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日本の歴史建造物は創建当時と異なるが多いの?
- 日本の歴史建造物は、再建されたものが多いですが、創建当時とは異なることがあります。なぜ再建されるのか、オリジナリティが加えられるのかについて探求します。
- 古墳時代から江戸時代までの日本の歴史建造物には、消えてしまった建物もいくつかあります。これらは書物を参考に再建されることがあります。特に平安神宮は明治時代に創建されましたが、創建当時の背景とは異なるデザインとなっています。
- 日本の歴史建造物が創建当時のままに保存されてこなかった理由には、焼失事件が関係している可能性があります。また、復元と復原の違いや技術力不足、資源不足なども影響しているようです。
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>今、残っている歴史建造物は昔から残ってるやつは少なく、再建したものが多いそうですがなぜなのでしょう。 木造の建物は、長年風雨にさらされると腐朽が進みますので、定期的な修理が必要になります。 この定期的な補修をすることを前提として建てられていました。 法隆寺のように創建当初から専属の建築業者(宮大工)を抱えていた寺院もありました。 伊勢神宮の式年遷宮のように古い建物は壊して廃棄して新しい物を建てるという方法が取られる場合もありました。 欧米の石造建築物のように使えなくなるまで使い続けるといことはやりませんでした。 >再建時にオリジナリティを入れて建てたとかあるのでしょうか・・・。 あります。 権力者によって建て増しされた物もあります。 逆に元は大きな建物であったものが小さなものに建て替えられるということもありました。 東大寺の大仏殿などは創建当初よりも小さくなっています。 >古墳時代又は奈良時代から江戸時代までに消えた建物もいくつかあったんじゃないかとも言われています・・・。 文化財保護などという考え方がありませんでした。 定期的な補修を施すだけの財力を保持できなくなり時の流れとともに消えていった物の方が多くあります。 あるいは元の建物を壊してその跡地に新しい物が建てられた場合もあります。 >焼失事件があったようで、それが関係しているとかなのでしょうか。 関係していた建物もあったということです。 >それとも、復元と復原の違いが関係していますかね。 復元と復原を使い分けるようになったの極最近のことです。 元々が補修を繰り返していただけのことです。 法隆寺のように専属の宮大工を持たない多くの寺院では宮大工の集団に依頼していました。 現在もこの宮大工の集団が八つ程の組を組織して残っています。 この八つの組が匠会という業界団体を作っています。 織田信長の時代から続くゼネコンもあります。 このゼネコンでは、社内に宮大工の技術を継承する部門を設けています。 宮大工というのは寺院建築のみを行い個人住宅の工事は請け負いませんので、なまじ特定の寺院に縛られるよりも複数の寺院から受注した方が経済的に経営が安定します。 つまり日本では建物などの物は残りませんでしたが技術が残りました。 この古くから伝承された技術を使って薬師寺の金堂や西塔などが再現されています。 同じように平城京の朱雀門なども再現されています。 寺院建築ではありませんが名古屋城の本丸御殿も再現されています。 五重塔に使われた技術がスカイツリーにも使われています。 日本の五重塔というのは風雨で倒壊した記録はありますが地震で倒壊したという記録がありません。 伝承された技術を持たない中国では万里の長城の回廊部分をセメントで塗り固めてしまい世界中から非難されています。 蛇足 寺院の柱に使われる丸太は木の幹をそのまま使っていません。 一旦幹を縦に四つに割りその割った部分の角を削って丸く仕上げたものが使われています。 木の幹をそのまま使うと長い年月で捩れたり変形したりしてしまいます。 用材としては相当太い木が必要だということです。 古建築にご興味があるようですが下記のような書籍があります 法隆寺をささえた木 西岡常一、小原次郎 共著 NHKブックス 木に学べ 西岡常一著 小学館文庫 Amazonで購入が可能です。
