• 締切済み

死後は無になる

人間は死んだら無になると思いますが、どうですか? (1)私が私であると自覚している意識や心は脳の機能である。 (2)人間が死ぬと脳の機能は停止する。火葬で脳は灰になる。 (3)そうすれば意識や心は消失する。そして無になる。 死ぬのが怖いと聞きます。 でも死ぬのが怖いのは今の自分であって、死んだら意識も心もないのだから何も感じない。何もない。 と思うのですけど、どうですか?

みんなの回答

回答No.13

No.10&12です そうですね、肉眼では見えない何らかの物質があるかなと。 Aさんの頭部が付いた体の私。 脳は記憶装置・制御装置ですから、 私の心は「ありゃりゃ?」って思うと思います。

回答No.12

No.10です。 「中身とは何でしょうか」 ・・・わかりません。「何か」です。 妹が死にかけたときに、自分の体から自分が抜け出て、 病院の中を歩いたり、ベッドのそばで泣いている夫を見ていたり、 実家で母が自分の病状を心配している様子を見たりしたので、 体はいつの日か、抜け殻のように脱ぐものなのね、と思います。 「神様がいる根拠はありますか」 ・・・ありません。 神社に合格祈願だの、安全祈願だの、必勝祈願だのと行く人は多いですよね。 私はそういう祈願には行きませんが、神様はきっといるだろうなと。 死後どんなところに行くかは、その人の生きざまに依って決まり、 神様を信じてるか信じてないかは、神様にとっては問題ではないんじゃないかなと思います、人間と違う、もっとスケールの大きいのが神様ですから。 「神様がいる根拠があれば議論もできるのですが」 ・・・すみません、ありません。 いると思って生きる方が、より良い人生を送れると思ってはいますが、 そうではない人はそれで良いのではないでしょうか。 ちなみに「心」は「脳」だとおっしゃっていますが、 私は「腹」のあたりにあると思っています、なんとなく。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中身に視力があるということは、中身は透明じゃない、色がついているということですね。光の情報をキャッチしないと見えませんから。透明では光が素通りしてキャッチできない。そして何かの物質であると考えられますね。光を吸収するのですから。 神様については神様がいた方がよりよい人生を送れるので「神様はいる」と考えているということですね。 心はお腹にあると。では、思考実験ですが、もしAさん(他人)とあなたの首切って交換する手術をしたとします。Aさんの体にあなたの頭がついている方じゃなくて、あなたの体にAさんの頭がついている方があなた自身ということですね。あなたの心はお腹にあるのだとするとそうなりますね。

  • ILFocus
  • ベストアンサー率36% (17/47)
回答No.11

stmimさん せっかくいろいろ回答してもらっているのに回答者の文章をまるで理解できていない。核心を外しまくってますね。 おいくつですか?20歳以下なら、まあしかたないか。私もそうだったから。 piyopiyopyonさんもpfx89068さんも地に足のついた、いい回答だけど、stmimさんは、口が反論してるだけですね。 大人から見ると、残念ながら論外です。もっと修行してから再質問してくださいね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 核心とは何ですか? 「ありのままの事実は都合がわるい。 じゃあ都合よくなるように考えよう。」 そういう考え方ですか?

回答No.10

死んだら、着ている体を脱いで、 中身だけに戻り、 故郷に帰るのではないかと思っています。 いまは神様から魂を与えられて、 地球で生かされているのだろうと、 思っています。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中身とは何でしょうか?よくわからないものですか? 中身がわかるなら議論もできるのですが・・・ 神様がいる根拠はありますか?なんとなくありそうな気がするということですか?神様がいる根拠があれば議論もできるのですが・・・

