宮城(きゅうじょう)という言葉は戦前の日本では「皇居」を指して使われることが多かったようですが、もともとは「帝王の居城」という意味の普通名詞ですから、外国(洋の東西を問わず)でもそうした帝王の居城に使うのであれば別におかしくはないでしょう。
用例(青空文庫から)
○また“驢背集”という詩集には、
『日本軍の入城に依って宮城が守られ、逃げる隙なく宮中に残った数千人のものは日本軍に依って食を与えられた。宮中には光緒帝も西太后も西巡していて恵妃(同治帝の妃)のみが国璽を守っていたが、柴大人に使を派して謝意を述べ、大人の指示によって宮中の善後措置を講じた』
という意味の談がある。「戦争史大観」(石原莞爾)
○緑林の親分李楽も、帝に従ってから、征北将軍といういかめしい肩書を賜わっていたので、長安や洛陽の宮城を知らない彼は、ここにいても、結構いい気持になれた。「三国志 草莽の巻」(吉川英治)
○そんな大僧正なんてあるものか。ひとりで不服をとなえながら、右も左もみかえらずに、参事官はずんずん東通をとおりぬけて、高橋広場(たかばし)ひろばにでました。ところが宮城広場へ出る大きな橋がみつかりません。「幸福のうわおいぐつ LYKKENS KALOSKER」(ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 楠山正雄訳)
○群衆は我々と前後して、暗い木立の下を縫ってゆく。バッキングヮムの宮城前へ集まるのである。宮城前の広場にはもう幾万人か屯している。
『キング! キング!』と叫びながら駈けてゆく者がある。我々はそのあとに付いて駈けてゆくと、露台には灯火が燦として輝いて、英国皇帝陛下も皇后陛下もそこに正しく立ってられるのが夜目にも仰がれる。…陛下のお姿が窓にかくれて、露台が闇につつまれた後も、宮城の森に反響する歓呼の声はしばらく止まなかった。「倫敦の一夜」(岡本綺堂)
お礼
ご回答ありがとうございます。用例まで載せていただき、助かりました!