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道徳的とは
・相手の窮状と自身の義務を考えたうえで、最低限の人助けをすること ・困っている人すべてに手を差しのべる どちらがより道徳的だと思いますか? 前者は、よっぽど相手が困っていない限りは手を差しのべず、後者は、人を選ばず助けようとするため、その結果犯罪を助長する可能性を持っています。
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- tomy-eye
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・相手の窮状と自身の義務を考えたうえで、最低限の人助けをすること これは道徳上の責任でも義務でもありません。 人によっては「大きなお世話、無駄な干渉」と思われたりします。 こんなことはせんで宜しい。 ・困っている人すべてに手を差しのべる これじゃ我が身が持ちません。 みんな自分は自分の力で生きたいと思い、努力しています。 これが及ばない状態に陥った時は、税金を取っている国が何とかせねばなりません。 これが社会のルールです。 法は、万民が公平であり人間らしく生きて行ける社会を作る、だから税の支払いを怠ってはいかん、と言っています。 では道徳とは何か? 搾取しない・殺さない・犯さない・盗らない・騙さないが基本です。 金持ちが銭で難民の救済をするのは善行ですが、カラスの勝手と言う世界です。 悪いことも良いこともしないで、ただ自分のためにだけ生きるのが、最も道徳的な生き方です。 安倍さん、嘘だらけの首相。 海外からの派遣者社長の銭取ゴーンさん。 鏡を見て下さい。 胸に不道徳のゼッケンを貼って、恥ずかしくないですか?
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
「道徳」とは …人としての「道」を「徳(得)」することです。 つまり「善悪を判断できる心」を持ち、 良心に従って人として「過ちを犯さない」ことです。 ・「相手の窮状~最低限の人助け」 …「最低限」ということであれば自身の能力の範囲となりますが、 それ自体は「道徳」から外れるような事ではありませんね。 ・「~全てに~」 …「全て」となれば、自身の能力を越える場合には何らかの不都合も生じる可能性が否定できません。 その場合、自分自身が「窮状に陥る」という「過ちを犯す恐れ」もあります。 以上を「道徳」の意味に従って比較すれば、どちらが道徳的か明らかでしょう。 「犯罪を助長する可能性」 …普通なら状況を見て事態の大まかな判断ができるものです。 「救助の必要性」すら判断ができないなら、その時点で自分の「判断能力」を越える状況です。 「過ちを犯す恐れ」があり「道徳的」とは言いかねます。 通常なら多少の「道徳的」判断能力は有って然るべきです。 「救助の必要性」さえも判断できずに判断そのものを放棄するようなら、 判断を放棄した時点で「道徳心が足りない」と言われかねません。
・相手の窮状と自身の義務を考えたうえで 最低限の人助けをすること と思いました。 困っていない人などいないのだから すべてに手を差しのべることは、不可能。 というのと まずは自分が人の迷惑にならないように、生きる それが道徳的の基本かな? とも思っていて、手を差しのべている余裕がない。