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江戸時代。城下町の行政単位としての呼称。

郡部の町や村は、何国何郡何町(又は村)となりますが、城下町は何と呼ばれていたのですか。 例えば、金沢のある商家へ書状を出す場合、金沢〇町〇屋のように「金沢」とだけ書いたのですか。 それとも「金沢城下」とか、「金沢」に何かを付けたのですか。 画像があれば教えてください。 よろしくお願いします。

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回答No.5

膠着状態の Why-J-people です。 前回までで「府」に踏ん切りはつきましたが、 「城下」表記の調べには至っていません。 再び、別アプローチですが、下記『徳川時代裁判事例』はページ数も多く 収録件数は多いものの、江戸界隈と無宿が多数を占め、 罪人所在地表記は下記程度に過ぎません(京都は余計ですが)。 ●『徳川時代裁判事例.[第5]司法資料第221號/司法省大臣官房調査課/1936』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444609/4 <77/561>(56頁14-15行目) 尾州名古屋幅下 異名 日本左衛門… <87/561>(77頁8-10行目) 攝州大坂中島常安町 灘屋七左衛門貸坐敷に居候者にて… <195/561>(293頁5-7行目) 京都西陣釋迦突抜町 小松屋仁兵衛 借屋… <232/561>(366頁5-7行目) 大坂天王寺町 曹洞宗昌林寺 當住… <375/561>(653頁13行目) …右之者儀大阪内淡路町三丁目白銀屋善兵衛借屋大坂屋善助同居當時… <383/561>(668頁12-14行目) 京都松原通堀川西江入る町 山崎屋七郎兵衛… <415/561>(733頁10-11行目) 攝州大阪安治川南壹丁目 河内屋利兵衛借家… <461/561>(825頁1-3行目) 大阪下久太郎町五町目 大和屋… <504/561>(911頁10-11行目) 大阪長堀平右衛門町 豊島屋藤兵衛借屋… 殆どは「大坂(大阪)」で(国・州名+)「大坂(大阪)」+「町名」パターン、 現在の「市」に相当するような表記はありません。 あと、御質問からは少し逸れますが、 当初より気になっていた事(郡名)につき寄り道をしてみましたところ、 『武鑑』では下記のとおり(「常陸水戸」を除き) 「国・州名」+「郡名」+「在城地名」で表記されていますので、 「在城地」では通常は「郡名」が省略されていたと考えられます。 〇『安永武鑑.[1]/出雲寺和泉椽/安永9(※1780)』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/9 <9/96>(6丁オモテ) 尾州愛知郡名古屋… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/13 <13/96>(10丁オ> 紀州名草郡和歌山… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/18 <18/96>(15丁オ) 常陸水戸… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/20 <20/96(16丁ウラ) 讃岐香川郡髙松… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/27 <27/96>(23丁ウ) 越前足羽郡福井… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/29 <29/96>(26丁オ) 出雲嶋根郡松江… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/38 <38/96>(34ウ) 加州石川郡金澤… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/39 <39/96>(36オ) 越中新川郡富山… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/43 <43/96>(40オ) 薩州鹿兒島郡鹿兒島… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2571238/46 <46/96>(42丁ウ) 奥州宮城郡仙臺… 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

度々のご回答ありがとうございます。 現在の「市」に相当するような表記はないと、判断して間違いなさそうですね。 『安永武鑑.安永9(1780)』は参考になりました。 「尾州愛知郡名古屋」「紀州名草郡和歌山」など、郡名が入るとは思いませんでした。 関ヶ原後、大名の配置が決まった当時の、まだ城下町が形成される以前の姿が見えるようです。 「武鑑」は、幕閣や大名が重用したものですから信頼できます。 しかし、「常陸水戸」「奥州會津」の例もあり、単純ではないですね。

その他の回答 (4)

回答No.4

前回No.3投稿は中途半端で申し訳ありません。 「府」に淡い期待を抱きつつ、 駿府(駿河国府)、甲府(甲斐府中)、長府(長門国府)ほか太宰府など 律令制下の名残であろう「府」と、「金沢府、金府」以外を探したところ、 見つかったのは「水府」(すいふ)のみ。 国語辞典ではありますが、 【広辞苑第六版】(2)水戸の異称、【スーパー大辞林3.0】水戸の異名、 【デジタル大辞泉】(1)水戸の異称、などと 唯一「水府」=「水戸」が浮かび、「水府流」なる派生語もありますが、 残念ながら国語辞典レベルでは「金沢府、金府」は収録されておらず 「早稲田大学図書館>古典籍総合データベース」を訪ねても 金沢の「府」関連は下記「金府」「加府」2件のみ。 ●『梅室両吟稾.下/梅室[編]/1838年』 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%E9%87%91%E5%BA%9C&szlmt=30 [33コマ目/34] 金府 枩浦八兵衛 ●『続千字文/井出臥渓[編]/1735年』 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/to02/to02_04575_b0010/index.html [40コマ目/42] 北陸 加府 書林 三ヶ屋五郎兵衛板 捨てがたいとはいえ、稀な例ゆえ、 これ以上には「府」の伸びしろは無いものと考えざるえません。 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

