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人生は夢か
盧生は邯鄲で道士から借りた枕で一時の間に、人生50年を経験。いや夢見た。 悟ったのか、邯鄲から故郷へと帰った。 【質問1】盧生のその後の人生は夢ではなく経験であっただろうか? 【質問2】盧生は簡単で見た人生50年の中で、これは夢だという兆候はなかったのであろうか? 【質問3】我々も夢を見ます。それを現実ではなく夢だという判断をする方法はないだろうか? *夢みたいな・・・という表現がありますね。 皆さんは現実の人生で、あぁこれって夢だなぁ。と不図思ったことはありませんか?
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1。唐代の小説家、李泌の『枕中記』にる話ですから、みんな作り話でしょう。 2。眠っている間、盧生にとっては現実、目が覚めてからは夢だったのでしょう。 3。我々も眠っている間は、それが現実だと思っているから面白いのではないかと思います。 4。「皆さんは現実の人生で、あぁこれって夢だなぁ。と不図思ったことはありませんか? 」 この起きている時の「夢」(空想とか野望)と寝ている時の「夢」とは、偶然同じ言葉ですが、現実であるかないかの認識の違いがあって、別のものではないかと思います。
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- yukiyamamomo
- ベストアンサー率37% (57/151)
検索しないほうがよかったデ宇賀 怖いですね。夢痛いでなんか今日は上下にランクで受け階層社会の湯でウから すね。のはギャラクシー江ねjルト言う なぜこれでレトウロtが意味和からにですよ。 ざんこ それにしても久しぶりの質問ですね。しばらく定愛してましたから。
お礼
分かりにくいご回答。 でもありがとうございました。
- emaxemax
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【質問1】人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないというお話ですから、その後の人生は夢でも現実でも同じなのでは? 【質問2】あればお話しになりません。 【質問3】夢によってこれは夢とわかるときと目覚めるまでまったくわからない時があるので判別方法はないのでは?
お礼
そうですね。 ありがとうございました。
補足
盧生が気づかなくても、夢たる兆候があったのではないかなぁ。 つまり自己の本源や根拠に無頓着という意味での成り行き、酔生夢死。 価値性に無頓着なとりとめない成り行きって夢も現実も同じですね。
お礼
ありがとうございました。普通は仰せの通りですよね。
補足
盧生が気づかなくても、夢たる兆候があったのではないかなぁ。 つまり自己の本源や根拠に無頓着という意味での成り行き、酔生夢死。 価値性に無頓着なとりとめない成り行きって夢も現実も同じですね。 さすが素晴らしいご回答。