明確に明治時代でしょう。
それ以前は、豚や牛を食べる人間は少なかったけど鳥は皆食べました。
ただ、とにかく絞めて血を抜いて、適当にばらして鍋にいれたりするような食べ方でした。大概鶏です。その中で、長寿のためにと鶴なんかを食べるのは実は禁断の世界で、高貴な人しか食べてはいけないものだったので、鶏だと言い逃れたり兎だと言ったりしたんです。
焼き鳥、になるときに、実は肉の扱いに革命が起きています。
「腑分け」をしているということです。
臓物を、その種類によって別々にし、別々の食べ物として調理する方式になったのです。
当然ですが、あの歴史と連動します。1770年に前野良沢が、ターヘル・アナトミアというのを手に入れ、なんとか翻訳しようと思った。そして幾人かの仲間と始めたんですが、誤訳やミス続出で、ようやっと解体新書の最終版ができたのが1826年です。こういうものの見方が非常に斬新だったんですけど、蘭学の医者でもない限り医療に役立てようとなかなか考えなかった。
しかし、噂にはなり、そういうものがあるようだ、という好事家の話題になったわけです。そして、肉を食べるとき、部位とか臓物で意識するような考え方が出てきて、20年ちょっとで明治維新が起きました。明治維新前も徳川慶喜などは牛は好んで食べたようですが、一般的に牛鍋とかができるようになり、そこで、腑分けした鶏を焼いて食べるという習慣がなんとなく定着したんです。
そのとき、「これは肝臓だ」「これは腎臓だ」みたいには言わない。なぜならそういう臓器名は医学用語なんで、単位としてはそれなんだけど、見た感じ、誰でもわかるような言い方でオーダーするというやりかたが発生したんです。
とんがっている尻の先だからぼんじりだ、と言ったら誰でもわかるでしょう。そしてどこか陰惨でない語感がある。尻についている油たっぷりの皮はペタと言ったら誰でも食感が想像がつきます。つけ根の部分を「油壷」なんてよくもうまく言ったもんだというもので、心臓といわないで英語のハートをハツと呼び変えるなんていうことをすると、なんとなく通になったように感じるわけです。
現代でも寿司屋にいって「ムラサキをくれ」「アガリがぬるい」なんていうおやじがいますが、その神経なんです。つまり、厨房の中の言葉を知っているから通だろうみたいに思わせたがる。
この神経が、焼き鳥の呼び名の原因です。