回答No.9

死んだら無になるならば、現世で生きている人間は、犯罪を犯そうが、他人に迷惑をかけようが、何をやってもよいという考えになりませんか。 だって、無になるなら魂を向上させる意味がなく、勉強や仕事など意味がない、どんな悪業を行ってきた悪人すら地獄に行く事もなければ、どんな善人も天国に行く事もないという事ですね。 つまり、この世の“法”など作る意味がないという事になります。 これでは、今まで人類が繁栄してきた根拠が無くなってしまう事になります。 霊の存在を否定するという事は、憑依や霊障などで起こる原因不明の体調不良や、因果応報、更には厄年や風水のようなものまで否定する理屈になりますね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。「死んだら無になると社会的に不都合だから、そう考えるのはよそう」ということですよね。でも不都合化どうかと事実関係は別の話ですよね。今回の質問は事実関係を聞いているので、それで社会的に不都合かどうかは、考慮の対象外です。 私は無になると考えていますが、別に犯罪を犯そうと思わないです。刑務所に入りたくないですし、家族に悲しい思いをさせたくないですし、自分だって嫌ですよ。 無になるとしても魂を向上させるのは良いことだと思います。勉強だって世の中を知るのは楽しいでしょうし、仕事をしなければお金が稼げません。 法を作る意味は立派にありますよ。世の中の人が平和に楽しく暮らすためですよ。死後が無になると人類が繁栄してきた根拠がなくなるなんて、全然思わないです。 霊的なことは別の現象を霊の仕業にしているだけと思いますよ。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.8

視点が当人の側だけに偏ってます。 例えば焚書というのがあります。特定の書籍を印刷物を焼き尽くし原版を焼き尽くし、原稿も焼き尽くすのです。持っている人間がいると困るから警察が家探しして1冊でも持っていたら取り上げ、焼却場に運ぶとします。 本当に一冊も残らず焼却しつくされたとします。場合によってはその著者も死刑にしてしまう。 すべては無になる、と考えたらその思想は合っていますか。 この質問の話はそういうことを言っているんですよ。 いまのたとえ話には盲点がありますね。書物といってるんだからすでにお気づきだと思いますが、「読んだ人」まで全員殺すことは不可能ですね。詳細まで全部記憶はしていないとしても、覚えている人間は何人もいるわけです。 こういう連中が記憶を頼りに書き出して、つないで編集すれば、無にはなっていないんですね。つまり焚書によって書物を消滅させることは不可能なんです。 人間を消滅させることは、同じ思考をしてみれば、不可能です。 肉体は消滅しますし、当人の意識はなくなるかもしれない。だけど、いなくなったのは当人の意識だけなんです。 でも意識消えてますかね。話しあったり笑いあったり議論した人間は、死んでも「あいつならこう考えるだろうな」と想像がつきますね。本当に意識消えてますか。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 焚書の話はたとえとして非常にわかりにくい。本は情報を伝達するメディアであるので、その情報が伝達されれば本そのものは燃えてもかまわないものです。 人間の場合は、その人の考えが周囲に伝われば本人は不要とはいえないですよね? 自分の思想が伝われば自分は死んでもいいか?と聞かれたら自分は嫌ですね。別に他人に何も知られなくても私は生きていたいです。 無人島に生きている人は意味がないということになりますか? 私は他人はかなりどうでもいいので、無人島でもあまり気にしないで生活したいです。別に無人島で本を読んでいるだけでも退屈しないで過ごせると思います。無人島が嫌なのは不便だからです。 もちろん、文学的な意味で回答の意味は理解しますが、どうなのかなあ・・・。死んだ人に対してのなぐさめの気がしますね。

  • ILFocus
  • ベストアンサー率36% (17/47)
回答No.7

この種の質問いくつもありますが、回答が概してつまらないなぁ。 物質はもともと意識をつくるようになっていたと考えないと、宇宙に意識を持つ生物がうまれてくるわけがない。 ずっと生命のない星雲・恒星・惑星があるだけの時代が延々と150億年つづいたっていい。そこに生命が誕生した。その確率計算なんてやってるひまな学者がいるけど、タネがあっても環境が整わないと発芽しない、っていうだけじゃないの。潜在的形相の顕在化。 私は死んだらいつになるか分からないけれども、生まれ変わってくると思っています。天国も極楽も地獄も楽しいところだとは思えないしね。だから、現世で出来ることを精一杯やって、あとは来世でやるか、くらいに考えています。だから死は怖くありません。 死によって自分がまるっきり無くなってしまう、と考えるのは自由ですが、それはとても恐ろしいはずですよ。さらにそれを解釈して死んだらそれを意識できないはずだからとか、延々と解釈するのは真剣に死を考えたことのないやつの寝言だよ。意識というものをしっかり見つめると、簡単に無くなるとは考えられないことが理解できようというもの。 心の所在。脳あるか心臓にあるか、いやもっと別の部分にあるか、21世紀になっても、未だに定説はないよ。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。回答が面白くないと思うのはあなたの勝手ですが、この質問は事実を聞いているので、その事実が面白いとか面白くないとかはどっちでもいいです。事実がそうなら面白くなくたって仕方ない話です。 死後、無になるのが恐ろしいから「そうじゃないと考えよう」という話ですか?それは欺瞞じゃないですか?「それは怖いから、そう考えるのはやめよう」ということですよね。 他人の心臓移植をしている人は何人もいますよね?そうした人は別人になっているという話ですか?心臓は血液循環の単なるポンプであるというは常識だと思います。心の存在は脳じゃないというのは考えにくいです。心は脳にあるというのは定説だと思いますよ。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.6