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- oska2
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>今、残っている歴史建造物は昔から残ってるやつは少なく、再建したものが多いそうですがなぜなのでしょう。 他にも回答がありますが「自然災害+火災+戦闘での崩壊」が多いからですね。 >古墳時代は分からないけど 古墳時代でも、壊して新たに古墳を増築している古墳もあります。 古墳つながりで・・・。 「(宮内庁管轄の)神武天皇陵」は「幕末に、我が藩は勤皇だ!」と証明する為に「荒地を整備して、前方後円墳を新たに新築」したものです。^^; >再建時にオリジナリティを入れて建てたとかあるのでしょうか・・・。 今の様に「文化財保護」という観点はありません。 「壊れた箇所を、(当時の)最新の技術で治す」これだけの事。 同時に、予算不足で「簡略化」で修理した物件も多々あります。 >平安神宮はその典型です。 平安神宮は、当時の「紫宸殿」を模して(偽者との説がある)明治天皇の命で建立しましたよね。 が、サイズは当時の紫宸殿とは異なります。 >日本の歴史建造物は復元したものが多いらしいので・・・。 確かに、その通りですね。 法隆寺・金閣寺が放火で焼失するまでは、「残っているのが当たり前」でした。 が、焼失して初めて重要性に気が付いたのですね。 それまでは、文化的な価値は無視して根拠の無い復興建築・模擬建築で色んな歴史的建物を建ててしまった。 文化財保護法が出来てからは、復興建築・模擬建築が認められなくなり「(文化庁許可の)復元建築」が基本となりました。 余談ですが・・・。 京都が米軍の爆撃を受けなかったのは、「米国が文化財の価値を知っていたから」という都市伝説がありますよね。 これは、真っ赤な出鱈目です。 戦後GHQが日本統治の手段として流した、プロパガンダです。 長崎の原爆投下でも「無条件降伏を拒否した場合は、次は京都」だった様です。 ※長崎は、投下目標の小倉上空が不安定だったので急遽目標になった。 米軍としては、原爆の威力を調査・測定する必要があります。 実験ですから・・・。 それには、空爆で崩壊した都市に原爆を投下しても意味がありません。 この点、京都は「大規模な爆撃を受けていない+人口密度が高い」ので実験場としてはベストでした。 あと半年、広島への原爆投下が遅れていたら・・・。 日本軍が、敵国に原爆投下を行っていたかも知れません。^^; ※陸軍の命で、仁科研究所で開発中。
お礼
やはり、様々な理由や原因によって歴史建造物をは破壊されたりとか燃やされてしまったりとかするんですね。 複雑な事情が結構あったんですね。 まあ、日本の戦乱、大陸系の国々と異なり、敵国に関して、矢に火を付けての攻撃方法もあったし、焼失するのも当たり前なんですよね。 よく考えたら・・・。 歴史建造物の保存意識や興味意識が薄かったとかないですよねと思うくらいですよね。 参考になりました。 回答ありがとうございました。
補足
東大寺に関しては間違い認識をしていました。 東大寺に関して創建当時と言いましたが、違う?みたいです。 東大寺縁起は鎌倉時代に再建されているそうなので、創建当時か鎌倉時代のどちらを表しているか分かりません。 平等院と内部の様式が似ているから、鎌倉時代のものかもしれません。 ニコニコ動画の創建当時は謎になりました。 ので、間違い認識していたようなのです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
日本の建築物はご存知の通り、木造です。木というのは数十年で腐食していくものです。寺院などの歴史的建造物は時々修復されますが、やり方としてはまだ使えるものは修復するものの、もう腐ってしまった部分は新しく置き換えるしかないのです。 それに加えて日本は高温多湿ですから、木材はより早く自然に返る、つまり腐りやすいのです。 おまけに木材は火災になりやすく、日本は台風の通り道で、地震も頻繁に起こります。 だから日本の人工物は(人工物に限った話ではないですが)、火事で焼けたり地震で倒壊したり地面が割れて崩れたり、台風や風雨で崩れたり腐ったりするのです。 