にコンビニで剣豪だかサムライだかの最強図鑑のようなものを見かけたな・・・と思い出して、探し出してポチってしまいました。。。 ナンバーワン決定バトル!サムライ最強王者大図鑑 [ 日本史バトル研究会 ] ISBN 9784800267337 少しだけ立ち読みしましたが、タイマンのトーナメントでデーターがきちんと考察されていると感じました。 その時は出かけるためのバス待ちで、荷物になるからと買わなかったのですが、後日見てみたら無くなっていて。 買えばよかったと後悔するもそのまま忘れていました。 剣豪とサムライとではジャンルが違うかもですが、近藤勇を「剣豪」としているのならばサムライというジャンルで考えてもいいかなというわけで、「答え」が届くのを楽しみにします。 が、それでは回答にならないので自分なりに考えてみると、鹿島新当流創始者剣聖・塚原卜伝じゃないかと。 知名度は低いですが、生涯弓傷以外は無傷で不覚なしの負け無しだったとか。 また、「戦わずして勝つ」の「無勝手流」をあみだし?ました。 門下生と言うか教え子に剣豪将軍足利義輝に細川幽斎、北畠具教、居合の祖である林崎重信、山本勘助などがいたそうです。 実際は宮本武蔵が生まれる前に塚原卜伝は亡くなっているので事実ではないのですが、宮本武蔵と食事中の塚原卜伝が勝負し、武蔵の剣を卜伝は鍋蓋で受け止めたという逸話があります。 宮本武蔵は↑の通り不意打ちだったり、高齢の佐々木小次郎との勝負にわざと遅刻するなど卑怯な感じがして・・・伝説ですけどね。 実はあまり宮本武蔵については分かっていない部分が多いそうです。 近藤勇は「剣豪」と言うより「武士」だと思います。 切腹は認められなかったけど。 新撰組という組織の局長ですからね。。。 で、武士で・・・となれば源為朝とか真田幸村とか本多忠勝とか。

  • nekosuke16
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回答No.3

窮地を潜り抜けてきた経験を考えると、たしかに近藤勇もあるのかもしれない。 ただ、維新に至る長い歴史を紐解けば、どうしても宮本武蔵や塚原卜伝、柳生宗矩、或いは、維新の時代にあって、近藤以上との腕前とされた沖田総司、免許皆伝の坂本竜馬や勝海舟、長身からの上段が得意の木戸 孝允などを含めて、意外に剣豪は多い。 ただ、こうした剣豪剣客列伝で、やはり最強となると60回以上の決闘の末に生き延びた宮本武蔵ということになるのではないでしょうか? 近藤勇もたしかに優れた剣客ではあるけれども、百姓の出にして苦労して新撰組局長とはなったけれども、奮闘した相手は、いわば、烏合の衆。 対して武蔵は吉岡一門、十文字槍の宝蔵院の僧兵や高田又兵衛、そして、佐々木小次郎といった時の風雲児、最強集団をたった一人で撃破したその力量は計り知れない。 ただ、近藤勇にしても武蔵にしても、現実に闘ったわけでもなく、また、伝説的な要素も含みながらも、私として宮本武蔵に一票ですね。

回答No.2

宮本武蔵かも?

  • tzd78886
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回答No.1

「最強」といっても甲子園大会みたいに選手権を行ったことなど無いので、分かるはずはありません。スポーツではないのですからそれぞれ状況も違います。比較しようとすれば条件を同じにして同じコンデョションでやらなければ意味は無く、そんなことは不可能です。