人が死んだら、死にっきりです、無になんかなりません。 無というと、それを「ある」ものと勘違いするじゃないですかあ! でも、無というのは、文字通り「ない」のですから「無」なんて言ってはいけません。 (1)私は私であると自覚していませんので、「意識や心は脳の機能」とは到底思えません。 意識とか、脳の機能って何ですか? 意識を定義してみてください、お願いします。 それに「機能」って何ですか? (2)人間が死ぬと、人間が死ぬだけです。たぶん! 私は自分の「脳の機能が停止」したのを知ることができません、それに「火葬で脳が灰になる」ことも分かりません。 あなたは知り得ますか? (3)「そうすれば、意識や心は消失する、そして無になる」と言っていますが、どうすれば「意識や心は消失する、そして無になる」のが分かるのでしょうか? そしてあなたは死は恐いと言っていますが、何が恐いのでしょうか? 古代ギリシャのエピクロスは言っています、 「死は諸々の恐いものの内でも、もっとも恐いものとされているが、実は恐くなんてない、なぜならば、私が生きている限りは死はないのだし、私が死んだら、死を意識する主体がなくなるのだから、死は存在しない。つまり、死は私の関知するところではない」と。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。いや別にないというだけの話ですから、言語表現は厳密には考えていないです。 意識は国語辞典の通りで別に何か特別な定義はないです。 機能も別に言葉通りです。国語辞典の通りです。 それだとダメですか? 私の脳が機能停止した時に、私の機能停止した脳は私の脳が機能停止していることを認識できません。しかし、他人の脳が機能停止したことを私の機能している脳は認識することができます。 これまで生まれた人間はみな脳が機能停止しました。私も人間の一人です。したがって自分の脳もいつか機能停止することを想像できます。 生きている私が死後を想像することが怖いです。エピクロスの言うのもわかりますが、別にだからといって怖くはなくなりはしません。そうじゃないですか?そんな理屈でどうにかなるものならだれも悩んだりしないですよ。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.5

>人間は死んだら無になると思いますが、どうですか? 人間に限らず、生物(動物・植物)は死ねば「無」ですね。 物理的な組織は、全て無機質に変わります。 若しくは、バクテリア等によって分解されてなくなります。 >死ぬのが怖いと聞きます。 これな、神道でも仏教・キリスト教・イスラム教でも同様ですね。 誰も「死後は不明」ですからね。 仏典・聖書・経典に色々書いていますが、書いた本人も死後の世界を見ていません。 「何か分からない未知のもの」に対しては、多くの動物は恐れを抱くのです。 恐れを抱くので、生きている間は危険な場所・地域に行かないのです。 >死ぬのが怖いのは今の自分であって、死んだら意識も心もないのだから何も感じない。 その通りでしようね。 >どうですか? 但し、死後の世界は誰にも分かりません。 分からないので、色々な不思議な現象が霊と結びつくのです。 多くは偽物ですが、心霊写真は有名ですよね。 霊の存在を信じる方は、心霊写真を信じます。 霊の存在を信じない方は、心霊写真を信じません。 「幽霊の、正体見たり枯れ尾花」 まぁ、色んな考えがあって良いと思いますね。 日本人は、世界でも有数の多くの宗教を信じる民族です。 ある人は、神道で生まれて+キリスト教で結婚し+仏教で死んで逝く。 神道・仏教・キリスト教の宗教行事も、何も疑問なく楽しんでいますよね。^^;

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 本当の本当はわからないでしょう。 いろんな考え方があっていいのは、そうだと思います。 どう考えるかは個人の自由です。 今回の質問は死んだらどうなるのか?という事実関係に関する質問なので、こう考えると楽しいとかは関係のない話です。

  • KGS
  • ベストアンサー率24% (1324/5321)
回答No.4

そだね

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。同意の場合は、そうだよね、になってしまいますね。