イスラエルあたりだと湿度が0%に近かったりするので、数千年前の文書(死海文書)が洞窟の中で発見される、なんてことがありますが、日本の気候風土ではそういうのはほぼ無理ですね。泥の中に埋まると空気にほとんど触れないのでそのままに近い状態で保たれるということがあります。 しかし管理も難しいので、高松塚古墳のようにずさんな管理をしていたら発見後数十年でものすごい勢いで劣化したなんてことも起きるのです。 江戸や東京に関することは、関東大震災と太平洋戦争の空襲で焼失してしまっているケースが多いですね。ヨーロッパでも、ドイツなどの中央ヨーロッパは第二次世界大戦で破壊されてその後に修復されたというものは多いです。近々では、クロアチアにあるドブロブニクという街は「アドリア海の宝石」と呼ばれる歴史ある美しい街でしたが、90年代の旧ユーゴスラビア内戦で破壊されてしまいました。現在はかなり修復されていますけどね。
お礼
そうなんですか・・・。 日本は気難しい風土環境なんですね。 新しく作り変えないとという所は・・・。 資源不足も関係しているのかと思ったけど、違ったんですね。 参考になりました。 回答ありがとうございました。
補足
東大寺に関しては間違い認識をしていました。 東大寺に関して創建当時と言いましたが、違う?みたいです。 東大寺縁起は鎌倉時代に再建されているそうなので、創建当時か鎌倉時代のどちらを表しているか分かりません。 平等院と内部の様式が似ているから、鎌倉時代のものかもしれません。 ニコニコ動画の創建当時は謎になりました。 ので、間違い認識していたようなのです。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
日本は木材と紙でつくる建物ですから火災には極めて弱いのです。 たてもの全部がレンガだというならその憂いはありませんけど、強い地震がきたりするとバラバラになります。 それと、木材と紙の場合、虫が入ったり腐ったりしますから何千年も大丈夫ということにはならないんです。 また、世界大戦時に爆撃なんかで絨毯的に破壊された建物もいっぱいあります。 気が変になった坊主のせいで焼けた金閣寺だとか、うっかり失火なんていうのも多々あります。 だから、今まで残っているものがあったとすれば、いつ作ったの、ということが重要になります。奈良時代に最初に建てたものなんだけど、平成になってから復活した平城京なんて珍しいことじゃありません。 建物じゃなくて、中に置いてある国宝類は製造当時から伝わり続けているものはたくさんありますけど、建物は「所詮入れ物」なんです。
お礼
確かにそうですね。 地震や災害、戦争がありましたね。 だから、創建当時のまま保存できなかったと、なるほど・・・。 それで、創建当時と異なるのは国宝の入れ物にすぎないわけか。 だから、海外の世界遺産又は海外の歴史建造物への在り方が異なるのか・・・。 日本の歴史建造物ってほとんどが違和感があるからね。 城とかにエレベーターとか現代建築が混じってるからね。 しかし、色々と理由があったとは・・・。 参考になりました。 教えてくれてありがとうございます。 回答ありがとうございました。
補足
東大寺に関しては間違い認識をしていました。 東大寺に関して創建当時と言いましたが、違う?みたいです。 東大寺縁起は鎌倉時代に再建されているそうなので、創建当時か鎌倉時代のどちらを表しているか分かりません。 平等院と内部の様式が似ているから、鎌倉時代のものかもしれません。 ニコニコ動画の創建当時は謎になりました。 ので、間違い認識していたようなのです。
お礼
そうだったんだ・・・。 気候とか昔の考え方や歴史建造物に対しての当時の人々の価値観などが影響しているって、今とはかなり異なるんですね。 しかし、様々な理由があって創建当時まま残せなかったんですね。 為になり、勉強になりました。 詳しく教えてくれてありがとうございます。 回答ありがとうございます。
補足
東大寺に関しては間違い認識をしていました。 東大寺に関して創建当時と言いましたが、違う?みたいです。 東大寺縁起は鎌倉時代に再建されているそうなので、創建当時か鎌倉時代のどちらを表しているか分かりません。 平等院と内部の様式が似ているから、鎌倉時代のものかもしれません。 ニコニコ動画の創建当時は謎になりました。 ので、間違い認識していたようなのです。