色々調べて下さってありがとうございます。

回答No.3

再び失礼致します。 出版者所在地表記の画像を求め、ただ、江戸・京・大坂に偏るであろうとの 限界を感じつつも向かった先は 「名古屋市立図書館デジタルアーカイブ なごやコレクション >名古屋市史編纂資料 和装本」 http://e-library2.gprime.jp/lib_city_nagoya/da/result_list?category=%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%8F%B2%E7%B7%A8%E7%BA%82%E8%B3%87%E6%96%99%E3%80%90%E5%92%8C%E8%A3%85%E6%9C%AC%E3%80%91 ※字数の都合上、下記各URL省略※ ※下記中、江戸・京都等と不明分と明治期分は除外※ ・刊行年/1700年代 (7件)うち下記4件 ●『孝子林左衛門伝/1785年』[15コマ目/17]  書肆 尾州名古屋本町三町目 伊勢屋忠兵衛 ●『朱子静坐説/1714年』[44コマ目/45]  尾州両替町風月孫助開板 ●『秉穂録/1799年』[120コマ目/121]  書肆 尾州名古屋玉屋町 永樂屋東四郎梓 ●『自適園遺稿/1793年』[49コマ目/50]  尾張書林 風月堂孫助 永樂堂東四郎 ・刊行年/1800年代 (15件)うち下記3件 ●『代奕雑抄/1801年』[66コマ目/67]  書肆 名古屋本町九丁目 本屋久兵衛梓 ●『家事盛衰元諭録/1856年』[18コマ目/21]  書林 尾州名古屋□屋町 ●『蓑笠雨談/1804年』[61コマ目/62]  尾州名古屋本町七丁目 永樂屋東四郎 データ量が少ないため断定は出来ませんが、 名古屋の出版者所在地表記では「府」「城下」が見出せず 7件中4件は「尾州名古屋〇〇町」。 江戸=御府内以外にも駿府、甲府などは有りますが、 果たして「金沢府」「金府」表記は金沢の特異事例なのか、 他エリアで同様事例は有るのか? 腑に落ちないまま課題を残しつつ…

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 名古屋の版元の例ですね。分かりました。

回答No.2

再度、失礼致します。 「書状等の画像」限定では、私にはハードルが高過ぎますので、 勝手にハードルを下げて、別角度からのアプローチを試みました。 向かったのは「石川県立図書館/第189回企画展示『近世加賀の出版』展」 http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/booklist/2010/189.html 「近世加賀の出版物」の各出版者欄の所在地表記を確認してみますと、 「(No.7)加州金沢府博労町/天明6年3月」、 「(No.17)金城下法船寺町/弘化3年序」」、 「(No.18)金府御門前西町/弘化5年序」、 「(No.27)金府近江町/嘉永7年序」、 「(No.28)金城下近江町/安政2年序」など 「金沢府」「金府」「金城下」の表記もあって、 一律ではなかった事は分かりますが ここから先(=画像)に進めません。 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 金沢にある版元では、地元金沢を「金沢府」「金府」「金城下」と書いていた版元もある、ということですね。

回答No.1

〇 南竹 Nanchiku 江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書 < 加賀金沢小杉屋 Old Writings Kosugiya > http://www.eonet.ne.jp/~yohi/h.html 上記から抜萃してみました。 ●#60. 情々心配仕成丈け相働き差上申候 京都播磨屋卯兵衛代より金沢小杉屋の番頭松居常七への手紙。 二月廿日出      従京都   播磨屋卯兵衛代 加州金沢 松居常七様  大急用 ●#44. 今庄より小松泊り今晩にて拙者腹痛有 貴殿万事御気を附火の用心は第一 出張中の常七より小杉屋政七(松居店)への手紙。 十月十三日  従越今庄    同常七 金沢住吉屋にて 松居政七殿行 無事用事 ●#31. 昨日大和物取合拾壱疋慥に入手 小もよ中もよ取合廿計入用 越中今石動の太兵衛さんから松居五郎右衛門への手紙、その4。 賃相済 於今石動     中の屋     太兵衛 金沢尾張町にて 松居五郎右衛門様  御店米吉様 ●#29. 太物工風等白無地めんちり送可被下候 越中今石動の太兵衛さんから松居五郎右衛門への手紙、その2。 於 今石動 中野屋太兵衛 金沢尾張町 松居五郎右衛門様    御店米吉様 以上 画像となりますとハードルが…

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、殆どの書状では「金沢尾張町」のように、「金沢」とだけ書いてあります。 商取引の書状では、「金沢城下」の城下を省略したのかも知れません。 あるいは、城下は、武士階級が主に使う言葉だったのかもしれず、それなら商人は使用を憚ったのかも知れません。 「〇〇城下」で検索しますと、多くの城下町が「〇〇城下」でヒットします。 しかし、圧倒的に「城下省略」が多く、5万石以下の小さな城下町も含めて、江戸時代には、城のある町を「地名」だけで呼んでいたということになります。 私自身は、行政単位としての「城下」はなかったと思っています。 しかし、刀銘や墓碑銘では「城下」を付けた例も多いです。 刀銘の「〇州住何某」と「〇州〇城下何某」を比べてみると、城下と郡部は区別していたのかな、と思います。 現代では、殆どの城下町が「市」になっています。 江戸時代は、「市」に対応する用語はどうだったのだろうという疑問です。